第二話 黄金の意志

 広い花園の一角で、メイルは淡いピンク色のコスモスの苗を手にしていた。ふかふかした暖かい土を両手ですくい、コスモスの苗を丁寧に植えていく。コスモスの花壇を作ると、メイルは額の汗をぬぐった。

 コスモスの花壇の正面には、朽ち果て花園の一部となった、大きな像があった。翼を広げる荘厳な姿。色あせた鉛色の身体にくまなく苔や植物の蔓が這い、所々花を咲かせている。この像は、太陽神を模した『シャマシュ』と呼ばれる花園の守り神だ。メイルは花園の植物が健やかに育つことを祈って巨大なシャマシュに手を合わせる。

 メイルは水場で手を洗った。腰まである淡色のサイドポニーテールを揺らし、白いワンピースをひるがえしてジムダルの元へ駆ける。白いサンダルの靴底が石畳を打った。

「終わりました。ジムダルのコスモス、とっても綺麗ですよ」

「今年もいい苗だ。世話はしっかりな」

 熊のような低い声で応えた庭師のジムダルは、バラ園の手入れをしていた。逞しい体躯に、日に焼けた肌、白髪に白髭、庭師の格好。初老にさしかかろうとしている年齢で、メイルが幼いころからメイルの側にいて、面倒を見てきた。

「お昼の時間にしませんか?準備してきます」

 メイルはそういうと、日当たりのいい、ガラス張りの炊事場でタマネギのスープ、ライ麦パンにベーコンと野菜を挟んだサンドイッチを作った。野菜は全て農園でジムダルと収穫したものだった。ティーセットを取り出して、ジムダルに教えてもらった手順で紅茶を淹れる。それらを銀色のトレーに載せると、花園の中心にあるガーデンテーブルに運んだ。

「怖い夢を見たんです」

 メイルがサンドイッチを頬張りながら、小さな声で言った。

「またか?」

 ジムダルはごつごつした手で華奢なティーカップを持ち、紅茶を飲みながら眉を寄せた。メイルは憂鬱そうに、こくん、と頷くと、夢の内容を続けた。

「知らないはずなのに――私のお父さんとお母さんがいるんです。「寂しい思いをさせたな」って優しく話しかけてくれて、私は凄く安心した気持ちになるんです。会ったことないけど、両親がいたら――こんな感じなんだろうなって」

 ジムダルは真剣な顔で、静かにメイルの話を聞いている。

「でも、突然あたりが暗くなって、お父さんとお母さんは大勢の人に囲まれて――その、殺されてしまうんです。私は見たくなくて、やめてって叫んでも届かなくて、起きると、私は涙を流して呆然としていました」

「――忘れたほういい」

 ジムダルは、絞り出すように、掠れた声で応えた。メイルが、意を決したように口を開いた。

「ジムダル。私の――お父さんとお母さんはどこにいるんですか? どうして私は生まれたときからこの花園にいて、外に出てはいけないのですか? ジムダルは、私の世話をずっとしていてくれるけど、どうしてですか――?」

「お前の両親のことは――知らん。お前はこの花園の揺りかごに置き去りにされていた。儂は、庭を転々とする、ただの庭師だ。この花園にはお前がいたから、長く居着いているがな」

 ジムダルが、メイルの疑問に立て続けに応えた。

「外の世界は、知らんほうがいい」

 会話の終わりを匂わすように、ジムダルが飲みさしのティーカップを置いた。メイルは、サンドイッチを頬張りながら、なにか考えているようだった。しばしの沈黙のあと、メイルが口を開く。

「花園にある大きな像――シャマシュは太陽神の像だとききましたが、どこの神話の神様なんですか? 書庫の本を読んでも、見つけることができませんでした」

「エドゥアルドの民という民族の神話だよ。シャマシュは太陽神、万物の恵みの源である。エドゥアルドの民や、一部の文明では、太陽を象徴するものを王と呼んでいた。そのくらい、太陽は万物にとって必要不可欠なもので、それを象徴する者も偉大だったのだ」

