蒼釼のドラグーン




第一話 メイル編プロローグ

 夜空に蒼い軌跡を残し、流星が降りそそぐ。濃紺の宵闇、星々の天蓋(てんがい)が広がる海峡の夜。胸を透く美しい静寂を破り、ライドギアの駆動音が響く。 黒鋼の巨人が星空を飛翔し、前方の黄金竜を追った。
「追撃せよ、駆逐せよ」
 黒鋼の巨人――ライドギア・インフェルノを駆るブロスの口元が、無感情な声を発する。インフェルノの搭乗席は蜘蛛の巣のように密集するパワーケーブルに侵食されていた。搭乗者であるブロスの身体は、無数のプラグコードに直結されている。自身の意思が感じられない虚ろな眼。ニムロッドに幽体を侵食され、ブロスの自我というものは幾許も残っていないようだった。
 前方を逃げるように飛翔する黄金竜――ライドギア・スペリオールラグーンに搭乗したメイルは、未だ攻撃の決心がつかないかのように、鋭爪の切っ先を鈍らせている。
「ロンド【輪舞】」
 ブロスが呪文を発すると、古代魔術《エンシェントルーン》の蒼い粒子が舞い、インフェルノから神速の連続攻撃が展開される。
「シールド展開――!」
 メイルはスペリオールラグーンから魔力シールドを広げる。蒼い魔方陣が広範囲に展開され攻撃を受け止めるが、インフェルノの勢いに押されていた。スペリオールラグーンが断崖に背を着く。隙が出来た瞬間、インフェルノが竜騎士の槍撃を見舞う。渾身の一撃が、スペリオールラグーンのシールドを破る。スペリオールラグーンは破損し、谷底に叩き落とされた。
「アグニ【爆炎】」
 インフェルノは墜落したスペリオールラグーンに追い打ちをかけるように、爆炎の攻撃呪文を放った。スペリオールラグーンが炎に包まれ落下する。インフェルノが谷底へ駆動し、ショートするスペリオールラグーンに馬乗りになる。インフェルノはスペリオールラグーンの搭乗席に竜騎士の槍を振りかぶり――串刺しにした。黄金の装甲が貫かれる。
「ああっ!」
 メイルが呻く。インフェルノは竜騎士の槍で、スペリオールラグーンを滅多刺しにした。一方的な殺戮。
 インフェルノが竜騎士の槍をふるうたびに空間が黒色に変質していき、辺りが灰色の空、影絵の森に囲まれる。幽世(かくりよ)の陣。ブロスの指輪にはめられたギアストーンが作り出す像――ブロスの心象風景に、あたりが塗りつぶされてゆく。
 それは生というものが一切感じられない、美しく荒廃した地獄だった。灰色の空に、重なる枯れ木のシルエット、静かに響く弦の音色。胸をつく叙情と孤独の空間。メイルはブロスの心の内を見た気がして、胸が締め付けられた。
「ブロスさん――」
 メイルは搭乗席に突き刺さる竜騎士の槍によって負傷しながら、ブロスに呼びかけた。反応はない。インフェルノは、荒廃の地獄の情景のなか、絶え間なくスペリオールラグーンを責め苛む。
 竜騎士の槍がメイルの心臓を貫かんとする、まさにその瞬間だった。インフェルノの攻撃が止まる。
「……やめろ……」
「……メイルを傷つけるな……」
 インフェルノの搭乗席にブロスの声が響いて消えた。搭乗席に密集するプラグコード、パワーケーブルの狭間から、ブロスの両腕が露出される。ブロスは渾身の力で機械の拘束を引き千切った。搭乗席の通信にブロスの半身が現れる。
「何をしている!! 長くは保たん、早く私にとどめをさせ!!」

 ブロスがスペリオールラグーンの搭乗席で放心しているメイルを叱咤する。メイルの唇はわななき、攻撃呪文を発せられない。
「ブロスさん、やっぱり私にはできません……」
 メイルの双眸から涙が流れ、搭乗席で力なく両手を脱力させながら、インフェルノの機体から眼をそらす。ブロスは一瞬逡巡したが、いつもと変わらない様子で応えた。
「大丈夫だメイル、私は死んだりしない」
 メイルを安心させるための――決死の覚悟で見せた笑顔が、通信で搭乗席に映った。
「――っ」
 その笑顔と言葉を、初めて会った時もブロスは見せ、口にしていた。ブロスは窮地に陥った時ほど、メイルを安心させようと優しい笑顔を見せてきた。だが昔と今では情況が違う。メイルもスペリオールラグーンも成長し、スペリオールラグーンの全力をもってすれば、インフェルノの装甲は砕け、大破してしまうだろう。

"――共に戦う竜騎士であると誓おう"

"――君は信頼できるパートナーだ"

"――いい子だな、メイル"

 ブロスの大きな手がメイルの頭を撫でる。大きな掌の感触すら鮮明に思い出すことができる。それがメイルにとってどんなに心の救いになったか――。
 メイルは苦悶する。やるべきことはわかっている――だが心がそれを拒否していた。メイルは、ブロスの心が作り出した孤独な情景、静かに響くストリングスの音色の中で、血が滲むほど唇を噛み締める。
「私は――私は――、いい子なんかじゃありません。偽物の自分自身に自信がないから、人の目が気になって「いい子」の枠から外れることができない臆病者です。ブロスさんが褒めてくれるから頑張っていただけの、エドゥアルドのレプリカ(模造品)です。存在も、家族も、使命もみんな、本物ではないし――私は誰の本物にもなれません。でも――」
 メイルは双眸に涙を溜めながら続けた。
「レプリカの私を、ブロスさんは信頼していると、パートナーだと認めてくれました。私はブロスさんとの信頼関係に――自分自身を肯定できる『本物』を感じていたんです」
 ブロスは沈痛な面持ちで、メイルのたどたどしい言葉を聴いている。
「キミは信頼できるパートナーだメイル。それは今も昔も変わらない。私が完全にニムロッドと同化して、キミと護龍を破壊する前に――私を殺してくれ――」
 ブロスは、その言葉が持つ残酷さにメイルが押しつぶされそうになっているのを承知で言った。通信に映るブロスを真っ直ぐ見つめるメイルの双眸から、大粒の涙がこぼれる。
「私の中に、時間の集積で出来た『本物の想い』があっても、ブロスさんを失えばそれはただの傷になり、思い出しても手の届かない記憶に変わってしまいます。私はブロスさんを失いたくありません――!」
「人間は記憶という名の傷を重ねて生きていく。傷があるならばキミはレプリカなどではない、本物の人間だ。キミの傷の一つになれたなら、私が死ぬ事はない。キミの中に生きた軌跡を残せたのだから――」
 ブロスは通信で、メイルの瞳を見据えて続ける。
「――私はこの暗く冷たい心象風景のように、言葉に出来ない叙情と弦の音色を慰めに生きてきた空虚な人間だった。だがキミという純粋な理解者を得て、私の心の中にも暖かいものがあることを知ったよ。私はキミとの生き方に悔いはなかったぞ。――だからメイル、ためらうな!」
 ブロスが飛ばす檄にメイルが意を決したかのように、力なくうなだれていた搭乗席から身を起こした。
 出力最大展開。目標は目前のインフェルノ。
 スペリオールラグーンの動力炉に古代魔術《エンシェントルーン》のエネルギーが白色の燐光を帯びて収束してゆく。
「打ち砕け、スペリオールラグーン! 光の奔流――エンリ【光柱】!」
 メイルが攻撃呪文を唱える。スペリオールラグーンから発現される光と呼応するように、メイルのかざす右手にはめられた蒼い指輪が輝いた。
「それでいい――キミは私の心を照らす光だった」
 ブロスが静かに微笑んだ。
「うああああああああああああああああああああああああ!!!」
 メイルは声にならない声をあげていた。双眸には涙がとめどなくあふれている。
 瞬間、スペリオールラグーンから発せられる光の柱で、ブロスの心象風景につつまれた空間が砕けてゆく。ガラスのように砕ける漆黒の情景と溢れる光の邂逅。光は黒色の破片を残すことなく飲み込み、インフェルノのシルエットは跡形もなく、輝く黄金に塗りつぶされた。



第二話 鋼鉄の鍛機師

 無限に広がる美しい宇宙空間に、撃破された機械兵の残骸が漂っている。ビームサーベルを携えた機械兵は、黄金の機械竜に攻撃態勢をとった。
「こちらは残り一機。今援護に行きます、お爺さん」
 メイルは目前の機械兵――ルインフレームが突き出してくるビームサーベルをかわす。自身のライドギアである黄金竜スペリオールラグーンの爪撃を放つ。黄金の残像を描いて、鋭い爪撃がルインフレームの装甲を勢い良く貫く。機体は爆音と共に大破した。
「こちらには大群がいる。無理はするなよメイル」
 運河の反対側で、ルインフレームの軍勢を相手にするジムダル。通信でメイルの呼びかけにうなずくと、攻撃呪文を唱えた。
「アルム【光閃】」
 エドゥアルドの太陽神を模したライドギア・シャマシュの動力炉に、灼熱の光が収束する。同時発射される光線郡。熱線による広範囲攻撃。逃げ惑う多数のルインフレーム。運河の反対側にいるメイルからルインフレームの大群を引き離し、ジムダルは自分を囮にして敵を引きつけている。
 ジムダルはシャマシュの最大出力をもって、アカーシャの乱閃をルインフレームの軍勢に浴びせた。ルインフレームの軍勢は白い光に塗りつぶされ、跡形もなく蒸発する。ジムダルは一息ついて、メイルに通信で呼びかけた。
「怪我はないかメイル」
「無茶しないでください、お爺さん。自分を囮にしたりして。間違ってルインフレームの軍勢に囲まれたら、いくらお爺さんでも危ないです」
 メイルは心配から、ジムダルに声を荒げて言った。
「大丈夫だ。ちゃんと考えて動いている。しかし、今日は数が多かったな。大流星郡の日が近づいているせいか、ルインフレームも活性化されているらしい。そろそろ工房に戻るか」
 ジムダルはメイルが倒したルインフレームの残骸を、光線で跡形もなく消滅させる。
「今日も一日が無事で――お爺さんも護龍も無事で、何事もなく終わってよかったです。もう護龍では夜明けですね。宇宙に朝や夜はありませんが……」
 メイルはそういうと、自宅の工房に向かう祖父の後ろに続く。
「ルインフレームは夜にしか活動できない。明日まで姿を現さないさ。今日もよくやったぞメイル。六機も倒したのか、強くなったな」
 ジムダルは通信でメイルを褒める。メイルは頬を赤くして、サイドポニーテールの毛先を指でくるくると弄った。メイルが嬉しい時に見せる仕草だった。
「お爺さんには及びません」
 メイルが照れているのか、もにょもにょと応え、ジムダルはそんな孫を見て微笑む。二人は工房に向かって、シャマシュとスペリオールラグーンを一気に駆動させた。

