第六話 召喚の儀式

 鋼輔がブレードギア・倶利伽羅を持って現れたのは水の中だった。溺れかけて、水面へ向かう。水から這い上がると、そこは――異国の神殿だった。背後にいくつも滝が流れ、大理石の大きな垣の中に透明な水が溜まっている。鋼輔が水浸しになりながら姿を現したのは、そんな場所だった。

「なんだここは――? 俺は日ノ宮で従神と戦っていて、それで――」

 混乱する思考。目の前には見慣れない光景が広がっている。美しい意匠が施された水の神殿。金の太陽像。天蓋のついた高い天井。大理石の床に、金刺繍の紅(あか)絨毯が轢かれている。水の神殿から這い上がった鋼輔が、地に足を着くと、スニーカーが紅絨毯にずしりと沈んだ。目の前に人の気配と視線。鋼輔はブレードギア・倶利伽羅を構えた。

「神獣召喚に、失敗した――のか?」

 目の前で口を開いたのは、息が止まるほど美しい――褐色の肌、長い銀髪、赤い双眸を持った、しなやかな痩身の美少女だった。アーモンド形の綺麗な瞳を見開いて、驚きと、落胆を宿した眼差しを鋼輔に向けている。

 鋼輔は自分のおかれた情況に戸惑っていたが、目前の少女をがっかりさせてしまった事に対し、なぜだか深い申し訳なさを感じていた。

「き、君は――、」

 鋼輔の声は、突然の男の高笑いにかき消された。

「さすが出来損ないの姫巫女だな! 太陽石《ギア・ストーン》を使って何を呼び出すかと思えば――ただの小僧、まったくの民間人ではないか。大人しく俺の贄となるがよい、イシュタム」

 鋼輔は小僧呼ばわりされて憮然としたが、声の持ち主も、鋼輔とそう年の変わらない褐色肌の青年だった。長い銀髪を後ろで結わえ、引き締まった身体をエキゾチックな衣装で包んでいる。青年の背後には、数十人の神官。そして、日ノ宮を破壊した四人の従神達が並んでいる。

「貴様ら――! よくも日ノ宮を!!!」

 従神である四人は鋼輔を一瞥したが、儀式の邪魔をするのを差し控えるように黙殺した。

「兄者が正しき護龍の王なら、私も喜んで生贄となろう。だが私はまだ兄者の王の証を見ていない。王位継承式はまだ続いている。兄者はまだ王と認められていないのじゃぞ」

 イシュタムと呼ばれた少女は、身に纏った白い羽毛の毛皮をぎゅっと握り締めて、兄らしい青年を睨んでいた。

「フン。王の証なら今に見せてやるぞ愚妹よ。お前は召喚に失敗し、どうしようもないクズ巫女だということが証明されたな。護龍の姫巫女ならばトルテカの守護神を召喚できるはずだ。だが召喚されたのは得体のしれん黒装束を着た小僧である。これを笑わずにいられるか」

 青年の背後にいた神官、従神達も笑う。イシュタムは顔を紅潮させていた。鋼輔は上下学ランを着ていたので黒装束と称された。肌も露な異国の世界で、鋼輔は黒ずくめの詰襟の格好であるので、確かに得体が知れなく見えただろう。

「テオ様。異界からの生け贄の献上に続いて、王位継承の神獣召喚を。我がトルテカ王朝の守護神のいずれかの召喚であなたは護龍帝国の王と認められます。さあ、あなたの太陽石《ギア・ストーン》を使って召喚の儀式を――」

 イシュタムを嘲笑するものたちをいなして、地位の高い神官がテオに呼びかけた。テオは尊大な態度で、先ほど鋼輔が現れた召喚の水場へ足を進める。

『聞こえるか黒き太陽――トルテカ王朝の破壊神よ、我に応えて姿を示せ――』

 テオが詠唱を始める。水場に真紅のまばゆい魔法陣が広がり、風が渦巻いた。

 紅い粒子が飛び交うなか、現れたのは巨大な影ともつかない蜃気楼の巨人だった。
紅く輝く大きな槍を手にしている。水から鋼輔と同じように漆黒の巨人は姿を現し、神々しい金や銀の装飾を身につけている。闇と月を司る戦闘神だった。

