第一話 メイル編プロローグ

 夜空に蒼い軌跡を残し、流星が降りそそぐ。濃紺の宵闇、星々の天蓋(てんがい)が広がる海峡の夜。胸を透く美しい静寂を破り、ライドギアの駆動音が響く。 黒鋼の巨人が星空を飛翔し、前方の黄金竜を追った。

「追撃せよ、駆逐せよ」

 黒鋼の巨人――ライドギア・インフェルノを駆るブロスの口元が、無感情な声を発する。インフェルノの搭乗席は蜘蛛の巣のように密集するパワーケーブルに侵食されていた。搭乗者であるブロスの身体は、無数のプラグコードに直結されている。自身の意思が感じられない虚ろな眼。ニムロッドに幽体を侵食され、ブロスの自我というものは幾許も残っていないようだった。

 前方を逃げるように飛翔する黄金竜――ライドギア・スペリオールラグーンに搭乗したメイルは、未だ攻撃の決心がつかないかのように、鋭爪の切っ先を鈍らせている。

「ロンド【輪舞】」

 ブロスが呪文を発すると、古代魔術《エンシェントルーン》の蒼い粒子が舞い、インフェルノから神速の連続攻撃が展開される。

「シールド展開――!」

 メイルはスペリオールラグーンから魔力シールドを広げる。蒼い魔方陣が広範囲に展開され攻撃を受け止めるが、インフェルノの勢いに押されていた。スペリオールラグーンが断崖に背を着く。隙が出来た瞬間、インフェルノが竜騎士の槍撃を見舞う。渾身の一撃が、スペリオールラグーンのシールドを破る。スペリオールラグーンは破損し、谷底に叩き落とされた。

「アグニ【爆炎】」

 インフェルノは墜落したスペリオールラグーンに追い打ちをかけるように、爆炎の攻撃呪文を放った。スペリオールラグーンが炎に包まれ落下する。インフェルノが谷底へ駆動し、ショートするスペリオールラグーンに馬乗りになる。インフェルノはスペリオールラグーンの搭乗席に竜騎士の槍を振りかぶり――串刺しにした。黄金の装甲が貫かれる。

「ああっ!」

 メイルが呻く。インフェルノは竜騎士の槍で、スペリオールラグーンを滅多刺しにした。一方的な殺戮。

 インフェルノが竜騎士の槍をふるうたびに空間が黒色に変質していき、辺りが灰色の空、影絵の森に囲まれる。幽世(かくりよ)の陣。ブロスの指輪にはめられたギアストーンが作り出す像――ブロスの心象風景に、あたりが塗りつぶされてゆく。

 それは生というものが一切感じられない、美しく荒廃した地獄だった。灰色の空に、重なる枯れ木のシルエット、静かに響く弦の音色。胸をつく叙情と孤独の空間。メイルはブロスの心の内を見た気がして、胸が締め付けられた。

「ブロスさん――」

 メイルは搭乗席に突き刺さる竜騎士の槍によって負傷しながら、ブロスに呼びかけた。反応はない。インフェルノは、荒廃の地獄の情景のなか、絶え間なくスペリオールラグーンを責め苛む。

 竜騎士の槍がメイルの心臓を貫かんとする、まさにその瞬間だった。インフェルノの攻撃が止まる。

「……やめろ……」

「……メイルを傷つけるな……」

 インフェルノの搭乗席にブロスの声が響いて消えた。搭乗席に密集するプラグコード、パワーケーブルの狭間から、ブロスの両腕が露出される。ブロスは渾身の力で機械の拘束を引き千切った。搭乗席の通信にブロスの半身が現れる。