 ◆

 銀河の端にある名もなき運河に、エドゥアルドの家族が住む工房があった。子供の名前はメイル。祖父の名前はジムダル。
 メイルは澄んだ蒼い双眸に、赤のギアスーツ、腰の下まである淡色のサイドポニーテールがトレードマークの少女で、年齢に比べて発育のいい身体を恥ずかしがる年頃になっていた。
 右手の薬指にはライドギアを呼び出すための蒼いギア・ストーンのはまった指輪がはめられている。自身の作った猫型ギア・シュレディンガーを、お供のように連れ歩いていた。
 二人が工房に戻ると、ジムダルは機材の修理をはじめた。ジムダルは 七十代なかばで、黒のギアスーツの上に白のツナギを着ている。人嫌いで偏屈、閉鎖的なところがあったが、メイルにとっては優しく好ましい祖父だった。
 エドゥアルドの民は機械の扱いを得意とする機械民族。祖父のジムダルも例に埋もれず、機械製作や修理を得意としている。【ツランの手】とよばれる精密機械のような義手を両腕にはめ、蒼く透きとおった石――ギアストーンを槌で砕く。機械の強度や柔軟性を上げる工程――輝鉄(きてつ)をはじめた。工房が蒼く眩しい魔方陣の光に包まれる。ジムダルは魔方陣から伸びる光を、【ツランの手】で手早く掴む。掴んだ光を金床の上に置かれた部品へ輝力を打ち込んでいった。
 メイルはシュレディンガーと共に、その場にしゃがみこんで祖父の作業を眺めている。
「あすからの一年間は、千年に一度の大流星郡の年だ。ニムロッドやルインフレームが、流星の放つ魔力粒子(プラーナ)によって強化される。護龍になにごともなければいいが……」
 メイルは工房の壁に飾られた、額入りの家族写真に目を向ける。父ヴァラッドの逞しい腕に収まる小さなメイルと、愛猫シュレディンガー。優しい微笑みを浮かべる母セム。二人の背後で仏頂面をしているジムダル。家族四人と一匹が寄り添って映っている。
 工房の丸窓へ視線を移す。丸窓から、蒼く美しい惑星――護龍が見えた。
「お父さんとお母さんは――護龍に行ったきり、帰ってきませんね」
 メイルが三歳の頃、護龍という惑星に鍛機師《ライダー》として派遣され帰ってこない両親のことを口にした。
「両親が――ヴァラッドとセムがいなくて寂しいか?」
「物心ついたときからいなかったので……正直よくわからないです。でも工房にはお爺さんとシュレディンガーがいるので、寂しくありません」
 メイルは時折、同じ質問をしてくるジムダルに、いつもこう返していた。ジムダルが意図を持って訊いてくるのはわかっていたが、メイルは考えたくなかった。
「メイルよ、もしわしが死んだら――」
 ジムダルは年齢より若々しく逞しい。極度の人嫌いだというが、ジムダルはメイルにとても優しくしてくれる。たとえ天寿を全うしたとしても、大好きな祖父がいなくなるなどメイルには考えられなかった。
「そんな話はしないでくださいお爺さん。縁起でもないです」
 メイルは首を振って応えた。
「いいからきけ、メイルよ。わしが死んだらおまえは一人になってしまう。一人でこの工房にいるのは寂しいだろう。いままでわしの人嫌いに付き合って、おまえにも閉鎖的な生き方を強いってしまったが、それは間違いだったかもしれん。もしわしが死んだら、両親に会いに、鍛機師として護龍へ向かうといい。おまえの両親は優秀な鍛機師《ライダー》だ。おそらくは生きているだろう。だが、キエンギのラガシュには絶対に行くなよ。ろくなことにならん」
 キエンギはエドゥアルド語で『君主達の地』を差し、ラガシュとはエドゥアルドの民が住む大都市だった。
「護龍――地上の人が住まう場所。あの蒼い星に、お父さんとお母さんはいるんですね」
「ああ。『ニムロッドやルインフレームから護龍を護る』という使命のためにな。その使命はおまえも背負うことになるだろうが、お前が日常的にやっているルインフレームの討伐のように、やりたいから自発的にやっているという気持ちを忘れないで欲しい。人を守りたいと思うのは、自然に湧き出てくる優しさからで、使命に縛られてやるものではない。人に対してそういう気持ちを持ちながら、わしはおまえに自由に生きて欲しいと思っとる。人や環境のしがらみに縛られずに自由に――」
 ジムダルは丸窓から、無限に広がる宇宙を見つめていた。メイルは「自由」という言葉を心の中で反復した。祖父と一緒なのは心地いいが、外界との接触を禁じられてきた今の環境は自由だったのだろうかと――。
「おまえの不満もわかる。だが、外の都市は危険だ。おまえに対処できない残酷な厄介事や、底知れない悪意を持った人間もいる。だが、おまえが成長し、身を守れるようになるまで、それらから遠ざけておきたいと考えるのは私のエゴだ。ここにおまえを閉じ込めておくことで、信頼関係を築ける善良な出会いの芽まで摘んでしまっているのだからな」
「お爺さん――、でも私はお爺さんとの暮らしを不満に思っている訳じゃありません。ルインフレームの討伐も、重荷に思ったことはなくて、地上の人たちが平和に暮らせたらいいなと思って、ごく自然な気持ちでやっています。お爺さんはいつも私に優しく接してくれて、男手ひとつで私を今まで育ててくれました。私にライドギアの戦い方や、機械の扱いも丁寧に教えてくれました。それはとても楽しかったし、心から感謝しています、お爺さん」
 ジムダルは言葉を返さなかったが、そういって静かに微笑むメイルを見て、頬がわずかにほころんでいた。メイルは工房での暮らしも苦ではない。優しい祖父と、猫型ギア・シュレディンガーがいる。それ以上を望んだら、なにか自分が不幸になってしまうような気がしたのだ。
 メイルは『いい子にしていたら両親が帰ってくる』という祖父の言葉を信じて、日ごろ目だったわがままも言わずに育った。『いい子』の枠から逸脱しないように、祖父の望むいい子を先回りして演じてきたため、自分自身がわからず、自分の本心がなかなかわからないところがあった。そういう思いを誰かに吐露したかったが、メイルが本音を言うときは猫型ギア・シュレディンガーに対しての、独り言という形でしかなかった。
 祖父は騒がしいのを嫌う。メイルは静かに外を眺め、視界のはしに捉えたライドギアに気づき、首をかしげた。
「あれは――? 見ないライドギアですね。ルインフレームでもないようです、こちらへ向かってくるようですが――」
「あれはエンリル――!? おまえの父親、ヴァラッドのライドギアだが――。護龍から戻ってきたのか?」
 ジムダルは驚いて作業場から立ち上がった。その時だった。そのエンリルと呼ばれたライドギアは停止せずに工房へ突進してきた。エドゥアルドの守護神の名前を冠する強力なライドギア、エンリルによる特攻。強い衝撃と爆風に、メイルはその場から吹き飛ばされ、祖父がメイルを抱きかかえて代わりに壁に打ち付けられていた。ジムダルはメイルに「隠れていろ」と続けると、自身のライドギアを召喚した。
「こい、シャマシュ!」
 ジムダルは瓦礫と化した工房から、宇宙空間へ飛翔した。エンリルと呼ばれたライドギアは攻撃態勢を取り、プラズマの光線をシャマシュに放った。それを器用に躱してエンリルへ向かって飛翔するジムダル。
 父の機体と祖父の機体の戦いを、理解できない気持ちで見守るメイル。だが、やってきたのは、父の機体エンリル一機ではなかった。ギロチンのような刃を両腕に携えたライドギアがもう一機いて、祖父のライドギア・シャマシュの背後を狙っている。メイルは工房から飛び出し、自身のライドギア、スペリオールラグーンを召喚した。
「エンリ【光柱】!」
 メイルが呪文を叫ぶと、ギロチンを持ったライドギアに光閃が浴びせられる。その瞬間、機体が五つに分裂し、神速でこちらに向かってきた。メイルは再び呪文を放ったが、四機は幻影で、突進するように迫ってきた本体の刃を受けてしまった。
「ヴィオーラのデコイにかかったな」
 通信から冷笑的な声が聞こえる。敵機はヴィオーラという機体名らしい。メイルのスペリオールラグーンの装甲がヴィオーラの持つ大きな刃に持って行かれる。メイルは至近距離から、スペリオールラグーンの爪撃を放った。
「ペトロ【削爪】!」
 強力な爪撃がヴィオーラの装甲を貫く。ドリル状に回転する爪の遠心力にヴィオーラの装甲が飴細工のように巻き込まれた。メイルは至近距離から、エンリ【光柱】の呪文を数発撃ち込む。ヴィオーラは遠距離からの攪乱攻撃には長けるが近接戦が不得意なようだった。
「貴様、ヴァラッドではないな!?」
 一方、メイルの父エンリルの機体を相手にする祖父ジムダルは、エンリルに向かってこう叫んでいた。メイルが狼狽する。エドゥアルドにとって、ライドギアとは固有のもの。己以外には召喚できない。中に乗っている人間が別の人間だと言う事はありえないはずだった。
 エンリルは動力炉に発光する粒子を纏い、シャマシュに強力なプラズマの光柱を放った。辛くもそれをかわすシャマシュ。
「ライト【閃光】」
 そのとき、メイルの相手をしていたヴィオーラがシャマシュに呪文を放った。閃光が炸裂し、あたりが白光で塗りつぶされる。その隙にヴィオーラがギロチンの双刃をもってシャマシュに特攻した。シャマシュの装甲が破壊される。エンリルがもう一度強力な光柱をシャマシュに放つ。それは剥がれ落ちた装甲に直撃し、搭乗席を焼き尽くした。
「お爺さん!!」
 メイルは援護に向かおうとしたが、エンリルがメイルに光柱を放った。魔力シールドを展開する隙もなく、プラズマの光柱がメイルに直撃する。メイルの意識はそこで途切れ、最後に視界を塗りつぶしたのは白い閃光だった。



「うう……お爺さん……」
 メイルはうわごとと共に目を覚ました。意識が混濁している。メイルはスペリオールラグーンの搭乗席に乗っていた。メイルは我に返ると、瓦礫と共に浮遊するシャマシュに向かった。
「お爺さん……そんな――!!」
 シャマシュの正面に回ると、搭乗席は鋭利なもの――おそらくヴィオーラのギロチンで切断され、中にいたジムダルの心臓は穴が開いたように大きく抉られていた。口元から一筋血が流れている。ジムダルの指先を見ると、ライドギアを召喚するための指輪が、ない。
「お爺さんの心臓と、指輪を奪っていった――?」
 シャマシュの機体は、ジムダルの死とともに崩れ落ち、幻影のように消えた。メイルはスペリオールラグーンでジムダルの身体を抱える。
「どうしてお父さんが、お爺さんを――」
 メイルの涙がこぼれ、重力の作用で空中に浮く。傍らにいたシュレディンガーが喋る。
『ジムダル生命反応停止。メイル、ジムダルをどうする?』
「土に埋めてあげたいです」
『ここから最も近い惑星はキエンギ。エドゥアルドの都市ラガシュの公園墓地が適切です』
 キエンギはジムダルに行くことを禁じられていた場所だが、ジムダルをこの状態のまま放っておく訳にはいかない。メイルはスペリオールラグーンにジムダルを載せると、惑星キエンギまでライドギアを駆動させた。



 キエンギは美しい惑星だった。緑豊かで美しい水に満たされている。だが、メイルはキエンギの大都市ラガシュに降りたち、不気味さに身をすくめた。人間が一人もいない。あたりには散乱する瓦礫と血痕。その様子はさながらゴーストタウンだった。
『生命反応なし』
 シュレディンガーが辺りの様子を追跡して合成音声を発した。
「公園墓地はどこですか。ここは怖いです」
『公園墓地への最短距離はこちらです』
 シュレディンガーの端末に地図が浮かび上がる。メイルはそれを見ながらゴーストタウンを恐る恐る歩いた。
 街を抜けた所に、花畑に面した大きな公園墓地が見えてきた。穏やかで牧歌的な光景にメイルは胸をなでおろす。墓地につくと、メイルはスペリオールラグーンを召喚し、中に寝かせていたジムダルの遺体を取り出した。空き場所に大きな穴を掘り、花を満たすとジムダルを寝かせた。メイルは別れを惜しむように、しばらくそこから動けなかった。
「お爺さん今まで育ててくれてありがとう――お爺さんと一緒でメイルは幸せでした」
メイルは両手を合わせると、ジムダルを埋葬した。石碑にジムダルの名前を彫り、花を手向けた。
『メイル、これからどうする』
「わかりません。お父さんとお母さんのいる護龍へ向かおうと思っていますが――お父さんは、なぜお爺さんを……」
 それを考えると、メイルは暗い気持ちになった。その時だった。街の外れにある大きな神殿から爆発音が響く。シュレディンガーが動向を追跡する。
『生命反応多数。ライドギアの存在確認。戦闘中』
「人がいるんですか? ラガシュの公園墓地を勝手に使ってしまったので使用申請がしたいのですが――」
『ジグラッド(神殿)にいるのが街人とは限らない。注意が必要です、メイル』
「わかりました」
 メイルはそういうとジグラッドとよばれる神殿まで走った。



「ギャオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
 メイルがジグラッドに向かうと、白銀の装甲を纏ったドラゴンが軍隊の総攻撃を受け、絶命していた。白の石造りで建築された頑健で神聖な神殿に爆風が広がる。
『ジグラッドのガーディアン、フシュムシュ。外敵を確認すると襲いかかる生物ですが、外部の軍隊と戦闘中ということは、駐屯している軍隊は遺跡荒らしかもしれません。注意が必要です、メイル』
「外部の軍隊が遺跡荒らしですか……? 街に人がいないのと、なにか関係しているんでしょうか?」
『詳細不明』
 メイルは石像の影に隠れ、神殿の中を盗み見ていた。祭壇の中央には、巨大で雄々しいライドギアが、翼を広げた状態で鎮座されている。駐屯する軍隊の中に、見覚えのあるライドギアがある。父の機体であるエンリルだ。メイルはエンリルを注視していた。中から父ヴァラッドが降りてくるのを確認して、祖父ジムダルを殺した理由を問い詰めたいと思ったのだ。
「あれは――」
 だが、予想に反してエンリルから降りてきたのは、父ではない、軍服姿の屈強な体躯をした男だった。猛禽類のような鋭い眼光が特徴で、独特の威圧感を放っている。
「お父さんじゃない――!? でもどうしてお父さんのライドギアを――?シュレディンガー、あの人達の会話を追跡して下さい」
『了解。ガーッ、ガガッ』
 軍人達の会話がシュレディンガーのモニターに中継された。
『ルガル(王)の心臓のシリンダー化は済んだか、ヘルダー。奪った指輪も寄越せ』
『はいドラゴ様。これでニンギルスを使役できるようになるはずです。エンリルの時のように』
『ラガシュの戦闘神ニンギルスか。この街にいたときは、ただのお飾りだったがな』
 ドラゴと呼ばれた屈強な体躯の男が、おそらくジムダルの心臓と思われる、緑色の培養液に満たされたシリンダーを、副官のヘルダーから受け取る。メイルは目を見開いた。
「お爺さんの心臓――!」
 メイルの心に怒りがこみ上げてきた。なぜ祖父ジムダルがあのような扱いを受けなくてはならないのか。
『メイル、これは――危険です』
 シュレディンガーが、会話の追跡を中断した。
『通常、ライドギアの操縦には指輪と操者の生命反応が必要。あの軍隊、ジムダルの心臓をシリンダー化し、生命反応を維持しつつ、ジムダルの指輪を奪った。その状態でなら他人のライドギアを操れる。おそらくメイルの父親ヴァラッドも――』
「お父さんも、お爺さんのようにライドギアを操る指輪を奪われて、心臓をシリンダー化されて生体認識されながら、エンリルの中に乗せられている――?」
『おそらくは。メイル。この場から逃げる事を推奨します』
 シュレディンガーの無機質な音声が、メイルの焦燥感を駆り立てた。
「あの軍隊はなにをしているのですか。今度はお爺さんの心臓と指輪でなにをしようとしているのですか!」
 メイルは声が大きくなりかけるのを必死に抑えた。
『あの祭壇にある巨大なライドギアは、この都市ラガシュの守護神で戦の神ニンギルス。動かせるのはラガシュの王のみ。ラガシュの王は多くの戦争で勝利を収め都市を平和に導きましたが、王政を廃止し民に街を授け、姿を消しました。おそらくメイルの祖父ジムダルはラガシュの――』
 シュレディンガーが言い終わらないうちに、祭壇の方から笑い声が聞こえてきた。
「ラガシュの王(ルガル)ジムダルも、その息子ヴァラッドも私の前に敗れた。ライドギア・冥府王ムスタバルを駆るこのドラゴの前にな! エドゥアルドの守護神の名を冠するシャマシュ、エンリルも我が手中にある!そして戦の神ニンギルスを手にするにふさわしい真の王はこの私だ!」
 ドラゴが笑う。両手には複数の指輪がはめられ、それらが光を反射して煌めいた。ドラゴはジムダルの指輪をはめると、ニンギルスの搭乗席に乗った。
「その通りですドラゴ様。ラガシュのみならず、護龍もドラゴ様の手でお治め下さいませ」
 冷笑的な声が響く。メイルと戦ったヴィオーラの搭乗主ヘルダーだった。
 駆動音をあげ、ニンギルスが動き出す。古代魔術《エンシェントルーン》のエネルギーである粒子が周囲を舞い出力を上げていく。だが、次の瞬間、戦闘神ニンギルスがとったのは使役ではなく殺戮だった。ニンギルスの爪がヘルダーを掠める。
「なっ――ドラゴ様!」
「暴走か! ジムダルの心臓だけではダメだというのか!?」
 ニンギルスはあたりの軍人を爪で切り裂き、血飛沫をあげながら殺戮を続ける。軍隊が全滅しかけるその時だった。
「お父さんとお爺さんの、心臓や指輪をかえせ――!!」
 メイルのスペリオールラグーンがニンギルスに向かって突進してきた。
「ペトロ【削爪】!!」
 スペリオールラグーンがドリル状に回転する鋭い爪でニンギルスの装甲を削り取り、ニンギルスの暴れる爪とかち合った。
「このお!! こんなもののために!! お父さんと、お爺さんは!!」
 スペリオールラグーンが、ニンギルスに鋭い爪撃を浴びせる。メイルの双眸からは涙が流れている。メイルの感情の爆発に呼応するかのように、スペリオールラグーンの出力もあがっていく。
「エンリ【光柱】!! 焼き尽くせ!!」
 光柱がニンギルスを包み、ニンギルスは感電したように動かなくなる。
「暴走状態は収まったか――だがこのドラゴの前に立つとは愚か者め!スクラップにしてくれるわ! ギラム【圧撃】!!」
 重力を纏った拳がスペリオールラグーンを掠め、重力のエネルギーで装甲がもっていかれた。同時に繰り出される反対側の拳がスペリオールラグーンにめり込み、遺跡の壁に吹っ飛ばされる。
「ルガル【王撃】! 消滅しろ!!」
 ニンギルスがエネルギーチャージを始めた。紅い閃光が火花を散らして動力炉に収束してゆく。弾ける閃光が巨大な遺跡を爆風で破壊する。出力が最大に高まった後、地面を真っ二つに切り裂き、遺跡の白い煉瓦をブロック細工のように破壊しながら閃光の衝撃波がスペリオールラグーンを襲った。
「―――!!」
 衝撃波が搭乗席まで到達する。メイルの腹部が裂け血が噴き出す。メイルは激痛と共に気を失い、スペリオールラグーンの召喚は解け、その場に投げ出される。遺跡の地面に転がるメイルに、とどめを刺そうとするドラゴ。メイルの腹部が修復されていくのを見て、ドラゴは手を止める。
「この回復力――ルルか?」
 ドラゴはニンギルスを指輪に仕舞うと、倒れているメイルの側まで歩いて行った。メイルの髪をつかんで立たせると、メイルのギアスーツを引き裂いた。
「あっ――ぐ――」
 ドラゴは右手でメイルの心臓を貫くと、生暖かく鼓動するそれをヘルダーに手渡した。
「貴重なルルのデータだ。調査が終わったら心臓をシリンダー化しておけ。後で指輪もいただく」
「はっ」
 メイルは失神したまま、ヘルダーに担がれると、シュガルラ(宇宙船)に連れて行かれ、暗い牢に放り込まれた。
「この少女――死にはしませんか、ドラゴ様」
 ヘルダーはメイルを気遣うように言ったが、その言葉はどこか冷笑的だった。
「ルルだ。簡単に死にはせん」
 ドラゴはそういうと口元だけでにやり、と笑った。