「テスカトリポカ様と、トラウィスカンパテクトウリの槍だ!!」

 神官が歓声と共に叫ぶ。同時に「おお、テオ・テスカ(我が王!)」と喝采が広がる。イシュタムだけがうつむき、悲しそうにその光景を見ていた。

「さあ、テスカトリポカよ。俺にランスギア・トラウィスカンパテクトウリの槍を!」

 テオが叫ぶ。漆黒の巨人はゆっくりとテオに真紅の槍を手渡す。

「生贄の姫巫女・イシュタムを貫く槍を!!」

 テオと聴衆が叫ぶ。異様な空気だった。イシュタムは諦めたような表情で、祭壇に登った。鋼輔は慌ててイシュタムの細い腕を取る。

「生贄って――まさか――」

「そのまさかじゃ。兄の巫覡、テオを成巫させるための生贄が私。私は己の助けとなるトルテカの守護神の召喚に失敗してしまった。テオが王位継承の召喚を成功させた今、私には死しか残されていない」

「なんだって!? 間違って俺を呼んだのか? それに、日ノ宮はどうなったんだ!!」

「おぬしには申し訳ないことをした。おぬしの出所がわからぬゆえ戻してやることもできぬ。おぬしの故郷は、兄上が王に即位する際の生け贄、献上都市に選ばれたのじゃ。我が帝国の太陽──呪われし『イン=ティ』への。おぬしの故郷は消滅した」

 イシュタムは心底申し訳なさそうに鋼輔に頭を下げた。鋼輔は絶句した。日ノ宮が消滅した…? 日ノ宮にはもう戻れない……? 廻や明の顔が浮かんで消えた。

「最期の会話は済んだかイシュタムよ。我が槍に貫かれ、贄となり、巫力となって俺に貢献しろ。出来損ないが」

 後を見ると、テオがランスギア・トラウィスカンパテクトウリの槍を構えていた。紅い禍々しい瘴気を放っている。

「トルテカ王朝の太陽を打ち落としたとされる怒れる伝説の槍だ。空の王テオ・テスカに屠られることを誇りに思え、贄の姫巫女イシュタムよ!」

 言葉と同時に、神速で槍が放たれ、イシュタムの腹部を掠めた。

「あぐっ――」

 テオは大理石の壁に突き刺さった槍を引き抜きに、ゆっくりと双子の妹であるイシュタムの元へと歩んだ。

「神官ども。この出来損ないに贄として最大の苦痛と恥辱を与えろ。巫女の神聖を汚せ。力加減はしておいた。死ぬまで好きにしてよいぞ。その死体を、祭壇で俺が喰らってやるわ」

 テオは槍をイシュタムから引き抜くと、冷酷に笑って、祭壇の上の王座についた。
神官達がこれから始まる陵辱の宴にげひた笑いを浮かべ、傷ついてはいるが美しいイシュタムに近づき、捕らえようとする。

「やめろ――!!」

 鋼輔は考えるより先に止めに入っていた。

「私を助けると殺されるぞ……ほうっておいてくれ」

 イシュタムが消え入りそうな声で言った。

「助けて欲しくて俺を呼んだんじゃないのかよ! こんなの見てほうっておけるか!」

 鋼輔は抜刀して、イシュタムに近づく神官の手首を斬り飛ばしていた。激昂した神官が武器を持って鋼輔に襲い掛かったが、鋼輔は居合いからなる二撃目で確実に標的を捉え、神官の急所に太刀を浴びせていた。

「寄ってたかって一人の娘に――恥を知れ!!」

 鋼輔は怒っていた。置かれた情況もわけがわからない。だがわけがわからないなりに、この異国の風習は狂っていると思った。王位継承者の妹、つまり国の姫にあたるものをむごたらしく死に追いやろうとしているのだ。