 ジムダルは遠い神話に思いをはせるように、目を細めてメイルに話す。メイルはジムダルのこういった話を聞くのが好きだった。

「じゃあ、ここでお花達やシャマシュを管理しているジムダルは、花園の王様ですね」

 メイルがそういうと、ジムダルが苦笑した。

「そうだ。儂の最後の王国だ」

 メイルがふふ、と笑うと、持っていたティーカップに視線を落とす。琥珀色の紅茶に、メイルの顔が映っていた。

「私は、私の事を、なんにも知らないんです」

「誰だってそんなもんだ。自分自身を知っていも、記録や記憶を剥いていくうちに、確固たる中身などなく、目に滲みて泣くってはめに陥る。タマネギみたいにな」

 ジムダルがタマネギのスープをスプーンで掬い、冗談めかして言った。

「ジムダルも、自分の事がわからないんですか?」

「わからん。だから気休めに、花をいじっているのかもな。ご馳走だった。今日もうまかったぞ」

 ジムダルは食事を終えると立ち上がった。メイルは食器を片付けると、庭仕事に戻ろうとするジムダルの服の裾を引っ張った。

「お願いがあるのですが……」

「いつもの『あれ』がみたいのか?」

 メイルが頷く。ジムダルは、石畳をメイルと歩き、大きな噴水を抜けると、鍵を取り出して石造りの神殿(ジグラッド)の扉を開いた。神殿(ジグラッド)の中は、天井がガラス張りになっているため、太陽光が差し込んでいた。暖かな空気で満ちている。メイルとジムダルが歩を進める広間の中心には、太陽光を反射して輝く、巨大な黄金像があった。

「――スペリオールラグーン。この黄金竜には、どんな意味があるのですか?」

 メイルが巨大な黄金竜を見上げ、隣にいるジムダルの表情を伺った。

「黄金とは、物質的な意味を差すものだけがそう呼ばれるわけではない。黄金の意志というものがある。誰の心にもある、最も美しい部分だ」

「最も美しい部分とは? お花を綺麗と感じる心――ですか」

「人の心が理不尽に傷つけられ、踏みにじられそうになったとき。『人の為に戦う意志』が黄金なんだ。この黄金の意志は誰の心の中にもある」

「私の心の中にも?」

 メイルが白いワンピースの胸元に両手を置いて、ジムダルに尋ねた。

「勿論だ。これは、お前を花園で見つけたときに、お前が掌に握っていた指輪。お前の出自を握る大事な指輪だ。無くすといけないからお前が大きくなるまで預かっていたが、今渡しておこう。この指輪と、『誰かの為に戦う意志』を、絶対に手放すなよ。もし今後、お前の身が危なくなったら、この二つに祈るんだ。いいな」

 真剣に話すジムダルが手渡してきたのは、メイルの瞳と同じ色の蒼い宝石が台座にはめられた、美しい指輪だった。メイルは受け取って、指輪を眺める。

「凄く綺麗な石ですね――でもなんだか、懐かしい」

 メイルは指輪を右手の薬指にはめると、太陽の光に蒼く透き通る宝石を透かして微笑んだ。ジムダルはその様子を見て、安堵の表情を浮かべている。

 その時だった。花園の外から爆撃にも似た音が響く。不審に思ったジムダルとメイルが花園に戻ると、花園を形成していた空間が、割れたガラスのように大きく破壊され、欠けている。その側には、黒紫の流線的なフォルムを持った巨大な機械兵が、不気味な黒斑を周囲に浮かべて佇んでいた。

「ジムダル、これは一体……」

「発見!! 封珠の御子発見しました、ドラゴ将軍!!」

 割れた空間から複数の武装した者達が表れ、叫んだ。メイルの側にいるジムダルを見るなり、威嚇のためか、ジムダルの足下に発砲する。

 ドラゴ将軍と呼ばれた、先頭で軍隊を指揮する男は、猛禽類のような鋭い目つきをしており赤毛をオールバックに撫でつけ、頬に入れ墨があった。屈強な体躯で、独特の威圧感を放ち、軍隊を指揮している。