「はあ……はあ……」
 暗い牢獄、冷たい空気に満たされたそこでメイルがうずくまって冷や汗をかいていた。
『麻酔、止血剤投与。臓器欠損。治療不可。治療不可』
 シュレディンガーが応急処置をしたものの、メイルの顔色は蒼白で、今にも死んでしまいそうだった。メイルは心臓を奪われても生きている。自分が恐ろしかった。ドラゴやヘルダーは自分の事を「ルル」と呼んでいた。意味がわからなかった。
「誰か――助けて下さい――」
 麻酔と止血剤を打っても襲ってくる激痛と滲む出血に対する恐怖。メイルは暗闇の中で絶望していた。スペリオールラグーンを召喚しようにも、それを遮る磁場が形成されているらしく指輪が反応しない。スペリオールラグーンを持たないメイルは無力な子供だった。
 メイルはしばらく暗闇の中に横たわっていたが、力を振り絞って起きあがる。シュレディンガーを使って、シュガルラ内の装置に探知されないように、周辺で生きている通信を探った。
「――助けて下さい――誰か――誰か――」
 メイルは弱々しい声で誰に繋がるともしれない、ノイズの響く通信に何度も呼びかけた。
「ブツッ――誰だ?――ザザッ」
 通信が何者かに繋がったようだった。メイルは驚いたが、続けた。
「――ごめんなさい、心臓がな、な、くて、うまく喋れません――エドゥアルドの、鍛機師《ライダー》で、す」
 通信の向こうで息をのむ音がした。
「おい。大丈夫か? なにがあった」
「お、お爺さんと、お父さん、が、殺されて……し、心臓だけになって――」
 メイルの双眸から涙が流れ、それ以上言葉を喋れなかった。シュレディンガーが両目に搭載したビデオカメラで記録した映像と追跡した会話記録を、通信主のライドギアに転送する。メイルの現在地が記された座標も同時に転送された。
「これは……ラガシュの主神ライドギアが奪われて、王が殺された……?」
 通信の向こうの搭乗主は、シュレディンガーが転送した映像と会話記録を見たようだった。
「……」
「おい、大丈夫か、生きているか? まさかドラゴのシュガルラにいるのか?」
「は、はい。牢屋にいま、――す」
「戦闘中だが――すぐに行く。それまで持ちこたえろよ――ザザッ」
 通信主との回線が切れた。メイルは牢屋の中で無音の静寂に包まれると、改めて絶望的な気持ちになった。胸の激痛と共に不安がのしかかる。今ので、顔も名前も知らない人が、危険な宇宙船に助けに来てくれるんだろうか。メイルの意識には、死が色濃く浮かび上がっている。視界が二重にも三重にもゆがんだ。
『メイル。死なないでください。メイル』
 シュレディンガーの呼びかけも遠く聞こえる。なんでこんなことになったのだろう。祖父のいいつけを破ってラガシュに行ったので罰を受けたのだろうか。メイルは涙ぐんだ。祖父の行っていた手に負えない厄介事や底知れない悪意を、メイルは暗闇と静寂、刺すような冷気のなか、全身で感じていた。

第三話 月下の戦い

「……逃げる気? ……ふざけないで」
「急用が出来た。おまえに構っている暇はない」
 満月の夜だった。薄闇に溶け込むような黒鋼の巨人が夜空を駆る。後方から追うのは蒼釼のドラゴン。銀色の巨大な車輪が浮力を持ってドラゴンの周囲を浮いている。ドラゴンが黒鋼の巨人すれすれに車輪を投げ飛ばし、ドラゴンは輪の中を掻いくぐる。車輪を使った次元移動という神速の移動手段により、あっという間に距離を詰められ、黒鋼の巨人――ライドギア・竜騎士インフェルノはドラゴンに竜騎士の槍で応戦した。
「この戦闘狂め――! ロンド【輪舞】!」
 インフェルノの音速を超えた連続攻撃が、蒼釼のドラゴン――ライドギア・破壊龍ディスペリオールラグーンに直撃する。だがディスペリオールラグーンの強靭な巨体は揺らがない。ディスペリオールラグーンの胸部に古代魔術《エンシェントルーン》のエネルギーが収束する。胸部が蒼く発光し、核の粒子が舞い、膨大なエネルギーをインフェルノに浴びせようとしていた。
「まずい」
 インフェルノの搭乗者であるブロスは舌打ちをし、攻撃を止めディスペリオールラグーンから距離を置こうとする。連続攻撃を受けた事が、インフェルノの動きを止めるためのさそいだったのだ。ディスペリオールラグーンの搭乗者セムは美しい口元で艶然と微笑み、攻撃呪文を口にした。
「ギルダ【輪撃】」
 刹那、インフェルノはディスペリオールラグーンの車輪で拘束され、身動きが取れなくなる。
「ネルガ【核炎】!!」
 セムが呪文を叫ぶ。ブロスが狼狽した瞬間に、蒼い炎が柱となりインフェルノを包んだ。核の炎に包まれインフェルノの巨体はボロボロになり海へ堕ちた。セムはインフェルノにとどめを刺すべく――ディスペリオールラグーンの牙を、インフェルノの喉元に突き立てる甘美さを思いながら追撃してゆく。
 インフェルノの巨体が水飛沫をあげて海に沈む。装甲が核の炎で溶かされ、搭乗席に水が流れ込んだ。近接戦での衝撃で身体の調子もおかしい。
「くっ! 動け――インフェルノ!!」
 インフェルノは動かない。古代魔術《エンシェントルーン》の動力が目に見えて落ちてゆくのが実感としてわかる。インフェルノは半身を海水に沈めていた。追撃してくるであろうディスペリオールラグーンを思い、ブロスは空を仰ぐ。頭上には護龍帝国ヴァルバ正規軍の宇宙船が見えた。
「ドラゴのシュガルラ――!」
 先ほど通信で繋がった少女の悲痛な言葉。まだ少女は生きているだろうか。転送されてきた情報を見る限り少女は確実に存在する。見殺しにはできない。
「行かなくては――」
 ブロスは傷ついた機体をおして、夜空に飛翔した。セムが追いかけてくる。ブロスは爆炎呪文で迎撃し、距離を取る。呪文はディスペリオールラグーンに直撃し、機体が吹っ飛ばされる。わずかに時間は稼げるだろう。ブロスは一気に、ドラゴのシュガルラにいる空域に向かって跳躍した。
「む、ヘルダーか……!」
 デコイを装填したヴィオーラがインフェルノの気配を察知してシュガルラの前方に現れた。シュガルラがミサイルをこちらにむけて噴射し、爆風でインフェルノがよろめく。
「おのれ――! アグニ【爆炎】!」
 ブロスは爆炎の呪文を唱え、デコイに火柱を浴びせる。デコイの残像が消え、ギロチンの刃を持ったヴィオーラ本体が現れる。ブロスは竜騎士の槍で連続攻撃を見舞う。
「貴様、我々は任務中だぞ。軍属学者の分際で、自分がなにをしているのか分かっているのか!」
「黙れ! 子供に非道な真似を――」
 インフェルノがヴィオーラの機体をシュガルラに打ち付け、竜騎士の槍を見舞う。ヴィオーラの機体がシュガルラにめり込み、シュガルラの装甲が破壊される。ヴィオーラをシュガルラに磔にするように、竜騎士の槍をヴィオーラの両腕に撃ち込んだ。ヴィオーラは身動きが取れなくなる。
「しばらくぶら下がっていろ! 座標はこのあたりだったな――」
 インフェルノでシュガルラの壁を飴細工のようにこじ開ける。外の気流が内部の牢獄に流れ込み、檻や備品が外部に吸い出されて舞った。インフェルノが爆炎の呪文で扉を破壊する。その瞬間、一人の少女と猫型ギアが、夜空に風圧で投げ出された。
「あれか――待っていろ」
 インフェルノが少女の元へ向かおうとした瞬間、シュガルラが少女とブロスにミサイルを放った。少女の傍らでホバーする猫型ギアが戦闘モードになり、魔術シールドを張って、少女を護る。インフェルノは竜騎士の槍を投擲し、ミサイルを遠方で爆破させた。インフェルノと少女が戦線から離脱する。
 淡く蒼い燐光を帯び、流星の落ちる夜空を落下していく少女。
 ブロスは少女の真下までインフェルノを下降させる。湧き出るように星空を映す海へ半身を沈めた。インフェルノの魔術粒子が周囲に舞い、機体と星の海が蒼に染まる。ブロスは搭乗席から飛び降り、少女に手を伸ばすインフェルノの掌へと走る。
 指輪の蒼い燐光を帯びて、空中でゆっくり動きを止める少女。ブロスは自分の手元まで降りてきた少女の身体を受け止めた。少女の白い肌に魔術粒子が反射して、ゆらゆらと輝く。少女は愛らしい顔に痛みも苦しみもない安らかな表情をうかべ、冷たくなっていた。
「遅かったか――」
 ブロスはディスペリオールラグーンに察知されないよう、少女を抱えて搭乗席に戻ると、星の岬へと通じる地下洞穴へインフェルノを駆動させた。



「戻れ――!!」
 星を映し出して輝く地底湖の入り江で、ブロスはインフェルノを指輪に戻した。洞穴の上空は吹き抜けになっており、無数の流星群が流れるのが見えた。ブロスは洞穴の地に少女を寝かせた。地底湖からの淡い光が少女の身体を照らしている。
『臓器欠損。治療不可。臓器欠損。治療不可』
 少女の猫型ギアが無機質な合成音声を発する。
「やむおえんな」
 ブロスはインフェルノから研究用の臓器スペアを運び出すと、心臓をメイルの胸に押し当てた。線虫のような繊維が伸びて、少女の身体がブロスの心臓を取り込む。
『呼吸停止状態』
 シュレディンガーがそういい、ボンベから酸素を注入しようとするが少女は無反応だった。
 ブロスは蘇生措置を試みる。死んだように眠る少女の冷たい唇に、息を吹き込んだ。蘇生措置を繰り返すブロスの頬に汗が浮かぶ。
「生きろ! これではなんの為に出会ったのかわからん!」
 地底湖からの蒼い光が辺りを照らす中、ブロスは必死に少女に呼びかけた。どくん。ブロスの言葉に反応するように、メイルの鼓動が蘇る。
「けほっ、けほっ!」
 メイルが息を吹き返した。
「大丈夫か!? よく持ちこたえた、先ほど通信で話した者だ――」
 少女は目を覚ますと、ゆっくりブロスの顔を見た。黒い長髪、三十代なかばの男性で、左眼に黒いモノクルをはめている。硬質な近寄りがたさと理知的な雰囲気を纏った人物で、黒曜の双眸は思慮深く、学問に精通する人間の趣があった。黒尽くめの紳士的な出で立ちに、長身にぴたりと合った黒いコートを羽織っている。
「あなたは――?」
「私はブロス、軍属の学者だ。今――知り合いの女に追われている」
「私はメイルです。エドゥアルドの鍛機師です。あなたが私に心臓を提供してくれたのですか?」
「私はルル――人造人間の研究をしている。キミに与えた臓器は研究で使う素体のひとつだ。問題ない」
 そういったブロスは満身創痍で、コートに少なくない血液が滲んでいた。
「助けていただいたお礼です。じっとしていてください」
 メイルは猫型ギア・シュレディンガーの腕から応急キットを取り出すと、ブロスの傷の手当をした。ひどく痛んでいる。強い衝撃や溶解液でも浴びたような損傷具合だった。
「知り合いに追われているといいましたね。どういうことか教えていただけませんか」
 メイルが静かにブロスの目を見る。ブロスの黒曜の瞳からは感情が伺えなかった。だがメイルの背後に視線を落としたブロスの、顔色が変わる瞬間を見た。
「……ずいぶん弱ってるわね」
「セム――!」
 ブロスを隔てたメイルの目の前に、メイルと良く似た――淡色の長い髪、白のギアスーツに身を包んだ美貌の女性、セムが立っている。
「メイル!?」
 セムはメイルを見るなり、声を荒げた。
「どうしてここに――」
 メイルは自分と良く似た妙齢の女性を見るなり口を開いた。
「お、お母さんですか? 私の――」
 メイルが母であるセムに駆け寄ろうとした瞬間に、背後からものすごい力でそれを遮られる。ブロスだった。ブロスがメイルの腕を掴んでいる。痛みで何をされているのかメイルは一瞬わからなくなっていた。
「キミを母親の元へやるわけにはいかない。娘の命が惜しくば、今日のところは引き取りたまえ、セム。娘の安全は保障しよう」
 最後の言葉はセムへ向けられていた。メイルの頭には、いつの間にか銃が突きつけられている。
「……卑怯者――! ……メイルを離しなさい!!」
 セムが呻いた。
「お母さん!! なんで邪魔をするのですか、ブロスさん!!」
「ではキミが決めるか? きみはどちらにつくんだ? キミの母親――世界を滅ぼす破壊龍か、私――エドゥアルドの鍛機師《ライダー》として共に護龍を守るという使命を果たすか。キミは後者でここへきたとさっき私にいったな?」
 ブロスがメイルに拳銃をつきつけたまま言った。
「お母さんが破壊龍? どういうことですか?」
「……メイル、話を聞いちゃだめよ。……その男のそばにいるのは危険なの。……それにライドギアという強力な戦闘手段を持っていればヴァルバ正規軍に利用されるわ。……ブロスはもう軍隊の犬なのよ。……エドゥアルドの使命なんて果たさなくていい。……ジムダルがあなたになんと言っていても!」
 セムは悲痛ともいえる声音で、メイルに呼びかけた。
「えっ!? どうしてそんなことをいうのですか? お母さんはエドゥアルドの使命で派遣されたと――」
「君の母親は使命の途中で、悪党に、ヴァラッド――君の父親を殺されて自暴自棄になり、守護を目的とする他の鍛機師《ライダー》達を襲い、護龍の破滅のために動くようになった。君を助け、協力できる鍛機師《ライダー》は、もうこの世界では私しかいないのだぞ。どちらを信じるのかね。自分で決めたまえ」
 ブロスの身体の傷を見る。母セムがやったのだという。対してブロスがセムを傷つけた形跡はない。メイルは逡巡したのちに応えた。
「お、お母さん。聴いてください。私はブロスさんと行動します。でもまだブロスさんを信じたわけじゃありません。でもブロスさんは私の命を助けてくれた恩人です。今日のところは――ブロスさんを殺すつもりなら、いったん……お引取り願います……」
「そんな――メイル!!」
「軍隊に狙われているお前のそばにいるよりは、メイルは私のもとにいるほうが安全だぞ。だが今メイルを連れて行くつもりなら、この場でメイルを殺す。どうするんだセム。破壊龍を持って立ち去るか?」
 ブロスはメイルの頭に銃をつきつけたまま言った。
「……わかったわ。……今日は退く。……でもこのままで済むとは思わないことね。……必ずメイルを引き取りにくるわ。……そのときまでが――あなたの余命よブロス」
 セムは鋭い双眸でそういうと、踵を返し洞窟から姿を消した。それを確認するとブロスはメイルの頭から銃を離す。――銃の安全装置は取り付けられたままだった。
「お母さん……せっかく会えたのに」
「……すまなかったな。銃を向けたりして。セムを追い払うための方便だった」
 メイルがその場にへたり込んで落胆していると、ブロスがメイルの目線の高さまで腰を下ろした。
「だがキミは正しい選択をしたぞメイル。今の自暴自棄なセムについていっても待っているのは破滅だけだ。私のインフェルノだけでは、魔術強化を重ねたディスペリオールラグーンに太刀打ちできない。キミが力になってくれると私としても助かる。キミがどういうライドギアを手にしているのかはまだ知らないが――」
 メイルがブロスの身体の手当てを再開した。ブロスの言葉が終わらないうちに、洞窟の外から爆発音が響く。メイルはブロスの身体の手当てを終えると、ブロスと共に洞穴の外に走り出た。