 鋼輔は日ノ宮で姫巫女である廻に仕えていた。日ノ宮では廻をこんな目に遭わせるなど考えられないことだった。鋼輔はイシュタムと廻を重ねて、ひどく怒っていた。

「ほう――?」

 テオが神官を残らず切り殺した鋼輔を見て、王座から好奇心の笑みを見せた。

「わが槍の的になりたいらしいな。よろしい。俺のために用意された生贄のイシュタムをかばい立てするなら、貴様もろとも屠ってくれるわ――ムド=アランガ!《一槍必中》!」

 テオが好戦的な紅い双眸をぎらつかせて、紅い瘴気を放つ禍々しい槍を構えた。空気が紅く侵食されてゆく。収縮するエネルギーで時空が歪む。極限まで引き絞った槍を、テオは思い切りイシュタムと鋼輔に向けて投擲した。空が爆ぜ、紅く光る衝撃波を纏った槍撃が、残像を描いて放たれた。

 鋼輔はブレードギア・倶利伽羅でトラウィスカンパテクトウリの槍を受け止めると、そのまま渾身の力で振りぬいた。打撃のインパクトで火花が散る。黒龍クリカラの宿る刀身から蒼い炎が噴出し、赤い衝撃波を相殺する。相殺し切れなかった衝撃波からイシュタムをかばい、鋼輔の全身が切り裂かれ、鮮血が舞った。だが――。

「なにっ――!?」

 槍ははじかれ、大理石の床に落ちた。鋼輔は負傷したままテオのもとへと疾風のごとく駆け、クリカラの蒼炎を宿した白刃をふるう。テオは王座の横に鎮座してある漆黒の鎧と剣が立てかけてある台座から、剣を取る。宝剣、ブレードギア・マカナを手にしたテオは、鋼輔に応戦した。

「身の程知らずが! 砕けマカナよ! 断刃の前に――露と散れ!!」

 鋼輔とテオは王座で斬り合いを始めた。神官達が戸惑いの視線を向けている。

「戻れ、ランスギア・トラウィスカンパテクトウリの槍よ!」

 テオが隙を見て、右手に槍を召喚した。

「至近距離で屠ってくれるわ! 次はよけ切れんぞ! ムド=アランガ!《一槍必中》!」

 真紅の衝撃波が槍の周りに収縮される。テオはそのまま力任せに槍を鋼輔に放った。槍は鋼輔の腹部を深々と貫いた。テオが笑う。

「馬鹿が! 俺に楯突いて生きていたものなど、皆無ぞ!」

 テオは紅い瘴気を放つ槍で、鋼輔の身体を滅多刺しにする。鮮血が王座に飛び散った。

「やめてくれ兄者! 私が大人しく生贄になる! それでいいじゃろう!?」

 イシュタムの悲痛な叫びが鋼輔の耳に響いた。身体に血の感覚が戻ってくるかのようだった。身体が熱い。怒りだった。

「ひゃははははははは! お前は黙ってみていろ! 生贄のお前に与えるのは苦痛と絶望。お前の味方など誰一人いない中でお前を喰ってやるぞイシュタム!」

 テオが狂ったように笑う。

「そのカンに触る笑い声をなんとかしろクソ野朗!!」

 鋼輔は槍を無理やり引き抜いて、倶利伽羅から居合いを繰り出した。テオの胸部に鮮血が散る。テオは不愉快そうに鼻梁をゆがめた。

「ランスギア・トラウィスカンパテクトウリの槍よ! アルマ=トゥーラ《乱撃必殺》!」

 テオは再び槍を利き手に召喚すると、槍を何本も複製し始めた。鋼輔を串刺しにするべく、紅い瘴気を放つ禍々しいそれらを、鋼輔に向けて放った。

 鋼輔はとっさに倶利伽羅で手前の槍を払ったが、数本同時に槍を受けてしまった。身体を串刺しにされ、血飛沫が王座を染めた。鋼輔はその場に倒れ、気が遠くなる。気がつくとイシュタムの膝枕の上にいた。イシュタムは双眸に涙を浮かべている。