「何をしている!! 長くは保たん、早く私にとどめをさせ!!」

 ブロスがスペリオールラグーンの搭乗席で放心しているメイルを叱咤する。メイルの唇はわななき、攻撃呪文を発せられない。

「ブロスさん、やっぱり私にはできません……」

 メイルの双眸から涙が流れ、搭乗席で力なく両手を脱力させながら、インフェルノの機体から眼をそらす。ブロスは一瞬逡巡したが、いつもと変わらない様子で応えた。

「大丈夫だメイル、私は死んだりしない」

 メイルを安心させるための――決死の覚悟で見せた笑顔が、通信で搭乗席に映った。

「――っ」

 その笑顔と言葉を、初めて会った時もブロスは見せ、口にしていた。ブロスは窮地に陥った時ほど、メイルを安心させようと優しい笑顔を見せてきた。だが昔と今では情況が違う。メイルもスペリオールラグーンも成長し、スペリオールラグーンの全力をもってすれば、インフェルノの装甲は砕け、大破してしまうだろう。

“――共に戦う竜騎士であると誓おう”

“――君は信頼できるパートナーだ”

“――いい子だな、メイル”

 ブロスの大きな手がメイルの頭を撫でる。大きな掌の感触すら鮮明に思い出すことができる。それがメイルにとってどんなに心の救いになったか――。

 メイルは苦悶する。やるべきことはわかっている――だが心がそれを拒否していた。メイルは、ブロスの心が作り出した孤独な情景、静かに響くストリングスの音色の中で、血が滲むほど唇を噛み締める。

「私は――私は――、いい子なんかじゃありません。自分自身に自信がないから、人の目が気になって「いい子」の枠から外れることができない臆病者です。ブロスさんが褒めてくれるから頑張っていただけの、封珠の御子といえばきこえはいいけど、力を持った人形でした。でも――」

 メイルは双眸に涙を溜めながら続けた。

「人形の私を、ブロスさんは信頼していると、パートナーだと認めてくれました。私はブロスさんとの信頼関係に――自分自身を肯定できる『本物』を感じていたんです」

 ブロスは沈痛な面持ちで、メイルのたどたどしい言葉を聴いている。

「キミは信頼できるパートナーだメイル。それは今も昔も変わらない。私が完全にニムロッドと同化して、キミと護龍を破壊する前に――私を殺してくれ――」

 ブロスは、その言葉が持つ残酷さにメイルが押しつぶされそうになっているのを承知で言った。通信に映るブロスを真っ直ぐ見つめるメイルの双眸から、大粒の涙がこぼれる。

「私の中に、時間の集積で出来た『本物の想い』があっても、ブロスさんを失えばそれはただの傷になり、思い出しても手の届かない記憶に変わってしまいます。私はブロスさんを失いたくありません――!」

「人間は記憶という名の傷を重ねて生きていく。傷があるならばキミは人形などではない、本物の人間だ。キミの傷の一つになれたなら、私が死ぬ事はない。キミの中に生きた軌跡を残せたのだから――」

 ブロスは通信で、メイルの瞳を見据えて続ける。

「――私はこの暗く冷たい心象風景のように、言葉に出来ない叙情と弦の音色を慰めに生きてきた空虚な人間だった。だがキミという純粋な理解者を得て、私の心の中にも暖かいものがあることを知ったよ。私はキミとの生き方に悔いはなかったぞ。――だからメイル、ためらうな!」

 ブロスが飛ばす檄にメイルが意を決したかのように、力なくうなだれていた搭乗席から身を起こした。

 出力最大展開。目標は目前のインフェルノ。

 スペリオールラグーンの動力炉に古代魔術《エンシェントルーン》のエネルギーが白色の燐光を帯びて収束してゆく。

「打ち砕け、スペリオールラグーン! 光の奔流――エンリ【光柱】!」

 メイルが攻撃呪文を唱える。スペリオールラグーンから発現される光と呼応するように、メイルのかざす右手にはめられた蒼い指輪が輝いた。

「それでいい――キミは私の心を照らす光だった」

 ブロスが静かに微笑んだ。

「うああああああああああああああああああああああああ!!!」

 メイルは声にならない声をあげていた。双眸には涙がとめどなくあふれている。

 瞬間、スペリオールラグーンから発せられる光の柱で、ブロスの心象風景につつまれた空間が砕けてゆく。ガラスのように砕ける漆黒の情景と溢れる光の邂逅。光は黒色の破片を残すことなく飲み込み、インフェルノのシルエットは跡形もなく、輝く黄金に塗りつぶされた。

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