 ◆

 夜空を埋め尽くす満天の星。蒼い軌跡を残して流れる流星郡。狭間からルインフレームの軍勢が見えた。街を襲っており、爆撃音はルインフレームの攻撃によるものだった。
「今日から一年間、大流星郡が護龍に降り注ぐ。ルインフレームの内部にいるニムロッドという幽体は、流星が放つ魔術粒子(プラーナ)で強化される。手強い相手だぞ。さっそく仕事だ、キミもライドギアを召喚したまえ。インフェルノ!」
 ブロスは指輪からインフェルノを呼び出す。鋼の巨人が海域を飛翔し、メイルもそれに続いてスペリオールラグーンを呼び出す。
「我が呼び声に応えよ、スペリオールラグーン!」
 メイルの呼び声と共に、星の降り注ぐ海域へ、スペリオールラグーンが姿を現した。ブロスは既に空域で戦闘を始めていた。連続攻撃をルインフレームに浴びせて、数機を大破させている。ディスペリオールラグーンには及ばないものの、強い。だが、空を飛翔してきたルインフレームの数が多すぎる。
 メイルはルインフレームの軍勢がブロスを取り囲む前に、広範囲攻撃を浴びせようと攻撃呪文を唱えた。スペリオールラグーンの動力炉に白光が収束される。
「エンリ【光柱】!!」
 白い光の柱はブロスのインフェルノすれすれに発射され、周囲のルインフレーム数十機を巻き込んで蒸発させた。今夜は持久戦になるだろう。エネルギーの消耗が激しいエンリの乱発はできない。メイルはブロスのように近接戦に持ち込もうと、無数のルインフレームに向けて夜空を飛翔した。
「……りぃぃぃぃる……」
「ひいっ! ルインフレーム!!」
 宿舎街。就寝中を襲われた宿舎に住む人間を、ルインフレームが瓦礫から乱暴に引きずり出す。土埃の中、機械装甲に覆われた腹部から、不気味な肉塊が顔を出す。巨大な食道と触手を広げ、人間を音を立てて咀嚼し始めた。
「うっ、なんてことを――」
 メイルは眼前のルインフレームに応戦しながら、地上の人間を捕食するルインフレームを初めて目撃し、思わず口元を押さえる。
「……がべる……がべる……」
 宇宙空間では聴こえなかったルインフレームの声。機械同士が擦れたような不協和音。メイルは背筋が寒くなった。
「被害を被ってしまったか――! ルインフレームには、『殺戮』と『捕食』の二つの意思しかない。ここは軍都ヴァルバ。軍隊都市の海域だが、ヴァルバ正規軍のライドギアが動き出すまでに時間がかかるだろう。我々で、できるだけ破壊するぞ」
 ブロスが通信でメイルによびかける。その間にも軍基地から数機のライドギアが出動し、街に面した下の空域でルインフレームと戦っていた。ドラゴの機体ムスタバル、ヘルダーのヴィオーラもいる。
「ドラゴ様、ブロスへの罰則はいかがいたしましょう。逃がした少女も蘇生したようです。見たところ、ルインフレームとの戦闘に参加するようですが――」
 ブロスのメイルの通信に、近接空域で会話するヘルダーの音声が入った。
「連中も鍛機師(ライダー)のはしくれだ、戦う意思はあるんだろう。ほうっておけ。今は目の前のルインフレームを倒すぞヘルダー」
「はっ。ただちに――」
 ブロスとメイルの二人は、ドラゴとヘルダーの会話に息を呑んだが、戦闘へともどる。
「あの二人も戦闘に参加するんですね――ブロスさん、私の呪文は消耗が激しいので、乱発するとオーバーヒートで動けなくなります。なので私も近接戦で戦います」
「まて! キミの呪文の威力は先ほど見た。この数だ、広範囲攻撃のほうが効率がいい。私が近接戦で連続攻撃を見舞いながら、ルインフレームを一極にひきつける、ひきつけたところで呪文を放て。私の合図で私のいる方角へ向けて撃てるか?」
「わかりました。でも危なくなったら、私も近接戦に切り替えて援護に向かいます」
 ブロスは祖父がしていたように、自身が囮になりルインフレームの軍勢をひきつけ、メイルから引き離した。メイルは海域に下降してくるルインフレームを、スペリオールラグーンの爪撃で各個撃破する。
「アグニ【爆炎】」
 ブロスの駆るインフェルノが呪文を放つ。竜騎士の槍でルインフレームに連続攻撃を叩き込み、大群を引きつける間にも数機を大破させていた。ルインフレームの残骸が、メイルのスペリオールラグーンの傍を通り抜けて海に落ちてゆく。
 ビームサーベルを持ったルインフレームがインフェルノを囲み、インフェルノの動力炉に向けて斬撃を浴びせる。ブロスは数機の攻撃を紙一重でかわしたが、今夜は流星郡。ルインフレームの力は強化され、動きもいつもと比べて俊敏だった。夜明けまで続く戦闘は、消耗していくエネルギーとルインフレームの軍勢との持久戦になってくる。ブロスは既に数十機のルインフレームを大破させていたが、夜空から絶え間なく下降してくるルインフレームの勢いは衰えない。
「いまだ、撃て!」
 ブロスがルインフレームの軍勢をひきつけ、メイルに広範囲攻撃であるエンリを放たせた。軍勢が一瞬で蒸発する。ブロスは余裕のできた空域で一息ついた。メイルもほっと胸をなでおろす。
 街に面する下の空域では、ヴァルバ正規軍のライドギアが、ルインフレームの軍勢と戦っていた。
 ヘルダーのライドギア・ヴィオーラが、磁力の呪文でルインフレームの軍勢を一極に引き寄せ、数機を磁力によって圧殺し、スクラップにしている。
 ドラゴのライドギア・ムスタバルは、ヘルダーが一極に集めたルインフレームを、重力の呪文で召喚したブラックホールに飲み込ませ、跡形もなく消滅させていた。
 他のライドギアも駆動しているが、ムスタバルとヴィオーラは郡を抜いて動きが俊敏で、連携に長け、強かった。敵に回ると恐ろしい二機だが、ルインフレーム討伐という目的を同じくする場合は、頼もしくあるとメイルは思った。
「あの二人――やっぱり強いですね。見たこともない呪文を使っています」
「ドラゴとヘルダーか? 伊達に将軍と大佐の地位についてはいないということだろう。む、あれは――見たことのないタイプの、ルインフレームだが――」
「……りぃいいる……」
 ビームサーベルタイプではないルインフレームが夜空から降下してきた。ブロスが目を凝らしているうちに、ルインフレームが攻撃態勢に入る。装備が違う。持っていたのは荷電粒子砲だった。
「まずいぞ」
 ブロスはとっさにインフェルノに防御体制をとらせた。しかし強化ルインフレームから放たれた荷電粒子がインフェルノを機体をかすめる。粒子の当たった装甲が丸ごと持っていかれた。
「りぃいいいいいいいる――!!」
 同時に、強化ルインフレームが携えた、イオンライフルの連射。インフェルノは負傷し体制を崩す。
「ブロスさん!」
 メイルは目前のルインフレームにスペリオールラグーンの爪撃を見舞いながら、負傷したブロスに叫んだ。ブロスはインフェルノを攻撃態勢に切り替え、竜騎士の槍で、強化ルインフレームに連続攻撃を浴びせた。だが強化ルインフレームは、装備も今までのルインフレームとは違い、頑強で、撃破させるまでに手間取る。
「強化ルインフレームが投下され始めたぞ、警戒しろメイル。ニアン【修復】!」
 ブロスが修復呪文を唱えるとインフェルノの装甲が修復されてゆく。ブロスは先ほどしたように、強化ルインフレームの軍勢を自身を囮にしてひきつけてゆく。だが今度は相手が悪い。善戦していたものの、一瞬の隙を突かれて、敵に囲まれてしまった。
 ブロスより下の空域で、複数のルインフレームを相手にしていたメイルは反応が遅れる。荷電粒子砲がインフェルノに直撃した。感電したように動作をとめるインフェルノ。
「くっ! よりによって今止まるか!!?」
「ブロスさん、今行きます!」
 メイルはブロスのいる空域に飛翔した。強化ルインフレームの巣窟。近接戦でダメージを負わせるものの、インフェルノほど近接戦に特化していないスペリオールラグーンは押されていた。
「りぃいいいいいいいる――!!」
 背後でイオンライフルを構える強化ルインフレームがメイルに向けて光線を射撃した。イオンライフルの散弾がスペリオールラグーンの機体にめり込む。装甲が破損し、搭乗席に着弾の衝撃が走る。
「あぁっ!」
 メイルが悲鳴をあげた。
「馬鹿者! なぜ上に来た! キミでは無理だ」
 インフェルノが負傷した機体をおして援護に駆動しようとしたが、四方を敵に囲まれ動きを阻まれる。その様子を、下の空域から見ていたヘルダーが、前線でルインフレームを蹴散らすドラゴに向かって口を開いた。
「ドラゴ様。例の二機が、強化ルインフレームを相手に苦戦しているようですが……。我が軍から援護を送りますか?」
「いらん。どう切り抜けるか見てみたい」
 ドラゴはそういうと、上方の空域に嗜虐に満ちた視線を移す。一方、完全にルインフレームの軍勢に囲まれたブロスは、舌打ちをしてメイルに通信で呼びかけた。
「止む終えん、メイル、そこから私に向けて呪文を放て! この至近距離なら軍勢でも一撃で消滅させられるはずだ」
「だ、駄目です! ブロスさんに当たってしまいます!」
「一発なら凌げる。早く撃て! キミも背後を囲まれているぞ! 強化ルインフレームが、キミの元へ向かう前に早く呪文を! 躊躇うな!」
 ブロスがもどかしげに、メイルを叱咤した。
「だめです……できません、ブロスさんまで死んでしまうかもしれません!」
 ブロスは諦めたかのようにため息をつくと、メイルに向かって呼びかけた。
「大丈夫だメイル。私は死んだりしない」
  メイルを安心させるための――決死の覚悟で見せた笑顔が、通信で搭乗席に映った。
「――っ」
 メイルの胸に、痛みとは違う何かがよぎる。
「うぅっ、お爺さん、私はどうしたら――! そうだお爺さんの呪文! 私にもシャマシュのあれが使えたら、あるいは――!」
 メイルは頭の中で祖父ジムダルの駆るシャマシュの技、アルム【光閃】を思い浮かべた。シャマシュはルインフレームが嫌う太陽神を模したライドギア。呪文は精神の具現化。イメージできるなら、スペリオールラグーンの技に出来る。メイルは祈るように祖父の呪文のイメージを頭の中で反芻した。メイルの中に優しい祖父の記憶が蘇る。記憶の情景にふれ、メイルの頬に涙が流れた。
「お爺さん、お爺さんの力を、私に少しだけ貸して下さい――!!」
スペリオールラグーンの動力炉にアカーシャの光が収束する。
「アルム【光閃】!!」
 メイルが攻撃呪文を口にした瞬間、アカーシャの光線が乱れ撃たれた。ブロスのいる軌道を除いて。プラズマの乱閃はブロスを取り囲んだ強化ルインフレームを各個撃破した。
「これは王(ルガル)の……! ばかな、ライドギアの技をコピーするなど……」
 ブロスは驚きの滲む声音で言った。インフェルノは余白の出来た空域を飛翔し、残りの強化ルインフレームに、出力を高めた連続攻撃を見舞った。
「ロンド【輪舞】! 」
 竜騎士の槍が強化ルインフレームを貫き、数機を一度に大破させた。メイルはアカーシャの乱閃を広い空域に放ち、一気に軍勢を消滅させる。エドゥアルドの太陽神の名を冠したシャマシュの呪文。祖父譲りの技は、凄まじい威力だった。
 それを下の空域から見ていたドラゴが、通信でヘルダーに話しかける。
「……コピー能力。ルルらしい姑息な能力だ。だが王の御技を幽界からトレースして発現するなど誰にでも出来ることではない。実験サンプルには欲しいところだ。ヘルダー、ルインフレーム数十機は生きたまま捕獲したな? 我々の計画にはルインフレームが不可欠だ」
「はっ、ドラゴ様。ルインフレームの捕獲は完了――ルインフレーム、強化ルインフレームともに地下のポッドに輸送済みです」
「よくやった。フフフ……俺が護龍を統べる日も近い」
 ドラゴはにやりと笑うと、軍本部へムスタバルを駆動させた。
「その通りです。護龍をドラゴ様の手でお治めくださいませ」
 後を追うように、ヘルダーが続く。
 夜明けが近づき、空が徐々に白んできた。朝焼けと共に、ルインフレームの軍勢は半透明になり空に融けてゆく。ルインフレームは太陽光を嫌い、星空の元でしか活動できない。
 「あれは――?」
 メイルは、軍のライドギアがルインフレームを数十機、本部へ搬入していくのを目撃し、首をかしげていた。
「ブロスさん。軍隊が、ルインフレームを数十機捕獲して 、本部に搬入していったようですが――ルインフレームをつかまえて何をするつもりなんでしょう……?」
「ああ――連中の『計画』だよ。まさか本気でルインフレームを捕獲するとは……。あとで話す。長くなりそうだからな」
 ブロスがメイルに向けて通信で応える。海域は朝日を反射し、太陽に照らされた軍都ヴァルバでは、ライドギア部隊がルインフレームの討伐と残骸の回収を済ませたらしい。集会のようなものが開かれていた。
「街のほうも、大丈夫そうですね」
 メイルはほっと一息ついた。軍港に向けてスペリオールラグーンを駆動させると、ブロスも後から飛翔してきた。
「ここは軍都ヴァルバ。民間の街よりは防衛力がある。住人も皆、軍人だ。多少被害を被ったようだが、大丈夫だろう」