「私――私は――、まだおぬしの名前すらきいていない」

「――」

 鋼輔は痛みと、口の中に血が溜まって言葉を口にできなかった。

『聞こえるか癒しの白竜、我が呼び声に応えて姿を示せ――』

 イシュタムの神獣召喚だった。水場に現れたのは癒しの白竜・ククルカン。

「成功した――! 我が癒し手、ヒーリングギア・ククルカン――白き風よ、勇者を包め!!」

 イシュタムの詠唱と共に、白い風が鋼輔の身体を柔らかく包み、身体中が熱を帯びる。細胞の一つ一つが活性化され、鋼輔の傷が癒えてゆく。槍で開けられた穴はみるみるうちにふざがっていった。それを見たイシュタムの表情が安堵に満ちる。

 鋼輔は即座に立ち上がり、倶利伽羅の一撃必殺――無拍の太刀の予備動作に入った。

「無拍の太刀――!」

 振りぬかれる渾身の一太刀。クリカラの蒼炎を宿した刃は、確実にテオの心臓を狙って放たれた。

「――!!!」

 テオの鮮血が血風となって飛び散る。テオは声もなくその場に倒れた。意識を失っている。神官達が画面蒼白になって叫んだ。

「なんということを!! 異国の痴れ者め!!」

 鋼輔は背後にいたイシュタムを抱えて走る。大理石で出来た、通気用の穴から飛び降りた。水上国家である護龍は、至る所に水脈があり、鋼輔が飛び降りたのも水の中だった。イシュタムを抱えながら、鋼輔は神殿の外の陸地に乗り出すと、追っ手の神官たちをまいて、地理もわからないまま、走った。

 あたりは夕闇に染まっていた。紫色の夜空に満天の星が輝き、美しい極彩色の花々や緑が茂っている。それがひどく能天気に見えた。鋼輔が走っているのは、水を意匠に組み込んだ豪奢な宮殿で、宮殿の外はどこまでも続く砂漠だった。

「ここはトゥラン王宮。砂漠のほうへいってはだめだ! 昼間とは打って変わって冷える。迷うぞ。ええと、名前――」

 イシュタムが、鋼輔に抱えられながら、もじもじと尋ねた。

「鋼輔、刃鋼輔だ。俺、ここの事全くわからないんだけど、イシュタムは道わかるか?」

「コウスケ。異国の名前だな。この先の道を左にいくと、王都トルテカへ続いている。王都のバザールの近くにある廃寺院に、身を隠そうと思うんだが――」

「わかった廃寺院だな。いってみるよ、道案内頼む」

「了解した、コウスケ――」

 イシュタムは鋼輔の腕の中で顔を紅くしていたが、鋼輔は走るのに必死でそれに気づいていなかった。

「追っ手をまけたみたいだな」

 二人がトルテカの廃寺院につくと、鋼輔がため息をついた。イシュタムがそのため息にびくりと身を震わせた。

「申し訳ない。私が召喚に失敗したばかりに――どうやら、鋼輔のブレードギアに宿っている黒龍に反応して鋼輔が呼ばれたらしい」

 イシュタムは申し訳なさそうに、身につけた白い羽毛の毛皮をいじくりいじくり言った。身体に密着した白い衣装は美しいイシュタムによく似合っている。

「俺は日ノ宮に戻れるのか?」

 鋼輔はイシュタムの様子を見て、不安げに尋ねた。

「それが――戻し方がわからない。ヒノミヤとは、護龍から見て異界にあたる世界。今回は事故でコウスケを召喚してしまったが、私は異界召喚が得手ではないし、献上都市に選ばれた都市は消滅してしまうのじゃ」

 イシュタムはうつむいてしゅんとした。両手が震えている。自分の兄がしたことや、召喚の失敗、追っ手のことを考えているのだろう。

「じゃあ俺は、どこに帰ればいいんだ――」

「面目ない。本当にすまないコウスケ――」

 イシュタムはますます、いたたまれない表情をしてうつむいてしまったので、鋼輔はあわてて話題を変えた。

「さっきの――継承式みたいのってなんなんだ? なんでイシュタムが生贄にならないといけないんだ? それになんで日ノ宮が献上都市?に選ばれたんだ」

 イシュタムは自分の境遇を思い出したかのように、顔色を変えた。

「トルテカでは王位継承式に、王位継承者が証として、神獣を召喚する。一族では女は生贄と決まっているのじゃ。兄者は王朝の戦闘神であるテスカトリポカを召喚し、見事王となった」

