Loading...

ORIGINAL CONTENTS

連載中の一次創作作品です。

02: 隠者の花園

《 前のページへ | INDEX | 次のページへ 》

 柔らかな月明かり。暗い空に紺色の雲が流れ、薄紅色のコスモスをはじめとした、秋の花々が視界の果てまで広がっている。時折吹く風で、花の匂いと花弁が舞い上がった。メイルを包む夜の空気から、秋の匂いがする。

 夜風の冷たい夜。薄手の白いワンピース一枚だけを着て、メイルは夜道を歩いていた。両手に白いサンダルを片方ずつ持って。花畑に挟まれ、テラコッタタイルが敷き詰められた一本道を、ひたすら歩く。地面に地を付ける足は、裸足だった。長時間の歩行で、硬いタイルとサンダルで足が擦れ、指に豆ができて血が滲んでいる。メイルは、歩くたび痛む足に反抗するように、果てのない道を歩く。

 夜道を歩きながら、メイルはなにかと戦っている気分だった。今朝、ジムダルと小さな諍いがあったからかもしれない。ジムダルは、メイルの育ての親の庭師だ。初老に差し掛かる年齢で、無口で朴訥な人柄をしている。意地悪なわけではけしてないのだが、年頃の少女の心の機微などはわからなかった。

 メイルは、足の痛みで立ち止まる。かなりの距離を歩き、身体が限界を迎えつつある。道を外れてよろよろとコスモスの花畑へ向かう。メイルはそのまま、仰向けなって、コスモスの花の群れに倒れた。淡い花弁が舞い散る。メイルは暗い夜空を見た。足の痛みを感じながら、自分が世界から外れ、見捨てられているような気持ちになって、涙ぐむ。そのまま、うとうとしていると、メイルの顔に、暗い影が落ちた。

「こんなところまで、歩いてきたのか」

 感情が読み取れない表情をしたジムダルが、メイルを見下ろしていた。ジムダルは、メイルの傷んだ足を見る。身をかがめて、『背におぶされ』とメイルに促した。メイルは花畑から起き上がった。怒られると思ったのか、俯いている。

「今朝のことは悪かった。だが、お前の両親のことは、詳しくは話せない。そういう約束でお前を預かったんだ」

 メイルはうつむいて、ぽつりと、心とは裏腹なことを呟いた。

「……両親のことはもういいです。私を捨てた人たちだし、私のことなんか忘れているだろうし」

 ジムダルが、複雑な表情をしている。

「捨てたわけではない。問題が解決したら、迎えに来ると言っていた。お前もそれを心のどこかで信じているから、葛藤があるんだろう。だからこういった無茶をやらかす。ほら、おぶされ」

 ジムダルが、もう一度メイルに促した。メイルは、ジムダルの広い背におぶさる。ジムダルが、今来た道を引き返して、歩いていく。

「ジムダル」

 なんだ、とジムダルが振り向かずにメイルに応える。

「ジムダルとの暮らしが嫌なわけじゃないんです、こんなことをして、ごめんなさい」

「……両親に、会いに行こうとしたのか」

 メイルは黙ったままだった。ただメイルの涙がジムダルの肩に落ちた。

「大丈夫だ。お前の両親が、お前を忘れることはない。きっと迎えに来る。今日はお前の誕生日だったな、それで……両親に会えないのが、辛くなったんだな。母屋にお前の好物を用意してあるから、帰ったら食べよう」

 ジムダルがメイルをなだめるように言う。ジムダルの言うとおりだった。両親が自分の誕生日を覚えていてくれて、迎えに来てくれるのではないかと期待してしまったのだ。メイルの誕生日には、そういった期待と、落胆が現実になる。その葛藤も、もう何度めになるだろう。

 月明かりの道を、メイルを背負って帰路につく、ジムダルの背は暖かい。庭仕事をしているせいか、ひだまりの匂いがする。メイルにとって、安心するぬくもりだった。

「ごめんなさい、こんな……子どもじみたことをして。今日で、もう14歳になるのに」

「まだ14歳だ。家出したいときもあるだろう。気にするな。疲れたろう、寝てろ」

「ありがとう、ジムダル」

 長い帰り道のうちに、メイルはいつの間にかジムダルの背で眠ってしまったようだった。


scene2

 この世の果てを思わせる美しい庭園で、風が花の香りを運び、色あざやかな花弁が舞っている。大理石の彫像と噴水をはさんで、整えられた低木と花壇が、自然の調和と共に並んでいた。庭師のジムダルが手入れをする花園。この場所に足を踏み入れれば、誰しも時間を忘れてしまうだろう。