 ◆

 二人は軍港に足をつき、指輪にライドギアを収納すると、お互いの顔を改めて見た。並んでみるとブロスの背は思ったよりずっと高く、メイルがブロスの顔を見上げる形になった。
「どうなることかと思ったが、キミに助けられたな。ありがとうメイル」
 ブロスは少し微笑んで、メイルの目線まで膝を折ると、握手を求めた。メイルはおずおずとそれに応え、ブロスの大きな掌を握る。
「い、いいんです。ブロスさんは、私のお爺さんのような戦い方をするので、冷や冷やします。自分を囮にするなんて。でも、信頼できる人だっていうのは、戦い方からわかりました。ありがとうございます」
 メイルはそういって、頬を赤くした。照れているらしい。
「それは私の台詞だ。私が危なくなったとき、強化ルインフレームの群れに突っ込んできたときは驚いたが、勇気があるな。キミは信頼できるパートナーのようだ」
 ブロスは優しく微笑んで言った。
「パートナー……ですか?」
「そう。鍛機師《ライダー》としてのパートナーだ。私のライドギア・インフェルノは竜騎士。護龍も守るという使命も、先ほどの強化ルインフレームをみたところ、過酷な戦いになると思うが、キミと共に戦う竜騎士であると誓おう」
 ブロスは朝焼けの軍港で、メイルの小さな手を硬く握り締めた。
「い、痛い、いたいです」
 メイルが悲鳴をあげた。」
 ブロスが極端に手から力を抜いた。
「今度は握力がなさすぎです」
 メイルがくすくすと笑った。
「キミの笑った顔は会ってから初めて見たな。いつもそうしていたまえ。深刻になるには、キミはまだ若すぎる」
「子供扱いしないでください」
 メイルがムッとして、ブロスをじとりとした目つきで見た。
「子供だろう、キミは」
 ブロスが至極当然のことのようにいう。
「さっき私をパートナーといったときのように対等に扱ってください。十二歳はもう子供じゃありません。エドゥアルドの使命を果たしにやってきた立派な一個人です」
 ブロスは「十二歳は子供だろう……」と、でかかった言葉を飲み込んだ。
「そうか。いい子だなメイル」
 ブロスはそういって、メイルの頭を大きな掌で撫でる。悪気はなかった。
「こっ、子供扱いしてます! その、よしよし、は子供扱いです!!」
 メイルが憤慨する。憤慨するが、褒められて悪い気はしなかったようで、頬を赤くして応えた。
「しかしながら、たまには撫でてもいいのですよ」
 メイルの照れた様子を見て、ブロスが微笑む。ブロスはメイルを軍都ヴァルバの宿舎街へと促した。
「しばらくは私がキミの身元引受人になる。来たばかりの戦闘で、キミも疲れただろう。軍隊の寄宿舎街にある、私の工房に来て休むといい。寝泊りもそこでしたまえ。キミはこの世界でほかに行く場所がないだろう?」
「軍隊の寄宿舎ですか……? 私は今日、軍隊に関わって酷い目に遭ったので行くのが怖いです。また襲われたりしないでしょうか?」
「キミの存在は伏せておく。私も軍属の学者だが、軍と折り合いがいいわけではない。特に上層部のドラゴ達とはな。ある目的を果たすまでは所属するが、それ以降は退役しようと思っていたところだ。セムにはその動向を軍隊の犬だの裏切り者といわれて汚さも自覚しているが、どうしてもやらなければいけないことがある。それには軍の設備が必要だ」
「ブロスさんがやらなければいけないこと――それを訊いてもいいですか?」
 ブロスは逡巡した後、メイルに告げた。
「ヴァラッド――キミの父親と、私は親友だ。以前はヴァラッド、セムと共に鍛機師《ライダー》としてルインフレームと戦っていた。だがヴァラッドが、ドラゴにやられて心臓をシリンダー化された。私は人造人間――ルルについて研究している学者。ヴァラッドの死後、軍隊に所属し、シリンダー化されたヴァラッドの心臓から身体を複製している最中なんだ。折りをみて、ドラゴからヴァラッドの指輪と身体を奪って逃走する予定だった――」
「お父さんの身体を――?」
「そう。ヴァラッドを殺されて逆上するセムにはそこまで話せなかったが。実行すればわかってもらえるだろう」
「私も協力させて下さい! お父さんをあの状態から助けられるなら、私なんでもします! そうすればお母さんだって――」
「キミが協力してくれるのは嬉しいが、事情が複雑なんだ。ついてこれるか?」
「複雑というと?」
「キミはラガシュに行ったな? 住人の消えたゴーストタウンだったはずだ。なぜなら、キミを襲ったドラゴ将軍がエドゥアルドの住人たちから指輪を奪い、心臓をシリンダー化した。ドラゴ将軍はそれを地上の護龍ヴァルバ正規軍に持ち込んで、ライドギア部隊を作り、自身は将軍の地位を得た。今回は、ラガシュに残された主神ライドギア・ニンギルスの回収任務だったらしい。ニンギルスはラガシュの王にしか扱えないライドギア。それで君のお爺さん、もとラガシュの王(ルガル)が狙われたんだろう」
「お爺さんがラガシュの王さま? お爺さんはそんなことは一言も……」
「君には打ち明けられない、思うところがあったのだろう。私はラガシュから離れて暮らしていたが、問題の多い都市だったからな――時に、キミはニムロッドやルインフレームのことを正しく理解しているかね? それによって、今後の心のあり方も変わってくるのだが……」
「正しくというと?」
「ニムロッドとはエドゥアルド人の負の感情が、指輪によって具現化したもの。幽体――人の想念からできた魔物だ。エドゥアルドの民の、強い恐れや、憎しみ、嫉妬、様々な負の感情が、幽界でニムロッドとなり、指輪の力で機械装甲を纏い、ルインフレームとして現実に実体化される」
「ルインフレームは、エドゥアルドの民の心が作り出しているんですか!? 宇宙からやってくるのではなく?」
「想念の世界である幽界から生まれ、宇宙を通過して地上にやってくるのがルインフレームだ。我々エドゥアルドの民が生み出したルインフレームが、地上の人間に危害を加える前に討伐することを、我々は使命としてきた。その理由がわかったかね? 我々エドゥアルドの民は、強力なライドギアを持って生まれる代わりに、ニムロッドやルインフレームを作り出してしまう危険な存在なのだ」
「じゃあ私達はどうすればいいんですか……? 生きているだけで人の害になってしまうなんて――」
「我々エドゥアルドの民はそれで地上から迫害され、宇宙へ移り住んだ経緯がある。我々が人に危害を与えずに生きていくためには、極力心に負の感情を持たないようにしなくてはならない。今日戦った大量のルインフレームは、心臓をシリンダー化されたラガシュの都市の人々の恐怖心や憎しみの心だろう。心臓をシリンダー化された恐怖と憎しみの心が、幽界でニムロッドとなり、軍隊の人間が指輪を使うたびに現実にルインフレームが具現化される」
「それじゃあ、軍隊のライドギア部隊がエドゥアルドの指輪を使うたびに、ルインフレームが大量に造られてしまうんですか? どうしてドラゴ将軍はそんなことを――」
「ルインフレームという脅威から人を救っているという体(てい)で、人を支配したいんだろう。ドラゴは地上の人間に迫害されたことに関して、深い怨恨を持っているようだからな――地上の人間の上に立ちたいという欲求が強いのかもしれん」
「私は、どうすればいいんでしょう――」
「理想的なのは、軍隊からエドゥアルドの指輪を全て取り返し、シリンダー化されたラガシュの住人の心臓を供養することだ。そうすれば指輪は機能を失い、ライドギアもルインフレームが作られなくなる。生粋の生きたエドゥアルドの民は、我々を含めて、もう数人しか存在していない。実行すれば、我々が護龍の人間の害になることもなくなるだろう」
「軍隊から指輪を取り返して、シリンダー化された心臓を供養すれば大量のルインフレームは現れなくなるんですね。私、やります。ルインフレームが私達の心で作られるなら討伐するのも、やっぱり私達の使命です。心臓をシリンダー化された、ラガシュの街の人たちがこれ以上苦しまないようにするのも――」
「――キミと出会えたのは幸運だったな。キミのことは全力で護らせて貰う」
 ブロスは真摯な眼差しでメイルを見た。
「ありがとうございますブロスさん。私――お爺さんにもいえなかったことがあるんです。私はいつも虚無感があって、何に対してもあまり感動できなくて、どこか冷めているところがありました。だから人生の中で「本物」とか「生きている実感」が欲しかったんです。でもさっき、ブロスさんと一緒に戦っていたとき、ブロスさんが自分を撃てといって笑ったときに、自分の窮地でも相手のために微笑むことの出来るブロスさんを見て、なにかこう――本物だなって感じがしました。それでブロスさんを助けるために、新しい呪文を成功させようと必死になっているときの私は、虚無感なんて感じてませんでした。生きているって感じがしたと今なら思います。だから、私も、ブロスさんと会えたのは幸運でした」
 メイルがたどたどしい言葉で、ブロスに心情を吐露した。
「哲学的な悩みだが、私も空虚で冷めているほうなのでキミの気持ちはわかるよ。だが自分自身の虚無や欠落について考えても、人間は生きてきたとおりにしかならないものだ。空虚ならば、自分で生きる指針を作らなくては。キミがこれから何をするかのほうが大事ではないかと私は思う。それを考えているうちに、キミの中に本物が芽生えたり、生きている実感というのがわかるようになるさ。」
 メイルは独り言のつもりだったが、ブロスが思いのほか真面目に応えてくれたので驚いた。
「私の中に本物……? ブロスさんみたいに命が懸かった窮地で、相手のために微笑める人になれるんでしょうか? 私は泣いてしまう気がします……」
「それはなんともいえんな……だが私にいえるのは、キミは笑っていたほうが好ましい。私は大人だ。キミのような者がそういう想いで泣かないように、キミの困難を取り除く人間でありたいと思う――君は信頼できるパートナーだからな」
「パートナー――ですか」
 メイルはブロスと自分との間に出来た関係性を、一字一句確かめるように呟いた。そこにメイルの人生における「本物」のきざしが感じられたからだ。メイルは頬を赤くし、サイドポニーテールの毛先を指でくるくると弄る。喜んでいるらしい。
「そう。我々はパートナーだ。これからもよろしく頼むぞ、メイル」
「はい、ブロスさん」
 親子ほど体格差のある二人は、朝焼けの軍港を瀬に、大きな掌と小さな掌を再び硬く結ばせた。

第四話 刃鋼輔編プロローグ

 水上都市の熱帯夜。王都コロシアム。熱気にあふれる戦場が、今夜は静まり返っている。戦いは行われていた。夜明けまで続く、護龍の王を決める決戦。
 護龍の皇帝である真紅の鎧を纏った重騎士・空皇帝(テオテスカ)に対するは、学生服姿の凛とした青年――刃鋼輔(やいばこうすけ)。空皇帝は巨大な宝剣、ブレードギア・マカナを。鋼輔は大柄の日本刀、ブレード・ギア・倶利伽羅を握っている。
 夜の一刀。空皇帝の一手。張りつめた空気の中、目にも留まらぬ鋭刃の一閃が空を斬る。倶利伽羅が放つ必殺の白刃と打ち合い、打撃のインパクトで火花が散った。
 空皇帝の猛攻を受け、鋼輔は手にした日本刀、倶利伽羅を硬く握り締める。もう一度、己の一撃必殺、無拍の太刀の予備動作に入った。空皇帝の急所を狙い、音速の太刀を繰り出す。無の太刀は光を纏い、明の一刀となる。空皇帝は倶梨伽羅の白刃に向けて、大振りの凄まじい剣戟を放ち、鋼輔の一撃必殺を相殺する。
 拮抗する技量。ぴたりと合った呼吸。互いの剣に込められた無私の心。
 剣の為だけに紡がれる一手。これほどの太刀を振るうのに、相手は一体いかほどの時間をかけ鍛練を積んできたのか。剣戟が続くほど、渾身の一刀をぶつけあうほど、相手の剣と剣に刻んできた己だけの時間を、互いに理解する。命を賭けた斬り合いは、円舞のように延々と続いた。
 鋼輔は空皇帝の剣に、深い夜を見た。夜。鋭い剣戟は夜の如く深い。
 空皇帝は鋼輔の剣に、暁の日を見た。暁。閃乱の一刀は暁の如く眩い。
 お互いに相殺しあう必殺の一刀。
 鋼輔は自己を否定することで強くなった。己の全てを否定し、果ては死すらも自意識に組み込み、決死の一手を武士道と見つけて研鑽を積み重ねてきた。
 空皇帝は自己を肯定することで強くなった。己の全てを肯定し、果ては護龍の頂点に君臨し、誇り高き己を敬愛と自愛で鼓舞し、全ての一撃を必殺とするべく研鑽を積み重ねてきた。
 意識は違えど、両者は無我の境地で、がむしゃらに「あるべき自分」を信じ剣を磨いてきたことにかわりない。
 王都の夜は明けつつあった。暁が夜を追いやり、コロシアムへ朝日が差し込む。夜の騎士、空皇帝の剣の切っ先が鈍る。大振りの宝剣マカナは威力と引き換えに体力を消耗する。一晩中の斬り合いで、重装備の鎧を纏った夜の王は疲弊していた。だが鉄仮面から除く紅い双眸は闘志を失っていない。
 次の一手で決着はつくだろう。一手の先に、立っていた方が護龍の王となる。
 護龍を統べるのは、夜の王か。暁の王か。
 コロシアムの聴衆は静まり返り、新たな王の誕生を決める決戦を見守る。
 鋼輔は護龍の姫であるイシュタムを生贄の責務から開放するために、空皇帝に勝たなくてはならない。だが今は空皇帝との仕合に魅了されているかのように、ただ己が放つ一手に全神経を集中させていた。鋼輔は決意と共に叫ぶ。

「俺は最期の一手まで自己否定をやめはしない! 己の全てを未来に賭けた、次の一手を最強と信じているから! 漣(さざなみ)に明一刀(あけいっとう)! 我が蒼刃――倶利伽羅に斬れぬものなし!」