 イシュタムは複雑な表情で続けた。

「王位継承式では、帝国の太陽に捧げる生け贄の都市を異界から剪定する。それで、太陽に関わり深いコウスケの街が選ばれたのじゃ。そして私は、兄者を成巫させるための生贄の責務から救われたいと思い、トルテカ王朝の守護神を願い、失敗してコウスケを呼んでしまったのじゃ。本当にすまない――元の世界に帰る以外の、私に出来ることならなんでもする――私にいってくれコウスケ」

 イシュタムは美しい顔をずいっと鋼輔に近づけて、鋼輔の双眸を覗き込んだ。鋼輔はどぎまぎする。こんなに美しい少女を今まで見たことがなかったので、イシュタムの顔を直視できなかった。

「本当になんでも――?」

「なんでもじゃ」

 イシュタムが真面目な顔で頷く。生贄として生まれ、存在を否定されて育ったイシュタム。鋼輔はイシュタムを励まそうと、勤めて明るい声を出した。

「俺の為になんでもできるなら、生贄にならずにイシュタムには生きててほしいな。境遇はひどいけど、この世界のお姫様なんだろ? 俺は巫覡として故郷の日ノ宮を守るのが使命だったんだ。イシュタムみたいなお姫様もいたよ。でも俺は巫覡として――廻様を守れなかった。日ノ宮も廻様も、もういないのなら……、イシュタムを護る巫覡になるよ」

 鋼輔が月明かりの元、強い意志を黒い瞳に湛えて言った。

「私のために戦ってくれるというのか? 私がこの世界にコウスケを呼んでしまったのに?」

 イシュタムは涙ぐんだ。

「気にするな。それにテオとの戦いで、イシュタムに助けられたしな。ありがとう。あの癒しの白龍、ヒーリングギア・ククルカンだっけ? 凄いじゃないか。召喚に成功してよかったな」

「あのときはコウスケを助けようと必死になっていたから召喚できたんだと思う。ありがとうコウスケ。護龍の者は、誰も私に関心がなかった……生贄が姫の責務だといって――この世界で味方になってくれるのはコウスケだけじゃ」

 イシュタムは大粒の涙をこぼした。鋼輔は学ランのすそでイシュタムの涙をぬぐう。ブレードギア・倶利伽羅に宿る黒龍クリカラも、倶利伽羅から出てきて、慰めるようにイシュタムの周りを巡った。

「なんじゃ、コウスケの龍か? 黒龍とは珍しい――」

「クリカラっていうんだ。ブレードギア・倶利伽羅に宿っている龍だよ」

 イシュタムは辺りを巡るクリカラを見た。姫巫女だけに、クリカラが見えるらしい。イシュタムはクリカラを華奢な指で撫でる。クリカラは喜んでいた。

「コウスケやクリカラは優しいな。兄者も、コウスケやクリカラのようだったらいいのに。コウスケ、この国は少し変わっていてな? 王位継承者を除けば、護龍で最も力のある者が王の資格を得る。だから王都のコロシアムでは、王政に不満を持つ者も含めて、兄者に挑むものがあとを絶たない。挑戦者と兄者が戦うことになるのじゃが、コウスケが兄者に勝てば、国のしきたりを変えることができるかもしれぬ」

「俺さっき、テオを気絶させたんだけど……」

 イシュタムは力なく微笑んだ。

「先ほどの兄者は神獣召喚で消耗していた。普段はもっと強いのじゃ。ジャガーの黒騎士として呪鎧トナティウを纏い、宝剣のブレードギア・マカナを持った兄者に勝てるものはそういない。それに先ほどは兄者の慢心もあった。真剣勝負なら兄者に勝つのは難しいかも知れぬ。――見たほうが早いな」