 朝になり、メイルは農園へ行き、動物の世話を終えていた。庭園から地続きになった農園には、動物たちが住み、果樹園と作物畑がある。動物たちは世話と引き換えに、牛乳や卵や羊毛などの副産物を与えてくれた。メイルは、農園の動物たちをとても大事にしており、丁寧に世話をしていた。優しくブラシをかけ、声を掛けながら餌を与え、小屋はいつも清潔に掃除されて、晴れた日は動物たちを牧草地に放牧させていた。

「ほら、いい木陰ですよ」

 メイルに促され、花に囲まれた農園の木陰に座り込む羊の親子。ふわふわの毛並みを寄せ合って、幸せそうだ。メイルは羊の親子に近寄って子羊の頭をしばらく撫でていたと思えば、花園の入り口で、わけもなく歩き回ったりしている。

 花園で庭仕事をしているジムダルが、そんなメイルの様子を見ている。メイルが花園の入り口で歩き回っているとき。絶対に口に出さないが、両親が迎えに来るのを、ああして待っているのだ。一度そう訊いたことがあり、メイルは「ただの散歩です」といって強がったが、ジムダルはそのことを思い出して、不憫な気持ちになった。

 農園で動物の世話を終えたメイルは、コスモスの苗を花壇に植えた。メイルの好きなコスモスの淡い蕾は、眺めているだけで心が和む。メイルは、ふかふかと暖かい土をすくって、苗を丁寧に植えていく。それがコスモスの花壇になると、水差しで水を与える。穏やかな風が吹く。メイルは、花の香りのする風に当たりながら、庭仕事を終えて、額の汗をぬぐった。

 コスモスの花壇の正面には、朽ち果て花園の一部となった、大きな彫像があった。翼を広げる荘厳な姿。色あせた石の身体に、くまなく苔や植物の蔓が這い、所々、花を咲かせている。この像は、太陽神を模した『シャマシュ』と呼ばれる、花園の守り神だ。メイルは、花園の植物が健やかに育つことを祈って、シャマシュに手を合わせる。

「ノヴァエラ神の祝福を――」

 メイルは、小鳥やリスが水浴びをする噴水を抜けて、水場で手を洗った。腰まである薄紅のサイドポニーテールを揺らし、ジムダルもとへ駆ける。白いサンダルの靴底が石畳を打った。

「終わりました。ジムダルのコスモス、花が咲いたら、きっと綺麗ですよ」

「今年も、いい苗だ。世話はしっかりな」

 低い声で応えたジムダルは、バラ園の手入れをしていた。ジムダルは、胸を押さえるような仕草をとると 、深く息を吐いた。メイルが心配そうにジムダルの顔を覗き込む。

「ジムダル……心臓が痛いのですか……?  お昼を食べて、薬を飲みましょう」

「いつも悪いな。メイル」

 メイルは日当たりのいい、ガラス張りの炊事場で、薬草とタマネギのスープ、温野菜のサラダ、オートミールと薬草とベーコン、チーズとひよこ豆を煮詰めた粥を作った。様々な種類の薬草をはじめ、野菜は、農園でジムダルと収穫したものだった。

 メイルは、辞典で薬草の勉強をし、ジムダルの心臓の負担が少なくなるような薬草料理や薬草茶を毎日作る。乾燥させた薬草を煎じた薬草茶をポットに作り、昼食をディッシュトレーに載せると、花園の中心にあるガーデンテーブルに運んだ。

「今年は、薬草がたくさん採れるので助かっています。料理や薬草茶にいっぱい使うので、今は乾燥させて保存してるんですよ。ジムダルの胸の調子は、どうですか?」

「お前の作る食事や薬のおかげで、大分調子がいいよ。だが、こればっかりは年だからな。完治はせんだろう」

「……でも、ジムダルの具合がよくなるのなら、私、なんでもします」

 ジムダルはカップを持ち、薬草茶を飲みながら、メイルを見た。

「メイル。お前は本当に、優しい子に育ったな。儂の調子が悪いのは年だから、お前が気に病むことじゃない。心残りなのは、儂が死んだ後、お前を一人にしてしまうことだ」

「やめてください、ジムダル。縁起でもありません。私を育ててくれたぶん、ジムダルはいっぱい幸せにならないとだめなんですよ。ジムダルにしてあげたいことだって、まだまだたくさんあるんですからね」

 メイルは、努めて何事でもないかのように応えたが、ジムダルの死の気配は、メイルの心を深く苦しめていた。家族や友達のいないメイルにとって、ジムダルとの穏やかな日々を失うということは、世界がなくなってしまうことに等しかった。

 育ての親であり、肉親と言ってもいいジムダルを失うことについて、考えるだけで怖く、眠れなくなる夜もあった。日々を精一杯生きて、ジムダルに、恩返しや、いま出来ることをたくさんしようと決めていても、ジムダルのいない未来のことを考えると不安になってしまう。