「俺は護龍の頂点に君臨する自分自身を肯定する! 己の力の全てを信じ、一撃を解き放て! 砕けマカナよ! 紅き断刀の前に――露と散れ!!」

 繰り出される蒼(あお)と紅(あか)の残像――渾身の一閃が火花を散らしてぶつかり合った。



第五話 蒼刃の巫覡

 朧月の浮かぶ夜だった。辺りは闇に塗りつぶされ、裏路地に人の気配はない。市街地の喧騒から遠ざかり、静まり返った狭い歩道には、まばらに点滅する街灯が続く。蛍光灯の光に近寄っては焼かれる、羽虫の音だけが辺りに響いていた。
 龍帝高等学院の制服を着た女生徒――千乃廻(せんの・めぐり)は腕時計が十時を回っているのを見て歩を早める。廻が歩く度に、手入れのなされたポニーテールが夜風になびいた。
「お嬢さん、夜道に一人は危ないですよ。僕が家まで送っていきましょうか?」
 スーツを着たサラリーマン風の男が廻に声を掛ける。突然、目の前に現れたかのように唐突だったので、廻は驚いて肩を震わせたが、失礼にあたるかと思い、動揺を隠した。
「いえ、大丈夫です。防犯ブザーも持ってますし、家もここからそう遠くないんです」
 廻は少しだけ警戒しながら、丁寧な言葉で応えた。
「家が近い? それは良くない――」
「良くない……?」
 男はそういうと、うつむいてうわごとのように、なにかを呟きはじめた。
「良くない良くない良くない良くない良くない良くない良くない良くない良くない良くない良くない良くない良くない良くない―― 僕が餌をッ! 食べられないじゃないかッ!」
 男の舌が顎の下まで伸び、前屈の姿勢になる。背が背広ごと大きく裂けた。黒光りする鱗を持つ、爬虫類にも似た《異形のもの》が弾けるように姿を現す。
「キャアアアアァァァァァ!」
 前傾姿勢でこちらを威嚇し『グルル…』と喉を鳴らす《異形のもの》への恐怖に支配され、廻はその場から逃げようにも、足がもたついて動けなかった。
 全身に黒い鱗を持つ、獰猛で闘気に満ちた《異形のもの》。黒く鋭い爪が朧月を反射して光る。疾走してくる《異形のもの》の爪で、廻の制服と脚の急所が切り裂かれる。制服は裂け、姿は裸に近く、脚も動かせない。廻を足止めする為の攻撃だった。
 《異形のもの》が、廻に向かって黒い粘液を飛ばす。激痛の中、廻の身体に黒い粘液が飛び散った。気が遠くなり、全身に纏わりついた黒い粘液に生命力が吸われていくのがわかった。目の前には大口を開けた《異形のもの》の涎にまみれた牙がある。
(もうだめ――!)
 廻が絶望しかけたところで、《異形のもの》の動きが止まった。
朧月を背に跳躍と共に現れた黒い影が、残像を残して踊る。蒼く光る鮮やかな斬撃の閃光と共に、《異形のもの》の四肢が切断されていた。
「あ……あ……!?」
 廻は倒されていく《異形のもの》へのかわらぬ恐怖、現れた黒い影への安堵という相反する心地の中で目前の出来事を見ていた。
 達磨と化し、周囲に飛び散った《異形のもの》の四肢。黒い粘液を辺りに散らして暴れる、身動きの取れなくなった《異形のもの》。黒い影は蒼く光る日本刀の刃で、暴れる《異形のもの》に閃光の走るが如く無数の斬撃を叩き込む。最期の一刀で刀身に蒼炎を宿す。瞬く間に燃え広がる蒼炎は《異形のもの》を包んだ。
「怨敵滅殺 、浄魂追善 、魔切りの御霊よりて邪悪斬絶 、我が蒼刃 、倶利伽羅に斬れぬものなし――!」
 黒い影の詠唱が終わるなり、《異形のもの》は蒼炎のなかで蒸発し、黒い砂塵を残して元のサラリーマンの姿に戻る。黒い影が廻に振り返る。逆光で顔は見えないが、廻とそう年齢の変わらない、少年というには大人びた印象の男子生徒だった。龍帝高等学院の学生服を着て、応援団がつけるような注連縄で身体を縛り、大柄の日本刀を握っている。
「破ッ!!!」
 男子生徒が廻に向かって一喝する。彼女に纏わりついていた粘液が蒸発し、黒い砂となり地面に流れた。男子生徒は己が身に付けていた梵字の描かれた鉢巻で廻の脚を止血をする。彼女の脚の痛みはなくなった。廻は驚き、自分の傷を鉢巻の上から撫で、男子生徒の顔を見た。
「鋼輔君――」
 鋼輔と呼ばれた男子生徒は、制服が破け肌も露な姿の廻に、自分の学生服を羽織らせた。廻は見覚えのある人間が現れたことへの安堵から気を失ってしまった。
「お、おい廻! 大丈夫か!?」
 鋼輔は廻を抱え、足早に二人が住む焔神宮寺へと歩を進める。朧月は隠れ、雨雲が広がり、周囲に雨が降り始めた。

 ◆

 ゴゴォォン…… ゴゴォオン……

 にわか雨の通り過ぎた朝。龍宮市に焔神宮寺から鐘の音が響く。蒼穹に螺旋を描きながら黒い龍が舞う。黒龍・クリカラは、龍宮市の人々を見守るように悠々と空を進む。主の待つ焔神宮寺へ向かって。
 早朝の焔神宮寺。境内では一人の青年――焔神宮寺の主である鋼輔(こうすけ)が袴姿で居合いの稽古をしていた。ひやりとした、清冽な朝の空気が身体に浸透する。境内にある池が、秋の空を美しく映し出している。木々の梢から水滴が落ち、池の水面に波紋を作って広がった。
 鋼輔は抜刀し、目にも留まらぬ速さで真剣を降りぬく。目の前に落ちた木の葉が二つに割れて散る。
 空から焔神宮寺へクリカラが舞い降りてきた。居合いを抜く鋼輔の白刃に、黒い龍がすうっと溶け込む。抜刀された一振りからクリカラの放つ蒼い炎が広がった。
「鋼輔君、クリカラ、おはよう。昨日は助けてくれてありがとう」
 巫女装束姿で現れた廻は、うっすら汗をかいている鋼輔の首に白い手ぬぐいをかけた。母屋の縁側に立つ廻の傍らには、朝食の古式料理がお膳に乗せて置いてある。
「おはよう。いつも助かるよ、廻。黒影に襲われるなんて災難だったな」
「うん。吃驚しちゃった。あっ、鋼輔君、腕怪我してるよ……ちょっと見せて――」
 廻は鋼輔の腕にある擦り傷に触れる。淡く白い光が腕を包む。細胞が熱を帯びて活性化する。日を浴びたように暖かい。鋼輔がもう一度傷を見ると、そこには血色のいい皮膚があり、傷は跡形もなく消えていた。
「いつ見ても不思議だな。ありがとう、廻」
「ううん。鋼輔君もあんまり無理しないでね。巫覡の仕事とはいえ、毎晩、生傷作って帰ってくるから心配で――。クリカラからも邪気を祓わないと――」
 廻は鋼輔の日本刀・倶利伽羅に宿る、黒龍・クリカラを呼び出した。清めの祝詞を奏上し、昨日襲ってきた黒影と接触した際にクリカラが吸った邪気を祓った。
「これでよし。邪気を吸いすぎると、クリカラが魔龍になっちゃうからね」
 廻はそういってクリカラの身体を撫でた。クリカラは気持ちよさそうに、されるがままになっている。クリカラは社の者にしか見えない。クリカラは人懐っこく、存在を感知できるものに懐く。クリカラは龍宮市を守護する龍神なのだが、その姿の見える巫覡の鋼輔と巫女の廻にはとくに懐いていた。
 廻は癒しの巫女で、生まれつき治癒能力を持って生まれた。両親はおらず、鋼輔の祖父である刃永源が焔神宮寺に巫女として引き取られた。幼馴染である二人は、鋼輔の死別した祖父・刃永源の残した道場、焔神宮寺 、鎮守社の管理をしながら共に暮らしている。
 不動明王を守護神仏とし、鎮守社に祀る焔神宮寺は、龍を眷属と定め、過去に強力な戦巫女、巫覡、僧兵など巫力の高い巫者を排出してきた。現代においてその役割は廃れてきてしまったが、焔神宮寺の巫者は、龍宮市の守護が義務づけられている。
 鋼輔と廻は縁側に並んで座り、朝食を取る。食べ終わると、汗をかいた鋼輔は水を浴びに行き、廻は境内にある池に向かった。
「でめきち、朝ご飯ですよ。いっぱい食べて大きくなるんだよ」
 廻が幸せそうに、いつもよりワントーン高い声で、池で悠々と泳ぐ巨大な出目金に話しかけた。でめきちの飛び出した両目が廻を捕らえ、水中で赤い尾ひれが揺れる。でめきちは大きな口を水面に突き出して、撒き餌を食べていた。
 鋼輔が水浴びから戻ってくると、渡り廊下から廻に声を掛けた。
「でめきちも長生きだよなあ。焔神宮寺の式年祭のとき、屋台の金魚すくいで取ったんだよな――」
「もう7年になるね。私がへたくそだったから、鋼輔君がでめきちを取ってくれたんだよね」
「廻が金魚を掬う前から、でめきちって名前つけてたから、取らないわけにはいかないだろ。屋台のおっちゃんまで、でめきちって呼んでたしな」
「あの時は、凄く嬉しかったなあ。そうだ、鋼輔君。あのとき屋台の射的でとったもの、鋼輔君と神堂君と私で、タイムカプセルに入れたよね。そろそろ三人で掘り起こしてみない? あそこの、リンドウの花畑の近くに埋めたの覚えてる?」
 廻が懐かしそうに、声を弾ませて言った。神堂とは鋼輔と廻の、もう一人の幼馴染のことだ。
「ああ。でも神堂、忙しいかな。俺から話してみるよ」
 鋼輔は境内の花壇に咲いた無数のリンドウを見る。廻が世話をしている花で、でめきちの世話を終えると、花に水をやり始めた。巫女姿の廻。青紫に咲き乱れる鮮やかなリンドウの花。なかなか絵になる。
 鋼輔は袴姿で、焔神宮寺の境内に水を撒いての掃き掃除を行う。秋の清冽な空気が焔神宮寺を包んでいる。昨晩は雨が降ったので、わずかに雨のにおいがした。地面の水溜りが、大きな神宮寺を鏡のように映し出している。雨に濡れた神木は大半が乾いたものの、広がる梢から水滴を落としていた。鋼輔と廻はそれを綺麗だと思いながら、制服に着替え、学校に行く支度をする。
 二人で管理している焔神宮寺を出ると、いつもどおり朝の景色が待っている。港から吹く潮風が心地よい。
 皆は日々の暮らしに特別なことを求めるが、鋼輔と廻は日常の積み重ねが好きだった。ありきたりな日常などないと思っている。自分を成り立たせるためにさまざまなものが存在し流通していることを考えると、それらをありきたりとかつまらないという気持ちになれなかった。
 鋼輔と廻は日々の糧のために、潮亭という定食屋でバイトしていた。新鮮な海産物が売りで、安く量もあり味もいいので繁盛している。学校が終わると二人はいつもそこでバイトをし、帰路についていた。
「潮亭のおかみさんがね。また今度夕飯食べに来て、って言ってたよ」
「店のマスコットも考えて欲しいんだっけ? く●モンみたいな……」
「でめきちはどうですか、潮亭(うしおてい)でめきち、っていったらおかみさん、喜んでたよ」
「ほんとかよ。リアクションに困ってんじゃないのか」
 でめきちは鋼輔から見て全く可愛くないのだが、廻はいたくでめきちを気に入っている。
「でめきちは、鋼輔君からもらった金魚だからかもしれないけど、鋼輔君に似てるんだよ」
 廻はさらっとひどいことを言う。
「地味に傷つくぞそれは。俺とでめきちの、どこが似てるんだよ」
「凛としてるところとか……」
「あいつ凛としてるかあ?ぼへーっとしてるぜ。白くて赤いし、巫女の格好した廻に似てるよ」
「本当? 私、でめきちに似てる?」
 廻は頬を赤くしてはにかんだ。嬉しいらしい。鋼輔は頭を抱えた。
「廻は昔から、なんかずれてるんだよな……」
「ずれてないよ、でめきちは可愛いもん! それにしても――今日はきれいな秋晴れだね」
「そうだな。俺、秋って好きだな。涼しくて、過ごしやすいし」
 二人は通学路をアーチのように覆う落葉樹の並木、梢から差し込む斜陽と枝葉の影が形作る景色、海が見える港の堤防が好きだった。このあたりの並木道は、鋼輔も体力作りでよく走る。何キロも走ってくたくたになった時、夕日に映えるこの風景を見ると、風音と一緒に胸がざわめく。初秋の涼しい朝、空が真っ青に晴れ、白い雲が流れるのを見るだけで、気持ちが大きくなる。鋼輔は道端のコンクリートを突き破って健気に咲いている竜肝(リンドウ)に感動して己の身を引き締めた。
「リンドウだ。おじいちゃんが好きだったよね。境内のリンドウも、もう咲いてるよ」
「ああ。よくあんなに育てたな。じいちゃんが生きてたら喜んだだろうな」
 二人が会話しているうちに龍帝高等学院の昇降口についた。二人は二年の蒼いラインの入った上履きを履くと、二階にある教室に向かった。

 ◆

「校内で騒ぎを起こすなといっているだろう」
 二人が廊下を歩いていると物陰から、険のある鋭い声が廊下に響いた。
「ああ? うるせえよ。お前二年だろ? 生徒会長だからって、調子に乗ってんじゃねえぞコラ!」
 制服を着崩し、校内にも関わらずタバコを手にした、柄の悪い三年の不良グループ。一年の気の弱そうな男子生徒を囲んでいた。一年の生徒は、涙目で財布と紙幣を握っている。金を巻き上げられていたらしい。
 龍帝の生徒会長のしるしである白い学制服を着た男子生徒は、不良グループとにらみ合っている。不良グループで一番大きい体躯の持ち主が、生徒会長である男子生徒の胸ぐらを乱暴に掴む。
「フン。やる気か? 弱いものにしか強く出れない悲しい生き物め」
 龍帝の生徒会長――神堂叡智は、上級生の腕を掴んでその場に投げ飛ばした。
「この野朗! 斉藤さんに何しやがる! やっちまえ!」
 不良グループは一斉に神堂に殴りかかる。神堂はやれやれ、という表情で、掴みかかる上級生を、荒々しくも型の取れた動作でのしていった。上級生相手に目潰し、前歯を折る、出血するほど打撃を見舞うなど、神堂の手は容赦がない。神堂は不良グループの一人の靭帯を締め上げると――へし折った。
「ぎゃああああああああああッ!」
「てめえ!!」
 仲間の悲惨な姿を見咎めた上級生の一人が、ナイフを持ち、神堂の急所を狙う。
「誰に刃物を向けたか、思い知らせてやる」
 神堂はそういうと腰に帯刀していた日本刀――白炎を抜いた。一閃。ナイフが弾かれ、鋼輔の目前に飛来し、壁に刺さった。鋼輔は壁からナイフを引き抜くとため息をついた。神堂はたじろぐ上級生に必殺の予備動作をとっている。
「おい――、神堂! それは流石に死ぬぞ」
 鋼輔はそういうと放たれた一閃をモップの柄で受け止めた。神堂の剣と同じ速度を持ったモップの柄は斬れなかった。廻は神堂の責任にならないように、癒しの力を使って、怪我をした上級生の手当てをする。
「なんだてめえら!? 剣道ならよそでやれや! おい神堂! てめえがここで好き放題できるのも、親が金持ちで御曹司だからだろ! 親の権力傘に着てかっこつけてんじゃねえぞ!」
 不良グループは捨て台詞を吐くと、廻に礼も言わず、三年の教室に戻って行った。聴衆が遠巻きに神堂を見ている。
「フン。そうさ、誰もここに僕を止められる奴なんかいないんだ。――鋼輔、お前をのぞいてな」
 神堂は鋼輔の顔を見てにやりと笑う。鋼輔はあきれたように嘆息した。
「校舎で日本刀振り回すのやめろよ。それも生徒会長の特権なのか?」
 鋼輔が手にしたモップを、掃除用ロッカーに戻しながら言った。
「あの……神堂さん、ありがとうございました――助けてくれて」
 不良グループに金を巻き上げられそうになっていた一年の男子生徒が、気弱な声で神堂に礼を言った。
「気にするな。そのための生徒会長だ」
 神堂は男子生徒に向けて不適に笑った。一年の男子生徒はぺこぺこと頭を何度も下げて、一年の教室に戻っていった。
「ところで鋼輔。最近の通り魔事件についてなんだが――」
 神堂が鋼輔になにかいいかけると、予鈴が鳴った。神堂はまた後で、と続けると、三人は二年の教室に入った。