「動くな! エドゥアルドの王(ルガル)・ジムダル! 封珠の御子を引き渡せ!」

「メイル。さっきの広間に逃げろ。鍵を掛けて、しばらく出てくるな」

 ジムダルはメイルに神殿(ジグラッド)の鍵を渡すと、メイルを花園の奥に追いやろうとした。

「どういうことですジムダル!? どうするつもりですか!?」

「いいから行け! ――もし儂が戻ってこなかったら、その時は祈れ、指輪とスペリオールラグーンに。――行け!!」

 メイルはジムダルに命じられるまま、スペリオールラグーンのいる神殿(ジグラッド)へと走った。ジムダルが心配で振り返る。地響きと共に巨大な黒紫の機械兵が、ジムダルに迫り、踏み潰そうとしていた。ジムダルが右手に琥珀色の指輪をはめ、ドラゴ将軍に向けて叫ぶ。

「ライドギアを悪用するなど……恥を知れ! 我が呼び声に応えよ、シャマシュ! アルム【光閃】!!」

 花園に半身を埋めていたシャマシュの像が輝き、翼が開いた。ジムダルはシャマシュの操縦席に転送される。シャマシュに絡みついていた苔や植物は、命を持ったかのように、シャマシュから離れていく。

 シャマシュの動力炉に古代魔術(エンシェントルーン)のエネルギーが収束し、火の粉にも似た琥珀色の魔力粒子が周囲に舞った。花園上空に姿を現した、琥珀色に輝くシャマシュから、一斉に無数の太陽光閃が放たれる。アカーシャの光閃に焼かれ、逃げ惑う兵士達。

「上等だ、ルガル・ジムダル! 我がライドギア・ムスタバルに挑む勇気は褒め称えてやる!だが俺の狙いは封珠の御子、邪魔立てするなら始末する!」

 ムスタバルと呼ばれた黒紫の機械兵は、衝撃波を纏った拳を突き出し、集中砲火される太陽光線を相殺した。巨体に似合わぬスピードで、シャマシュまで接近する。ムスタバルの周囲には黒斑が浮き、古代魔術(エンシェントルーン)の重力エネルギーを纏った拳でシャマシュに重撃を放った。

「スクラップにしてくれるわ、ギラム【重撃】!! 封珠の御子も逃がさん!!」

 シャマシュはムスタバルの重撃に光閃で迎撃し、打撃のインパクトでお互いのライドギアのエネルギー粒子が舞った。ムスタバルは、奥の神殿(ジグラッド)へと逃げるメイルに、エネルギーの黒斑を飛ばした。メイルの周囲が重力を纏った爆発に包まれる。

「なにっ!?」

 花園の植物が命を持ったようにうねり、ムスタバルの機体に足下から絡みついて攻撃を妨害していた。身動きのとれないムスタバル。

「足下を見ないからそうなる。お前の相手は儂だ。よそ見をするな」

 ジムダルが操るシャマシュが、琥珀色の粒子に包まれながら、ムスタバルに容赦なくアカーシャの光閃を放つ。

 メイルは二人の戦闘を後目に見ながら、スペリオールラグーンのいる神殿(ジグラッド)に逃げ込み鍵をかけた。その場にへたり込むメイル。

 目の前にそびえ立つ黄金像、スペリオールラグーンは、何事もなかったかのように、静寂に包まれて鎮座している。ジムダルはシャマシュを動かして戦っていたが、花園に侵入してきた軍隊もシャマシュと同じ――ライドギアと呼ばれる魔術兵器を使役していた。

 メイルは全身から恐怖を滲ませながら、神殿(ジグラッド)の外から大きな音が聞こえるたび、スペリオールラグーンに祈った。ジムダルが死んだりしませんように。ジムダルとの思い出を反復するように、メイルは震える両手を握って祈った。

『おいくそガキー!!』

 拡声器から響いたのは、ムスタバルを使役するドラゴ将軍の声だった。びくんと身体を震わせるメイル。

『ジジイはやられたぞ、殺して欲しくなくば、そこから出てこい!』

「来るなメイル!! 祈れ! スペリオールラグーンに!!」

『黙ってろ、死に損ないが!』

「ぐあぁああ!」

 メイルは身体が引き裂かれそうな心地になりながら、ジムダルの言うとおり、スペリオールラグーンに祈っていた。ジムダルはメイルを助ける為に戦っている。人の為に戦うことが『黄金の意志』で、ジムダルは誰の心にも黄金の意志はあると言った。