 ジムダル本人から、死について口に出されると、メイルはとてもつらい気持ちになった。

「お前が生きていることが、儂の幸せだ。おまえが、自分の人生を幸せに歩んでくれたら。お前には、料理や洗濯や裁縫、薬の作り方や、花や野菜の育て方を教えて、一人でも生きていくのに困らんようにはしてきたが……。両親も友達もいないのは寂しいだろう。お前を、花園に閉じ込めておくのも、もうやめにしたほうがいいのかもしれん」

「ジムダル。私は、ジムダルがいてくれたらそれだけで、寂しくありませんよ。……でも、私の――お父さんとお母さんは、どうして、私を捨てて――、私は物心ついたときからこの花園にいて、外に出てはいけないのですか?」

「お前の両親のことは――知らん。お前を儂に預けて、いなくなったこと以外は。儂は、庭を転々とする、ただの庭師だ。この花園には、お前がいたから、長く居着いているがな」

 ジムダルが、メイルの疑問に、立て続けに応えた。

「外の世界のことは、お前は知らんほうがいい。だが、お前のことを考えると、そうもいってられんかもしれん。儂が、ここにお前を閉じ込めていることで、善良な出会いの芽すら、摘んでいるのだから」

 会話の終わりを匂わすように、ジムダルが飲みさしのカップを置いた。メイルは、ジムダルと同じ薬草粥を食べながら、なにか考えているようだった。ジムダルの死や、両親のことは、メイルにとってあまり心地よくない話題だ。しばしの沈黙のあと、メイルが口を開く。

「花園にある、大きな像――シャマシュは、太陽神の像だとききましたが、どこの神話の神様なんですか? 植物の成長を見守る神様だと、ジムダルはいっていましたが、書庫の本を読んでも、見つけることができませんでした」

「エドゥアルドという民の、民族神話だよ。シャマシュは太陽神――万物の恵みの源である。エドゥアルドの民や、一部の文明では、太陽を象徴するものを、王と呼んでいた。そのくらい、太陽は、万物の成長にとって、必要不可欠なもので、それを象徴する者も、偉大だったのだ」

 ジムダルは、遠い神話に思いをはせるように目を細めて、メイルに話す。メイルは、ジムダルのこういった話を聞くのが好きだった。

「じゃあ、ここでお花達や、シャマシュを管理しているジムダルは、花園の王様ですね」

 メイルがそういうと、ジムダルが苦笑した。

「そうだ。儂の最後の王国だ」

 メイルがふふ、と笑うと、持っていたカップに視線を落とす。琥珀色の薬草茶に、メイルの顔が映っていた。

「私は、私の事を、なんにも知らないんです。気がついたら花園にいて、外の世界のことも、よく知りません」

「自分自身か。誰だってそんなもんだ。自分自身を知っていると思っても、記録や記憶を剥いていくうちに、確固たる中身など見つからず、目に滲みて泣くってはめに陥る。タマネギみたいにな」

 ジムダルが、タマネギのスープをスプーンで掬い、冗談めかして言った。

「ジムダルも、自分自身の事がわからないんですか?」

「儂は昔……庭師になる前は、ひどい人間だった。それが最善と思っていても、人をコントロールし、自由を奪ってしまった。だからせめて花は自由にしてやろうと、自分で育つ力のない花には力を添えて、管理がいきすぎて、自由を奪わないように、そういった自己欺瞞で……花園の花をいじっているのかもしれん」

「訊いても? ジムダルは、昔、何を……?」

 ジムダルが黙る。メイルは、それ以上聞けず、話題を変えようとしたところで、ジムダルが応えた。

「人を……まとめていた。だが、理想の共同体には、ならなかった。儂が、人に理想を押し付けていただけだった。それで、共同体は崩壊してしまった。ひどい責任者だ」

 メイルが口ごもる。ジムダルの口調が、自責の念で消え入りそうだったからだ。

「……でも、ジムダルは、私には、なにも押し付けませんよね。ジムダルは私に、生きていくのに必要ないろいろなことを教えてくれて、両親のいない私を育ててくれました。私にとってジムダルは、優しい人です」

「……そうか。だが、お前をここに閉じ込めておくことで、また、人の自由を奪っている気がしてな。お前は、出会った人間を大事にしろよ。共に過ごした時間は短くとも、真摯にだ」

「ジムダル、私は、さっき両親のことを聞きましたが――花園を出ていきたいとは思っていませんよ。私は、ジムダルとの暮らしが好きなんです。ここで、お花や動物たちと一緒に、ジムダルと暮らせて幸せです。ジムダルは、私の自由を奪ってなどいません、私に数え切れないほどの、いっぱいのお花を与えてくれましたし……」