 ◆

 HRは最近多発している通り魔事件についての注意喚起から始まった。通り魔事件ということになっているが、実際は昨晩鋼輔が討伐していた、黒影と呼ばれる物の怪によるものだ。最近活性化して、街で人間を襲い、生命力を吸うようになった。人間の心の闇から表れ、負の感情を吸って成長し、人を襲いだす。それが黒影と呼ばれる物の怪だった。昨日、廻を襲ったサラリーマンも黒影に取り込まれたのだろう。
 先ほど通り魔事件について、なにかいいかけた神堂は教室の一番前に座っている。神堂は顔立ちの整った美男子で、自分の席で長い脚を組み、HP中も読書をしていた。白い鞘に収まった日本刀を帯刀しており、教師はおろか誰もそれを止めない。文武両道で学校の成績は首席を収めるものの、機嫌を損ねるとどこでも構わず抜刀する問題児だった。
 HRが終わると、一時間目は自習だった。担当教諭もいないので、鋼輔は慣れ親しんだ応援部の部室で自習しようと思い立った。教科書とノート、筆記用具。自習用プリントを持って教室を出ようとすると、一番前の席に座っていた神堂が鋼輔に声を掛ける。
「僕も一緒にいいかな?」
「俺に関わると、家の人になにかいわれないか?」
「なに、四六時中監視されてるわけじゃあないさ。それに話したいこともある」
 神堂はそういって鋼輔のあとをついてきた。鋼輔の後ろに座っていた廻も、鋼輔についていきたいような表情をしていた。それを見咎めた神堂にじろりと睨まれると、廻は驚き、自分の席でしゅんする。
「悪いな廻。鋼輔と二人で話したいんだ」
 神堂が廻に声を掛けた。廻はしょんぼりしながら頷く。
 神堂とは子供のころ、焔神宮寺の門下生として一緒に稽古に励んだ。だが、巫覡という現実的ではない職業から御曹司である神堂を遠ざけるために、神堂が中学生になるころには無理やり道場をやめさせられ、神堂にも関わるなというお達しを家から受けていた。にも関わらず、神堂は時々、飄々とした様子で鋼輔に声を掛けてくる。
「生徒会長としての責務から興味を持ったんだが――」
 鋼輔が『応援部』とかかれた部室に入り、ソファに腰掛けると、神堂が口を開いた。
「最近の通り魔事件、あれは黒影の仕業なんだろう?」
 神堂が単刀直入に訊いてきた。
「――そういうことになる」
「それで鋼輔は、焔神宮寺の巫覡が負う使命で――夜な夜な黒影討伐に駆り出されているわけか」
「元門下生だからかもしれないが、よく知ってるな」
「昨日、塾の帰りに廻を助けているのを見た」
「黙ってみてるなんて悪趣味だな。声を掛ければよかったのに」
「御子神も一緒だったんだ。声なんかかけられるかよ」
 御子神とは、昔からいる神堂の個人執事だ。焔神宮寺の道場にも神堂の送り迎えでやってきていたので、鋼輔ともよく顔も合わせていた。武道の達人で、温厚だが、むやみに逆らうと鉄拳が飛んでくる。
「それでだ、生徒会長として生徒の安全は守らないといけない。鋼輔の使命に協力させてくれないか。焔神宮寺の道場をやめてからも、鍛錬は続けていたんだ。日本刀の扱いも得意だぜ。お前の足手まといにはならないつもりだ」
 家からの干渉をうけ、神堂と疎遠になって久しいが、二人で話すと距離感は一気に子供のころへと戻る。
「そこは心配していないよ。お前本当に武道が好きなんだな。尊敬するよ」
「僕はお前の言っていた『明の一刀』を振るえる刀士になるのが目標なんだ。家は僕を社長にしたいようだが、僕はそんなものには興味ない。お前がガキの頃に言った、そのたった一振りの為に僕は今まで鍛練を続けてきたんだぜ」
 神堂が熱っぽくいった。年を重ねても、神堂の内面は昔のままだった。
「そうだな神堂。久々に一緒に稽古がしたいよ。ここのところずっと一人で素振りしてたからな」
「お前は話が早くていいよ。じゃあ今日から早速、街の夜警につきあうぜ。それに個人的に付き合って欲しいところもある。今に受験でそれどころじゃなくなってしまうからな」
 神堂が自習プリントの問題群を考える間もなくスラスラと埋めていきながらいった。「写せよ」と鋼輔に促す。
「神堂は学年主席で遠い人間になったとばかり思ってたけど、昔と全然変わってないな。安心したよ。なんていうか、神堂んちって大変そうだからさ」
 子供の頃、そのプレッシャーに押しつぶされそうになり焔神宮寺に座禅を組みにやってきた神堂がなつかしく感じられた。
「大変なんてものじゃないぜ。完璧なのが当たり前の世界なんだ。型にはまらない僕なんて誰も求めちゃいない。明の一刀や、巫覡になりたいなんて目標や個なんか持っていられないところだ。僕がそこでかろうじて無軌道さを保てているのは武道の世界があるからだ。でなかったらやってられるかよ」
 神堂はそういうと、埋め終わったプリントの上に乱暴にシャープペンシルを置いた。フラストレーションが溜まっているらしい。
「今だって――鋼輔にしか話せないこともある。なぜ僕は自由に生きちゃいけないんだろうな」
 鋼輔はなんと言葉をかけていいかわからなかった。
「つらくなったら、また道場に来いよ。今朝、廻と話してたんだけど、昔、焔神宮寺の式年際のとき、俺と神堂と廻とで、タイムカプセルを境内に埋めたろ? あれから七年も経ってるし、掘り起こさないかって、廻と話してたんだ」
「相変わらずメルヘンチックな女だな。まあ、それもいい。悪かったな。愚痴っぽくなって」
 神堂が口元だけで優しく笑った。
「じゃあ夜に焔神宮寺で待ち合わせよう。俺は潮亭でバイトがあるから、八時くらいがいいかな。一応――護身用に、真剣を持ってきたほうがいいぞ」
「わかった。白炎を持っていく」
 会話の途中で予鈴が鳴る。二人は教室へ戻ると、いつもどおり一日の授業を受けて、その日の帰路についた。

 ◆

 夜の八時。神堂は時間通りに焔神宮寺へやってきた。焔神宮寺の道場。鋼輔と神堂は竹刀を持って剣の稽古をしていた。子供のころより格段に精度を増した一刀が飛び交う。廻は正座でそれを見ている。
「あのぅ、そろそろタイムカプセルを……」
「女は黙ってろ」
 神堂が声を掛けた廻をぴしゃりといなす。廻はしょんぼりして俯いた。
 打ち合いは続く。一時間ほどで稽古が終わると、鋼輔が廻に声をかける。
「そろそろ、掘り出すか?」
「! うん!」
 廻は弾んだ声で、境内へと歩く鋼輔の後に続いた。
 暗がりの中、鋼輔、廻、神堂は境内の花壇近くに埋められたタイムカプセルを掘り起こした。廻が電灯で、土を掘る鋼輔の手元を照らす。
「あったぞ」
 大きな缶に入れられたタイムカプセル。鋼輔が土にまみれたそれを取り出すと、厳重に中身を包んだ封を解いた。
「わあっ、懐かしい!」
 廻が缶の中の、透明なビニール袋に包まれた中身を見て弾んだ声を出した。
 中には鋼輔の不動明王の凡字が刻まれた赤色の鉢巻、神堂が式年祭の射的で取った玩具の日本刀、廻の着せ替え人形が入っていた。一緒に各々、未来の自分へ向けた手紙が入っている。三人は手紙の封を開けて中の便箋を取り出した。
「強い巫覡になる――、か」
「俺もだ。あの頃は家の干渉も少なかったからな」
 廻は頬を赤くして黙っている。
「廻は? なんて書いたんだ?」
 鋼輔が廻に訊く。
「わ、私のは、その」
 廻が慌てて手紙を隠した。神堂が廻から手紙を取り上げる。廻が悲鳴をあげた。
「鋼輔君のお嫁さんになって、幸せに暮らしていますように――? なんだ廻、お前鋼輔が好きなのか? 今も鋼輔と二人暮らしで、嫁のようなもんじゃないか。良かったな、ははは」
 神堂が屈託なく笑った。廻は煙が出そうなほど顔を赤くして、背の高い神堂から手紙を取り返そうと、その場でぴょんぴょんと跳ねていた。鋼輔も顔を赤くしている。
「しかしその反応、お前ら既に付き合ってたんじゃないのか? 登下校も一緒だし、クラスの連中はそう思ってるぞ」
 神堂はにやにやしながら二人を見た。
「なんだって? 付き合ってないよ。廻はお前と同じ幼馴染だぞ」
 きっぱり応える鋼輔の言葉に、廻はしょぼんと俯いた。
「神堂君、人のプライバシーを侵害しないでよぅ!」
 廻は八つ当たるかのように、涙目で神堂をポカポカと叩いた。
「うわっなんだ、うぜっ! 鋼輔、この女をなんとかしろ!」
 神堂は廻を引き離そうと躍起になっている。神堂は異性より武道が好きらしく、女性徒に人気があるのに浮いた話ひとつ聞かなかった。神堂はタイムカプセルの中に入っていた玩具の白い日本刀――白炎を懐にしまった。
「子供のころは、よくこれを振り回していたな」
 神堂が感慨深げにいう。
「今も真剣を振り回してんじゃないか。変わってないよ」
 鋼輔はタイムカプセルから、木箱に入った赤い鉢巻を手にしながら神堂に言った。
「これ、じいちゃんからもらったんだ。巫覡になって、ひとりでも黒影を倒せるようになったら身に着けようと思って入れたんだ――そろそろ行くか。廻は留守番を頼む」
 鋼輔は赤色の鉢巻を頭に巻いて、神堂と共に街の夜警に行く支度をした。廻は巫女服を着た着せ替え人形を感慨深げに眺めていたが、鋼輔の呼びかけに応えた。
「私も一緒にいっちゃだめ? 足手まといにはならないようにするから――」
「神堂、どうする?」
 鋼輔は思案顔になったのちに、神堂に尋ねた。
「好きにさせたらいいんじゃないか。邪魔になったら容赦なく見捨てていくがな。それでもいいか廻?」
 神堂は容赦がない。しかし廻はうなづく。
「なにか今夜は――嫌な予感がするの。鋼輔君とクリカラが――どこかへいっちゃうような気がして」
「なんだそりゃ。俺はいなくなったりしないよ」
 廻の第六勘は当たる。鋼輔は一抹の不安を覚えながら、鎮守社に向かう。鎮座してある注連縄の巻かれたブレードギア、倶利伽羅を帯刀した。
 鎮守社にそびえたつ巨大な不動明王像。その手に握られているのは、邪なものを蒼炎で焼き尽くすとされる倶利伽羅剣だ。鋼輔が祖父から受け継いだ日本刀・倶利伽羅も、不動明王の邪気を祓う力を持っている。
 鋼輔はずしりと重い大柄のブレードギア・倶梨伽羅を持って鎮守社を出た。