 イシュタムは「生贄として育てられた自分を民衆は知らない」と話し、王都トルテカのコロシアムまで顔も隠さずに鋼輔を案内した。誰もイシュタムを咎めない。本当に、イシュタムを王都の姫巫女だと知っているのは鋼輔とトゥラン王宮の人間のみのようだった。

 鋼輔は王都トルテカを歩いた。遺跡を思わせる岩壁から滝が流れ、砂漠から風に乗って黄砂が流れてくる。露店が開かれ、行き交う人々は褐色の肌をしており異国情緒に溢れる、エキゾチックな雰囲気の街だった。

 イシュタムは都市中央にある大きな螺旋階段に鋼輔を案内した。人々はその階段を下りる。鋼輔とイシュタムもそれにならい階段を下りた。長い階段だった。四方には滝が流れ、地上より遙かに涼しい。肌寒いくらいで、海底洞窟のようだった。地下から歓声が聞こえてくる。そこは巨大なコロシアムだった。

 ゴゴォォン…… ゴゴォオン……

 コロシアムの開幕を告げる鐘が鳴り響く。漆黒の呪鎧を纏った騎士と、屈強な体躯をした戦士が戦っている。観客は熱狂し、仕合いを観戦している。王都の戦士である挑戦者と空皇帝(テオ・テスカ)による戦闘が行われていた。重装備に身を包んだ屈強な容姿の戦士、全身を漆黒の呪鎧で包んだスマートな鎧騎士が剣戟による戦闘を繰り広げている。今のところ力の差は見られない。

「黒い呪鎧騎士ほうがテオか?」

 鋼輔が隣にいるイシュタムに訊く。

「そう。黒い呪鎧騎士が兄者だ。コウスケにやられて、もう目覚めたとは……兄者はタフじゃの」

 場内が沸いた。真紅の呪鎧騎士が迅速な動きで、重装備の戦士の武器を剣戟で跳ね上げた。吹き飛んだ武器は場外の海底へ沈んでいった。海底で、巨大な祭壇と無数の人骨、肉食魚が揺らめいているのが見えた。武器を失った戦士は顔に焦りの色を浮かべている。漆黒の呪鎧騎士は躊躇うことなく、流麗な太刀捌きで戦士の首を撥ねる。周囲に血の雨が降り、漆黒の呪鎧騎士は盛大に返り血を浴びた。次の一太刀で戦士の身体を祭壇にある海底に沈める。漆黒の呪鎧騎士は弔いのつもりか、剣を独特な様式で構えると、敬礼した。

「容赦ないな。この仕合は死人が出るのか?」

 鋼輔が血なまぐさい光景から目をそらさずにイシュタムに聞いた。

「空皇帝(テオ・テスカ)に負けたものが海底の祭壇に落とされる。仮にも一国の主に剣を向けるのじゃ。負ければ反逆罪として処刑。この仕合で出る死体を、王都トルテカでは、呪われし太陽《イン=ティ》に捧げている」

「呪われし太陽《イン=ティ》?」

「護龍の太陽には生け贄がいる――生け贄がいなければ太陽はけして昇らず、夜明けもこない。呪われし太陽を信仰するトルテカでは、空の王・テオテスカが太陽に生け贄を捧げるのじゃ。一つ目の太陽が不信心により落ち地上を滅ぼしてから、太古のトルテカの王が巫力で第二の太陽を召喚したのじゃが、召喚された太陽は呪われていた。太陽の恩恵と引き替えに、毎日人間一人の命という供物を求める――無数の生け贄の血で呪いが浄化されるまで」

 イシュタムは悲痛な表情で、暗い空を仰ぐ。

「な、なんだそりゃ。俺のいた街の太陽は無償だったぞ。一体どうなってるんだ、この世界は――」

 鋼輔はまだ姿の見えない呪われし太陽《イン=ティ》に対して薄気味悪さを感じながらイシュタムを見返したが、先ほどの仕合を思い返して逡巡した。今の戦いからでは深紅の呪鎧騎士の本当の実力がわからない。相手に合わせて戦っているようにも見えたからだ。獰猛な重装備の戦士をいなしながらの戦い方に見えた。そのときだった。