「お願いです、スペリオールラグーン! 私に力を! ジムダルの為に戦える力を下さい!!」

 メイルは声に出して祈っていた。

 その瞬間スペリオールラグーンが黄金に輝き、メイルもまばゆい光に包まれる。メイルの身体が、ライドギアを扱うためのギアスーツを纏っていた。

 気づくと、メイルはスペリオールラグーンの内部に転送されていた。古代魔術を用いた操縦席。左右に二つの魔石が鎮座されている。メイルがそれに触れる。操作は感覚的で、指先の意志の通りにスペリオールラグーンの四肢が動いた。

「我が呼び声に応えよ、スペリオールラグーン!」

 メイルが命じると、スペリオールラグーンが雄叫びを上げる。黄金の巨躯は勇ましく、動力炉からエネルギーが呼応するように全身に循環した。スペリオールラグーンがホバリングし、蒼い魔力粒子が舞う。

「ジムダル! 今助けにいきます!!」

 メイルがスペリオールラグーンを疾駆させ、神殿(ジグラッド)の石畳を豪快に破壊する。ジムダルとドラゴ将軍のいる花園へ向かう。

「ジムダル!!」

 メイルが見たものは、焼かれ踏み荒らされた花園。ムスタバルの腕に宙吊りにされている、生身のジムダルだった。ジムダルはまぶたを深く閉じ、口元から一筋の血を流して、胸が鮮血で赤く染まっている。ムスタバルから降り、ジムダルの傍らにいるドラゴ将軍。ドラゴ将軍の掌には、ジムダルのものらしき心臓が握られている。

「――フン、遅かったな。出てこいといった時に、出てきていればよかったものを。自分の物わかりの悪さを呪うんだな」

 ドラゴ将軍が不愉快そうに吐き捨てた。ジムダルの遺体から、琥珀の指輪を奪おうとしている。

“人の心が理不尽に傷つけられ、踏みにじられそうになったとき。『人の為に戦う意志』が黄金なんだ。この黄金の意志は、誰の心の中にもある”

 メイルの頭の血が逆流した。

「よくも――よくもジムダルを――!!ジムダルに触るなぁ――!!」

 メイルが生身のドラゴ将軍に特攻するべく動力炉に古代魔術(エンシェントルーン)のエネルギーを増幅させる。蒼い魔力粒子があたりに舞った。

 だがその瞬間、今までいたはずの花園は消えてなくなり、後に残ったのは、薄暗く寂れた神殿(ジグラッド)と、大きな街の廃墟だった。

「ジムダルの死で、ジムダルの『幽世の陣(かくりよのじん)・王者の花園』も消えたか。シャマシュのエネルギーで作られた有機結界の中で、今までお前達は暮らしていたのだ。ジムダルは、この廃墟と化した戦士の街・ラガシュの太陽を司る王(ルガル)だった。お前といたあの花園が、奴にとって最後の王国だったわけだ」

 残ったのはドラゴ将軍と、ジムダルの遺体。ドラゴ将軍はジムダルの心臓と指輪を、副官らしき男に手渡す。

「ヘルダー、ジムダルの心臓をシリンダー化しろ。指輪も保管しておけ。俺はこれから、封珠の御子の確保を行う。面白いライドギアに乗っているようだからな――」

「ご武運を」

 副官のヘルダーが一礼して下がった。再びムスタバルの中に転送されるドラゴ将軍。

「フン、何が戦士の街・ラガシュの王だ。封珠の御子といえばきこえはいいが――こんなガキとお花畑に隠居して、おままごと生活をしていたとはな。王の名が泣く」

 メイルが山猫のように神経を逆立てて猛った。

「ジムダルの悪口を言うな――この人殺し!!!」

 メイルはスペリオールラグーンの鋭利な爪で、ムスタバルに襲い掛かった。

「殺してやるさ、俺の計画に邪魔な者は何人でもな!!」

 ムスタバルはスペリオールラグーンと組み合うと、重力のエネルギーを拳に込め、スペリオールラグーンを押し返した。辺りに浮かんだ重力の黒斑を、スペリオールラグーンの至近距離で爆発させる。