「そうだといいんだがな……だがメイル、花は良いぞ。人の心を慰めてくれるだけではなく、心に邪なものをもって、花に関わる人間はいない。人間のいいところが見たかったら、お前も花にまつわる仕事をしてみるんだな。それと、お前にいつも言っていることだが――」

 ジムダルが、真剣な顔で続けた。

「お前の心には、花がある、お前が、辛く苦しい目に遭っても、その辛さや、苦しみを慰めてくれる、美しい黄金の花が。舞い散る花弁は、人の苦しみを消し、そこには、辛さも苦しみもない。無限に広がる、その光景を思えば、お前の心は自由になる。そんな場所があるんだ。お前の中の、黄金の花が、『黄金の地』に、お前を導く」

 メイルは、心のなかで、黄金の花が無数に咲き乱れているところを想像する。なぜだか、心が、たとえようもなく、安心した。

「お前は、その心の花を、絶対に枯らしてはならない。人が辛い目に遭っているときも、その黄金の花を相手に分け与えるつもりで、優しく接しろよ。もし、お前が外の世界で辛い目に遭って、耐えられなくなったら、その黄金の花が、咲き乱れる光景を強く思え。それが、お前を救うだろう」

 ジムダルが、メイルの両肩に手を置いていった。

「そのお花は、なんという名前なのですか?」

 ジムダルは、一呼吸置いて、続けた。

「ノヴァエラ」

 メイルは、びっくりしたように答える。

「エドゥアルドの神様と、おんなじ名前ですね」

「そうだ、神様の花だ。話が長くなってしまったな。ご馳走だった。今日の食事もうまかったぞ」

 ジムダルは、食事を終えると立ち上がった。メイルは食器を片付けると、庭仕事に戻ろうとする、ジムダルの服の裾を引っ張った。

「ジムダル、お願いがあるのですが……」

「また『あれ』が見たいのか?」

 メイルが頷く。ジムダルは、石畳をメイルと歩き、大きな噴水を抜けると、鍵を取り出して石造りの神殿(ジグラッド)の扉を開いた。神殿(ジグラッド)の中は、天井がガラス張りになっているため、太陽光が差し込んでいた。暖かな空気で満ちている。メイルとジムダルが歩を進める、広間の中心には、太陽光を反射して輝く、巨大な竜の黄金像があった。

「――スペリオールラグーン。私が、小さなときから、神殿(ジグラッド)にあった彫像。ジムダルは、私の成長を見守る『守り神』だって、言ってくれましたね。小さい頃は、この像が怖かったけど、今は綺麗だって、思うようになりました。この黄金竜には、どんな意味があるのですか?」

 メイルが巨大な黄金竜を見上げ、隣にいるジムダルの表情を伺った。

「黄金とは、物質的な意味を差すものだけが、そう呼ばれるわけではない。黄金の意志というものがある。誰の心にもある、最も美しい部分だ」

「最も美しい部分とは? 思いやりの心とか、さっきジムダルが言っていた、心のなかにある黄金のお花を思う気持ち――ですか?」

「それが、理不尽に傷つけられ、踏みにじられそうになったとき、『人の為に、戦う意志』が、黄金なんだ。この黄金の意思は、誰の心の中にもある。その黄金の意志が、心の中の黄金の花を咲かせるんだ」

「私の、心の中にも?」

 メイルが、白いワンピースの胸元に両手を置いて、ジムダルに尋ねた。

「勿論だ。これは、お前を花園で見つけたときに、お前が掌に握っていた指輪。無くすといけないから、お前が大きくなるまで預かっていたが、今渡しておこう。お前もいつか、この花園から出て行く時がくると思うが、先程言った、お前の『心の中の黄金の花』と、この『指輪』『誰かの為に、戦う意志』を、絶対に手放すなよ。もし今後、お前の身が危なくなったり、お前がすべてを無くして、絶望してしまったりしたら、この三つに祈るんだ。いいな」

 真剣に話すジムダルが、手渡してきたのは、メイルの瞳と同じ色の蒼い宝石が台座にはめられた、美しい指輪だった。メイルは受け取って、指輪を眺める。

「凄く綺麗な石ですね――でもなんだか、懐かしい。私の瞳の色と、同じ色をしているからでしょうか」

 メイルは、指輪を右手の薬指にはめると、太陽で蒼く透き通る、宝石を光に透かして微笑んだ。ジムダルはその様子を見て、安堵の表情を浮かべた。

 その時。花園から、爆撃にも似た物々しい音が響いた。

《 前のページへ | INDEX | 次のページへ 》