 中央の螺旋階段から、野生の巨大な業影(ごうかげ)が疾走してきた。その業影は、鋼輔が日ノ宮で倒した黒影よりはるかに大きい、上位互換的な存在の妖だ。

「業影じゃ――、珍しくはない」

 鋼輔と話をしていたイシュタムが言った。王都では黒影や業影がそこらじゅうに生息しているので迷い込んだのだろう、と続ける。空皇帝(テオ・テスカ)のいる場内に巨大な業影は足を踏み入れ、空皇帝を威嚇した。

「おもしろくなってきたぞ」

 観客達は口笛を鳴らした。業影は当然先ほどの重装備の戦士より遙かに強い。巨大な体躯をした獰猛な業影だ。空皇帝はブレードギア・マカナを抜くと、業影に構える。隙のない構えだった。

「おおおおおおおおおおおおおッ!」

 腹に響くような咆哮は漆黒の呪鎧騎士・空皇帝(テオ・テスカ)によるもので、大振りの一太刀を業影に浴びせていた。大剣の遠心力ですさまじい威力を持った真空の一閃は、赤い斬撃のインパクトと共に業影の装甲にヒビを入れた。一撃目のヒビから力づくで業影の装甲を粉砕。巨大な業影を一撃で一刀両断し、漆黒の鎧に雨のように黒い体液を浴びていた。

 ズシン、という音を立て、業影の骸が場内に倒れる。空皇帝は業影の骸を海底の祭壇へ蹴落とし、高らかに謳った。

「我が屠りし、呪われし太陽《イン=ティ》に捧げし贄どもよ、太陽の加護となり王都トルテカを照らせ!!!」

『照らせ! 太陽の加護を!!』

 観客が沸いた。空皇帝(テオ・テスカ)はあの独特な構えで一礼する。屠った 戦士と業影の体液を浴びた恐ろしい姿のまま、マントをなびかせて闘技場の奥へと戻っていった。

 観客は次々、螺旋階段を上っていく。仕合は終わりらしい。仕合の場内は血で汚れている。巨大な業影を一撃で屠る。あれがこの王都を支配する空皇帝(テオ・テスカ)の力なのだ。

「強いじゃろう。ジャガーの黒騎士に扮した兄者。空の王、空皇帝(テオ・テスカ)は」

「……同じだ」

「なんじゃ?」

「テオは俺の無拍ノ太刀と全く同じ、真空の一閃を放っていた――」

 鋼輔はそういって戦慄した。トゥラン王宮で剣を交えたときは気づかなかったが、コロシアムの真剣勝負の際に、テオは自分と全く同じ剣を振るっていた。イシュタムは、テオの剣を見て狼狽する鋼輔に澄んだ瞳を向ける。

「コウスケ、王都トルテカのコロシアムにはこのような伝承がある。『黒き髪、白き肌の暁の剣士が王に挑みしとき、呪われし太陽はその力をひそめ、空には暁の太陽がのぼり、護龍の繁栄が約束されるであろう』とな」

 イシュタムは鋼輔を見て、続けた。

「黒き髪、白き肌の剣士とは、まるでコウスケのようじゃろう? 私はコウスケが王都トルテカに伝わる暁の剣士であることと、護龍を呪われし太陽から救ってくれると信じているぞ。その証拠に、生贄になるはずだった私を、剣をもって兄者から助けてくれたではないか」

 鋼輔はイシュタムが向けてくる強い感謝と信頼に狼狽したが、その真摯な感情に応えるべく言葉を続けた。

「……俺まだこの世界のこととかよくわかってないけど……。やるよ――テオともう一度戦う。イシュタムがこの世界で笑って生きられるように」

「コウスケ――! ありがとう」

 イシュタムは涙ぐんで、鋼輔の手に優しく触れる。鋼輔は護龍の姫巫女イシュタムを生贄の責務から救うために、護龍を統べる空皇帝(テオ・テスカ)に自分の剣で戦いを挑むと固く決意した。

Return Top