「あぁっ!」

 スペリオールラグーンは爆発によろめく。隙を突くように、ムスタバルが重力を纏った拳で衝撃波を放った。神殿(ジグラッドの)白い煉瓦がブロック細工のように破壊され、衝撃波と共に吹き飛んだ。

「重撃【ギラム】! だが、お前は殺さん! 我々に必要な、封珠の御子だからな!!」 

 赤い衝撃波がもろにスペリオールラグーンに衝突した。装甲が破壊されそうな衝撃。操縦席のメイルも衝撃波のダメージを受けていた。

「お前には特別に、冥府の景色を見せてやろう――」

 メイルの視界が、赤黒い異様な空間に浸食されていく。漆黒の山脈に、不気味な赤い空。あたりには不気味な黒斑が無数に浮かんでいる。底のない足下には黒いフードを被った亡者達が、ムスタバルを讃えるように蠢く。

 古代魔術(エンシェントルーン)のエネルギーを一極集中させ、空間に仁王立ちするムスタバル。次の瞬間、光速の連続攻撃が黒斑を誘爆しながら、スペリオールラグーンに炸裂した。

 巨大なハンマーのような重撃連打、身体を巻き込む黒斑による重力爆発。ムスタバルの拳に巨大な黒いエネルギーが収束する。紫の魔力粒子が辺りに舞い、出力を高めていく黒斑――ブラックホールを形成するエネルギーの塊を、重力を込めた渾身の力で、スペリオールラグーンに叩き付けるムスタバル。

「冥府の景色はどうだぁ――フハハハハ!!!」

 連続攻撃の衝撃で、メイルの視界が反転し、亡者のいる山脈の谷底に落ちるスペリオールラグーン。操縦席に巨大な亡者の手が伸びる。亡者の手に捕まり、メイルはもがいた。ギアスーツも破り取られ、巨大な亡者に首を絞められる。呼吸ができなくなり、メイルはフードで隠れた亡者の顔を見上げた。

 不意にフードがめくれ落ちる。メイルは驚愕して、涙を浮かべた。
 亡者は、ジムダルの顔をしていたのだ。

「俺の幽世に、新たな亡者が加わったな。冥府王ムスタバルを讃えるがいい、ジムダル」

「御身のままに。――死ね、メイル」

 ジムダルに心臓を貫かれる。激痛が走りそれが幻ではないことを実感するメイル。ジムダルの手には、メイルの心臓が生暖かく鼓動していた。

「嘘だぁ―――!!」

 スペリオールラグーンは底なしの亡者の谷を落ち続け、メイルは泣き叫んだまま意識を失った。メイルが意識を失うと同時に、『幽世の陣・冥府王ムスタバル』は砕け、空間の破片となって消えた。メイルは、ラガシュの神殿(ジグラッド)に、生身で投げ出された。

「少々やりすぎたな」

 メイルの心臓を掌に握っていたのは、ドラゴ将軍だった。生きた心臓が生暖かく鼓動している。

「ヘルダー。封珠の御子――くそガキを確保したが負傷させた。飛空挺(シュガルラ)内で治療させろ。死なれてはかなわん。くそガキの指輪も外して金庫に保管しておけ」

 ドラゴ将軍は終わった戦いに興味が失せたと言わんばかりに、傍らに待機していた副官ヘルダーに、メイルの身体をなげやりに預けた。ヘルダーは背の高い、くせっ毛の美青年で、端整な顔立ちをしているが、どこか冷笑的な雰囲気が滲み出ている。

 メイルを抱えた際に、自分の両手に他人の血液が付着したのを見て、ヘルダーは端正な鼻梁を僅かに歪めた。

「これで我々の計画に一歩近づいたわけだ。計画に成功しなければ、俺がシリンダー化させたラガシュの住人共も浮かばれんからな」

 廃墟と化したラガシュの街を一瞥して、ドラゴがヘルダーに言った。

「護龍をドラゴ様の手でお治め下さいませ。新たな太陽を手にとって」

「言われずともそのつもりだ――フハハハハハ!」

 ヘルダーの一礼に、ドラゴ将軍は高笑いで応えた。メイルはうっすらと取り戻した意識と、心臓をえぐり取られた激痛の中、底知れない悪意というものに初めて触れ、優しかったジムダルを思い出し、一筋の涙を流した。

「うっ――ジムダル――」

 飛空挺(シュガルラ)の医務室で目を覚ましたメイルは、起きあがろうとしたが胸部の痛みに肘をついた。あたりを見回すと、培養液に入った人体のパーツ、精密機械が立ち並んだ部屋で、こちらを見ている人物がいた。

「目を覚ましたかね」

 黒い長髪、三十代なかばの男性で、左眼に黒いモノクルをはめている。理知的な雰囲気を纏い、黒曜の双眸は思慮深く、学問に精通する人間の趣があったが、がっしりした体躯で頼りなくは見えなかった。黒い紳士服を着て、佇まいに品がある。

「――あなたは――お医者さんですか?」

 メイルの問いに、その人物は苦笑して応えた。

「医者ではないよ。私は正規軍の研究者で、魔造細胞から作った人体のスペアパーツを作っている。負傷した兵士の治療のためにね。君の欠損した心臓も、心臓のスペアパーツで治したんだ。君の本物の心臓は欠損していて移植できなくてね――」

「ありがとう――でも私をどうにかするために、軍隊は私を生かして捕まえたんですよね?」

 男は応えにくそうに、視線を泳がせたあとに応えた。

「ああ――そうだ。詳しくは言えないが、君が酷い目に遭うのは確かだ」

 メイルは辺りを見回して、棚に並べられた『シリンダー番号:1450 ジムダル』と書かれた、小型の培養液に入れられた心臓を見つけた。メイルはジムダルのシリンダーに駆け寄ってそれを手を取ると、男をきつく睨んだ。

「人でなし!! 優しかったジムダルが、なぜこんな目に遭わないといけないんですか! ひどい……ひどすぎます……!! こんなことして何しようっていうんですか……!」

 男はメイルからシリンダーを取り上げると、言いにくそうに口を開いた。

「君の言うとおり、我々は人でなしだ。私は正規軍に雇われている――不本意ではあるが、命令に背くわけにはいかない」

「命令ってなんです!? あなた方には、誰かの為に戦おうって気持ちはないんですか!? 自分勝手な理由で、なにかを奪うために戦うんですか!? そんなの間違ってる!!」

 メイルが泣きながら訴える。男はこのような訴えに弱いらしく、目に見えて動揺していた。

「私に守るものと、立場がなければ――戦っていたよ。信じてもらえないかもしれないが。ただ正しいことをして、それだけで物事が正しく進んで、正しく生きていけるほど、この世界は簡単には出来ていないんだよ。わかってくれとは言わないが……」

 男は罪悪感からか真摯な口調で言った。メイルは我に返って、静かに口を開いた。

「すいません――あなたに言っても仕方がないですね。でもジムダルが死んで、気持ちのやり場がなくて――」

 メイルが涙をこらえた。

「君は生まれてから、12年もジムダルの幽世の陣で暮らしていたんだ。無理もない。親しい者が亡くなって、平気な人間などいないよ」
 
「ジムダルは本当に優しい人でした。最後の会話で、『誰かの為に戦う意志が黄金なんだ』って、教えてくれました。そして、黄金の意志は誰の心にもあるって。それで私はドラゴ将軍と戦って――負けてしまったけれど、あなたも大事な人を亡くしたことが?」

 男は、話しづらいのか、白衣を着た部下数名を医務室から退出するように命じ、一沈黙置いてからメイルに応えた。

「――私も、大事な人を立て続け亡くしたよ。それが弱みになって従軍する羽目になってしまった。私は先ほど降りた戦士の街・ラガシュの出身だ。『誰かの為に戦う戦士であれ』と幼い頃から言われ続けてきたことははっきり覚えている。今じゃライドギアを召喚する指輪も奪われ、戦士(ライダー)とはいえなくなってしまったが――」

 男は力なく微笑んだ。

「あなたの名前は? 私はメイルと言います。なんとかの御子――ではありません」

 メイルが、男に興味を持ったのか、仕事に戻ろうとする男に話しかけた。

「私はブロス。今は軍属の研究者だが、昔はラガシュで軍人をしていた。本来だったらラガシュの神殿(ジグラッド)で生きる君達を守る、戦士(ライダー)の一人だったはずだった。今じゃ軍隊の犬だよ。本当にすまない」

 ブロスは申し訳なさそうにメイルに言った。

「私は指輪を奪われてしまいました。指輪さえあれば、スペリオールラグーンを召喚して逃げられるのに。ブロスさんも、指輪を奪われて従軍しているといいましたが、お互い苦しい立場ですね……」

「――時に、君に覚悟はあるか?」

 ブロスが真剣な顔で訊いてきた。

「覚悟?」

「誰かの為に戦う覚悟だ」

 メイルが涙ぐんだ。

「あります。でも、もう誰のために戦っていいのかわかりません……」

「分かった。少し待っていなさい」

 ブロスは部屋を出て、しばらくして戻ってきた。その後、医務室のコンピュータを操作して、小さなSDカードになにか情報を移しているようだった。移しきれない書類のデータをトランクに詰めている。ブロスは船内の監視記録を切ってから、無線でどこかに連絡を取り始めた。

「……逃走先は夜都ダロネア。逃走人数は二名だ。受け入れてくれたら、私の技術や、現在握っているウィツィロトのデータを全て渡す。……ああよろしくたのむ」

「ブロスさん、今のは…?」

「逃走先の確保だ。これでも戦士(ライダー)のはしくれ、ラガシュに生まれたライダーならば、街の象徴である、封珠の御子を見殺しにはできない。腹を決めた」

 メイルは驚いてブロスの顔を見た。

「私が君のために戦おう。ラガシュは滅びてしまったが――ラガシュのライダーとして。君は誰かの為に戦う覚悟があるといったな。私と一緒に戦う覚悟はあるかね?」

 ブロスがメイルに向かって真剣に問いかけると、メイルが涙ぐんで、頷いた。

「あります、私にできるのなら、一緒に戦います」

「ではこれを渡そう」

 ブロスが渡してきたのはメイルの蒼い指輪だった。メイルがブロスの指を見ると、右手の薬指にブロスの瞳の色と同じ黒い石の指輪がはめられていた。

「ブロスさんが指輪を取り返してくれたんですね、ありがとう……!」

「ああ、早くこの飛空挺(シュガルラ)から脱出しよう。今の進路は惑星キエンギのラガシュを発って数時間、もう少しで護龍の軍都ヴァルバにある正規軍本部に着いてしまう。だが幸い成層圏内で、我々が外に出てライドギアを召喚しても問題ない。急ごう」

 ブロスはそういって準備したトランクを持つと、メイルを医務室の外へ連れ出した。だがその瞬間けたたましいアラームの音が鳴り響き、警報が鳴った。

「金庫室に私のIDで忍び込んだのが、ヘルダーにばれたな。急ぐぞ、ここから一番近いA区画のダストシュートから脱出する」

「はい!」

 武装した兵士達のけたたましい足音が響き、隣の通路を横切っていく。ブロスとメイルはA区画を走って、ダストシュートの扉を探した。

「いました、ブロスです!! 金庫から指輪を奪って逃走中!!」

 ドラゴ将軍の副官ヘルダーが兵士達の先頭におり、兵士は躊躇なく発砲する。ヘルダーはブロスを見るなり端正な顔を歪めて、苦言を吐いた。

「やはりおまえかブロス! 我が軍への忠誠心の低い貴様など、はなから信用していなかったがな!」

「気が合うな、お前を信用していないのは私もだヘルダー! ドラゴの腰巾着が!!」

 ブロスはそういうと、トランクから出した銃で背後の非常口の扉に発砲した。風圧で鉄の扉が外に吸い出されていく。ブロスは意を決したかのように一呼吸すると、メイルを腕に抱えて、空へ飛び降りる。

「撃て!! 逃がすな!!」

 真っ逆さまに夜空を落下していくブロスとメイル。すれすれで飛び交う銃弾。ブロスとメイルは視線を合わせて、同時にライドギアを召喚した。

「我が呼び声に応えよ、スペリオールラグーン!」
「我が呼び声に応えよ、インフェルノ!」

 二人のライドギアが、まばゆい光とともに召喚される。飛空挺(シュガルラ)を追い越し、黄金の影と、漆黒の影は、お互いを追うように月下の空を疾駆した。

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