「付き合ってほしいところがある」
 神堂はそういうと、繁華街を抜け、自身の両親が経営する高層ビルへと鋼輔を案内した。雰囲気のいい豪勢な高層ビルで、夜警が数人おり、神堂を見るなり敬礼して自動ドアを開けた。
「今日は随分遅いですね。 お父様に御用事ですか叡智様?」
 エレベーター前の受付が、にこやかに神堂に声をかけた。鋼輔と廻は、緊張して会釈する。
「いつもご苦労。少し用事があってな――」
 神堂は微笑んで、受付の首の後ろにある急所に手刀を喰らわせた。受付はがくりと脱力して倒れる。それを見た夜警がこちらへ走ってくるところで、神堂はエレベーターに鋼輔と廻を引きづりこんで、扉を閉めた。エレベーターが上の階へ向かって動き出す。
「お、おい、何してるんだ神堂! これ、家の人だろ……」
 鋼輔が狼狽する。
「僕だって本気だ。いいからついてこい」
 神堂はそういってエレベーターに乗り込む。神堂は、冷や汗をかいていた。
「家の人間に反抗するのは初めてでな。でも、僕は全てを失っても道理は通すぞ」
 事情はわからないが、神堂の双眸には強い光が宿っている。神堂は白炎をさやから抜いていた。
「鋼輔も、倶梨伽羅の準備をしておけ。この先はなにがあるかわからん」
 エレベーターが緊急のランプを光らせ、突然止まる。
「止められたらしい。階段を行くぞ」
 神堂が白炎を構えた。
「お、おい――」
 鋼輔が声を掛けようとした瞬間、エレベーターの扉が開く。
「しゃあっ!!」
 牙をむいた黒影がエレベーターの扉から突っ込んできた。神堂は素早い一刀で、黒影を斬り付ける。黒影は耳障りな悲鳴を上げて、後の壁へ吹っ飛ばされた。
「鋼輔、仕事だ。最上階まで黒影の巣窟になっている――すまないな、うちの事情につき合わせて。だがこれが済んだら街の通り魔事件は解決する。失踪事件は増えるかもしれないが――」
 神堂がなおも冷や汗をかきながら鋼輔に続けた。鋼輔は壁に吹っ飛ばされ、再びこちらに攻撃態勢をとる黒影に向かって構えた。倶梨伽羅に蒼炎を宿す。蒼い炎を宿した刀身で、向かってくる黒影に連続で太刀を浴びせる。黒影は跡形もなく蒸発した。
 エレベーターから降りたフロアから、複数の黒影が襲い掛かってきた。
「おい、会社の人は――!? 大丈夫なのか!?」
 鋼輔はそういうと、向かってくる黒影に応戦する。
「その会社の人が、この黒影どもだ!!」
 神堂は黒影に鋭い一刀を見舞わせながら、鋼輔に叫んだ。二人は、攻撃態勢を取り、群がってくる黒影達に容赦なく刀を向けた。十数分経つころには、黒影達の躯があたりに転がり、黒い残像を残してその場から消えた。
「どういうことなんだ」
 鋼輔は負傷した腕をさする。それを見た廻が、鋼輔の腕の傷を癒す。鋼輔は廻に礼をいい、誰もいなくなったオフィスを見渡す。
「うちの親父は――知っていると思うが、変わっていてな。自身を魔術師と自称している」
 鋼輔は黙って話をきいている。
「父さんは母さんが亡くなってから、怪しげな古代魔術に傾倒するようになった。それは個人の趣味だと思って止めなかったんだが、父さんの魔術には生贄が必要だったんだ――」
 鋼輔はうなづきながら聞いている。
「はじめは蟲、小動物にはじまって、徐々に人間の生贄に手を出すようになった。この世とあの世の狭間である『幽界』と、人が寝ているときに見る『夢』は繋がっている。夢を通じて社員たちの幽体を黒影に喰わせて、作為的に黒影に憑依された人間を大量に作り、その魂を魔術の生贄として捧げるようになった。黒影と化した社員達は、好き勝手に街で人を襲うようになった。それが最近の通り魔事件の真相だ」
 鋼輔が静かにうなづく。
「俺たち巫覡は、現実に害を及ぼすものを魔道の力で中和できない武道の力で再起不能にすることで、力を悪用するものに制裁を与えている。お前の親父さんを討伐することになるが――」
「ああ、でも親父や御子神の抵抗を受けるだろうな。それに個人的な事情もある。だからお前を呼んだんだ鋼輔。俺一人だけではどうにもできない」
「だが、本当にいいのか? 親父さんは、お前のたった一人の家族だろう?」
「家族だから、止めないといけなんだ」
 三人は階段を上っていたが、のそりと、巨大な黒影が物陰から姿を現し、三人に襲い掛かった。鋼輔は蒼炎を宿した倶梨伽羅で黒影に応戦する。辛くもこれを撃退すると、三人は高層ビルの階段を駆けた。ぼやぼやしていると次々黒影が襲ってくる。外から見える美しい夜景と不釣合いな、醜悪な姿をした黒影。元は人間だったものと訊いて鋼輔は複雑な気分になる。昨日の晩、廻を襲った会社員も、神堂の会社の者だったのだろうか。
 三十階近くある階段を、三人は息を切らし、黒影を倒しながら上りきる。行き止まりの大きな扉の前で三人は止まる。神堂は警備員から奪ったマスターキーを使って鉄の扉を開ける。中に広がっていたのは、白を基調とした和装の会議室だった。
「やってしまいましたな。叡智様」
 背後から年配の男の声が響く。神堂の個人執事である御子神だった。黒の胴着に恰幅のいい身体を包み、姿勢正しくその場に立っている。ただ立っているだけに見えるが、隙がない。神堂は御子神を見て、沈痛な面持ちになった。
「御子神――お前も僕の敵になるのか? お前は僕の執事だろう?」
「私は叡智様の執事ですが、雇われているのは、あなたのお父上様です。ここの家の者、全員にいえることですが。家に反抗してみて、叡智様も、そのことがよくわかったのではないのですかな?」
 御子神が、口元だけ笑みを見せながら言う。
「そうだ。はじめから僕の家に、僕の味方などいなかった。お前達が僕から引き離そうとした、僕の友人を除いてな。――悪いな鋼輔、お前にまで迷惑をかけて」
 神堂が申し訳なさそうに言った。
「気にするな。お前の友人としても、巫覡としても、俺には戦う義務がある」
 鋼輔はそう応えると、倶梨伽羅を構えた。御子神は達人だ。油断するとやられてしまうだろう。
「御子神とは――僕に戦わせて欲しい」
 神堂は御子神の前に出た。
 御子神の眼は、薄闇のなか爬虫類のように獰猛に光る。両手には黒影の鉤爪が伸びた。
「叡智様。道を違えたことを残念に思います」
 御子神はそういって鉤爪で神堂を斬りつけて来た。紙一重でかわし、神堂が鋭い一閃を放つ。神堂は白炎で次々と鋭い剣戟を見舞ってゆく。御子神は鉤爪でそれを受け止め、神堂の急所を狙って爪撃を繰り出してくる。神堂がそれをかわした瞬間、僅かに体制を崩し、その隙を縫って、御子神が左手で心臓を狙い鉤爪を突き出した。ぐしゃりという音が、神堂の懐に響く。
「手ごたえが――ない!?」
 御子神が若干の狼狽を滲ませた声を上げる。
「これは――」
 神堂が胸元に触れると、そこにはタイムカプセルに入っていたおもちゃの日本刀があった。壊れていたが、御子神の爪撃から神堂の心臓を守ってくれたらしい。
「ここでやられてたまるか――!」
 鉤爪と日本刀。打撃のインパクトの度、火花が飛び散る激しい打ち合いの末、神堂の一刀が御子神の急所を掠めた。御子神の血がばっと飛び散る。
「腕を上げましたな、叡智様」
「お前は鈍ったな、御子神」
「老いとは残酷なものです」
真剣なので切れ味は鋭い。御子神は出血する急所を押さえると、前屈の姿勢になった。
「グルルルルル……」
 御子神の喉奥から黒影の唸り声が漏れる。次の瞬間、黒の胴着が弾け、中から黒影と貸した御子神が姿を現した。薄闇で、赤く光る双眸が神堂を睨み付ける。黒影の猛攻が始まる。残像を描いて黒の爪撃が神堂を襲う。パワーもスピードも増した御子神相手に、神堂は防戦一方だった。
「おい神堂――」
 鋼輔が援護に回ろうと倶梨伽羅を構えた。
「手を出すな鋼輔!……御子神、お前は昔、巫覡をしていたんだってな。お前には魔的な雰囲気を持つ父さんと違うものを感じて、昔から親しみを持っていたんだ。だがどうして、巫覡という職業に一時は身をおいていながら、魔術師の父さんのいいなりになっているんだよ。教えてくれ御子神! なんで僕と一緒に父さんを止めてくれないんだ!?」
 御子神は、訴える神堂の目をまっすぐ捉えて言った。
「――私はまっとうな巫覡とは違う立場にございました。旦那様にボディガードとして雇われ、旦那様を狙う巫覡を影より屠ってきた、闇の巫覡にございます――」
 神堂は黒影と化した御子神に圧されている。神堂が大振りの一刀を構えた隙を狙って、御子神が神堂の頚動脈に噛み付いた。ほとばしる血。
「ぐあ――」
 神堂の双眸が爬虫類にも似た色を帯びてゆく。神堂は御子神を振り払うと首元を抑えて鋼輔に言った。
「すまん鋼輔――僕も、夢の中で幽体を黒影に喰われた。僕も、もう人間ではない。僕が黒影になって正気を失ったら――そのときは僕を倒して欲しい」
「なっ――!?」
 鋼輔が狼狽するさなか、神堂が前屈の姿勢を取る。白い学生服が弾け、巨大な黒影の姿になる。黒影と化した神堂は、鋭い爪撃を神速で御子神に見舞い、御子神の喉元に牙を立てた。そのまま硬い皮膚を食いちぎる。
「グルオオオォォォオオオ!!!」
 黒影と化した御子神と神堂。二人は己を食い合い、体躯に勝る御子神が神堂を圧していた。御子神の猛攻に、神堂が悲鳴をあげて壁に打ち付けられる。人間の姿にもどり、壁にもたれて脱力する神堂。背中からべっとりと赤い血痕が壁に残った。
「神堂。御子神とは俺が戦わせてもらうぞ――」
 鋼輔が倶梨伽羅をもって御子神に切りかかる。その瞬間、御子神が人間の姿に戻った。
「鋼輔殿。あなたと戦うには人間の姿がのぞましいでしょうな。闇の巫覡としてお手合わせ願いたい」
「望むところだ御子神」
 御子神は会議室に立てかけてあった日本刀を手に構えると、凄まじい一閃を鋼輔に放った。辛くもそれを受け止めるが、次々とそれをさらに上回る速度の剣戟を放ってくる。神堂とのやりとりが遊びのように思える剣の重さだった。
「昔、叡智様が焔神宮寺に通いたいと言い出したとき――私の『力』を叡智様に譲り、闇の巫覡として、叡智様を育てようかと考えたものでしたが――」
 鋼輔が御子神の話を、眉間に皺を寄せながら聞いている。
「鋼輔殿。叡智様と友人になった、あなたのその眼を見た瞬間にそれは無理だと悟りました。あなたは不動明王の眷属。不動明王は邪なる者を浄化する神仏にございます。私の身に巣食う邪神とは、とても相性が悪い故――」
 そのときからだった。鋼輔は御子神の放つ邪気を察知して頭痛と眩暈がした。
「御子神――あんたはまさか」
「異国の人々が邪なる願いをもって作った生贄の箱。邪神・鋤那(スクナ)に献上するスクナ箱という神器がありましてな。老若男女問わず、この箱に入れられたものは四肢を引き裂かれ、つぎはぎの肉人形とされ、人身御供として扱われました。それは強力な呪いをもって――」
 御子神はそういうと、身を包んでいた胴着を開いた。鋼輔はそれをまともに直視し、吐き気でその場に立っていられなくなる。
「その人身御供を身体に取り込んだ私は、スクナの呪いを自在に操ることができるのです。 鋼輔殿、何千人もの、信心深い生贄達が作り出した呪いの味はいかがですかな?」
 御子神の腹部には、赤黒い肉塊があり、中心に無数の目玉が蠢いていた。鋼輔は一際大きい目玉とまともに目が合い、咳き込んだ。双肩に岩を乗せられたかのように、身体が重い。
「ま、まともじゃない。御子神、どこからこんなものを――」
「土着信仰の強い、異国の片田舎からこの身に譲り受けたものです。そう、まともではないのです。正しい手法に基づいた祈願などではない、素人考えによる残虐な生贄文化。見知った呪術の重ねがけ、狂った法則、無数の怨恨。狂っているから、正しいあなたに解除できない最強の呪いです。得意の真言や祝詞が奏上できないのではないですか? この呪いはまず相手の喉を、いや喉だけではない感覚全てを遮断します。あなた方、正道の巫覡がいくら強かろうとも、力を振るえないのでは赤子同然――意識は闇へと遮断されます」
 鋼輔は喉の激痛に、引きつった声のようなものをあげた。真言や祝詞は、空気の振動を利用して、高周波として浄化の波長を相手にもたらすものだが、それらは一様にして振動数が高い。だが御子神が放っているのは全てを鈍化、停止させる重苦しい波長だった。鋼輔の意志とは関係なくまぶたが閉じ、視界が闇に染まり、聴覚もにぶり、嗅覚はどこまでも血なまぐさい。意識が遠のいてゆく。ここまで強力な呪いは初めてだった。
「キュオオオオオオオオ!」
 倶梨伽羅に宿った、黒竜クリカラの声だった。鋼輔の意識を元に戻そうとしている。しかし鋼輔は、その場に脱力し、倶利伽羅を床に刺し、脂汗をかきながら身を屈めている。
「ぐあぁ!!」
 御子神が鋼輔を蹴り飛ばし、四肢にある急所を日本刀で容赦なく抉る。十五分もすれば出血多量で死ぬだろう。
「鋼輔殿。あなたの命も、このスクナの呪いに生贄として加えてあげますよ。さあ、生贄に与えるのは苦痛と絶望。四肢を切り落として達磨にしてあげましょうかね……」
「キュオオオオオオオオ!!」
 クリカラはなおも鋼輔に呼びかける。
(クリカラ……スクナの邪気を吸え……)
 喉と視界を封じられた鋼輔は、遠くなる意識の中、クリカラに心で呼びかけた。その瞬間、クリカラは倶利伽羅の中より全身を現し、蛇のように御子神へ巻き付いた。
「むっ、なんだこの龍は――? スクナの呪力が弱まっていくだと――!?」
 クリカラはスクナの怨恨を吸い、徐々にその姿を大きくしていった。クリカラは人の邪気を吸う。龍宮市の人間の苦痛を和らげる守護神として存在するクリカラは、人の怨恨や負の感情を喰って成長する。そのかわり、定期的に邪気払いをしなければ、自身が魔龍になってしまうデメリットもあったが、クリカラは今、御子神の腹部に宿ったスクナの怨恨を吸って、部屋中を覆い尽くすほどの大龍と成り、御子神を締め上げている。
「うおおおおッ! 離せ!」
「――」
 クリカラの邪気吸引により喉の利くようになった鋼輔は、早口で闇払いの祝詞を奏上した。出血する四肢の痛みをこらえて、倶梨伽羅を構え、己の魂を燃やして宿す蒼炎、カルラ炎を刀身に宿す。
「怨敵滅殺 、浄魂追善 、魔切りの御霊よりて邪悪斬絶――」
 鋼輔はカルラ炎を宿した刀身で、御子神に無拍の太刀を放った。
「我が蒼刃倶梨伽羅に、斬れぬものなし――!!」
 一閃。蒼い炎に全身を包まれ、御子神の断末魔の悲鳴が響く。カルラ炎に包まれたものは浄化されるが、邪悪なものにしてみれば地獄の業火に等しい。蒼い炎が消えると、御子神はその場にどさりと倒れた。腹部のスクナは跡形もなく消えている。鋼輔はそれを見て安堵した。
「……あぶなかったよクリカラ。ありがとう。助かった。しかし、スクナの邪気を吸ってこんなに大きくなっちまって――魔龍になるんじゃねえぞ」
「キュウウウ!」
 クリカラが鋼輔に応え、倶利伽羅の中に戻った。鋼輔は壁にもたれた神堂を抱き起こすと、奥の部屋に歩を進めようとした。
「ご武運を」
 御子神が、朦朧とする意識で、鋼輔に呼びかけた。御子神が横たわったまま差し出してくる、奥の部屋の鍵を受け取ると鋼輔は頷いた。
「廻!!」
 鋼輔は廻に叫んだ。スクナの邪気にあてられていた廻は頷くと、黒影の牙によって大きな穴の開いた神堂の頚動脈に手をかざす。
 白く淡い光が神堂を包む。だが傷がいっこうに塞がらない。それどころか、神堂が苦しみだした。
「やめろ廻、僕はもう人間じゃないんだ。お前の癒しが黒影にとっては致命傷となる。俺より、鋼輔の急所の傷を癒せ……」
「そんな――神堂君!!」
 廻が悲痛な顔で鋼輔を見た。鋼輔も唇をかみ締めている。
「それより、奥の部屋へ――僕を連れて行ってくれ。最上階には、父さんがいるはずだ――」
 神堂がよろけたので、鋼輔が肩を貸す。廻は、御子神が手渡してきた大きな鍵を、広い奥の鉄扉に挿した。



「――御子神がやられたか。はて、御子神の呪いを破ったものはこれまでいなかったのだがな」
 奥の部屋には全身を黒のスーツに包み、艶やかなオールバックに前髪を垂らした男性的な魅力を放つ神堂の父親――弦龍(げんりゅう)がいた。右腕に大きな毒蜘蛛を携えている。爬虫類のように瞳孔が開き、双眸に獰猛な光を宿している。神堂は息も絶え絶えだが、致命傷の傷を負いながら生きているのは黒影の生命力によるものだろう。
「父さんを止めに来た。出来れば自分で事実を公表して、消滅した社員の分まで、罪を償って欲しい」
 神堂は掠れる声で続けた。口元から血が流れている。
「嫌だといったらどうするね、叡智。なぜお前は私に従わないんだ。私はお前達に侵食する黒影の召喚主だぞ」
「今も割れるように頭が痛いよ父さん。考えを改めないのであれば、ここで倒れてもらう。最期にもう一度、黒影になれるだけの力は残っているぞ」
 叡智の双眸が獰猛な光を帯びた。
「神堂――おまえはじっとしてろ。もう一度黒影になって、人間に戻れる保証なんてないだろ。お前の親父さんは俺が倒す」
 鋼輔が倶梨伽羅を構えた。廻に治癒してもらった四肢の急所はだいぶ良くなったが、まだかすかに痛む。廻は神堂に寄り添い、気休めにしかならないとは分かっていても――神堂の深い傷を、救急キットで手当した。包帯が出血でみるみる赤く染まる。廻は大きな傷口をハンカチで押さえながら、祈るような口調で鋼輔にいった。
「鋼輔君――黒影の召喚主を倒したら、神堂君は助かるよね――?」
「ああ。そうあってほしい――」
「私は君の様な人間は大好きなんだよ。こんなことをしていては、分かってもらえないかもしれないが……」
 弦龍の怜悧な声が大広間に響く。
「魔術師の強さは、君のような神仏の使いをどれだけ闇に落として力を失わせたかで決まる。神仏に使える「聖人」といわれる人種の人間をたった一人、闇に落とすだけでも、魔術師――いや、魔術師に力を与えている悪魔にとっては多大な功績になるのだよ」
 弦龍は歌うように言葉を紡いだ。鋼輔は眉をしかめてその話を聞いている。
「まさか、神堂を焔神宮寺に寄越したのは――」
 弦龍はにやりと笑って続ける。
「そう。我が息子を神仏に仕える者と近しい存在にしてから、絶望させて、魔に落としてやろうと思ったのだよ。私と契約している悪魔もさぞお喜びになるだろう」
 鋼輔は、今度は悪魔の眷属か――と思いながら苦痛にあえぐ神堂を見た。残念ながら、この男は神堂への愛というものは持っていない。あるのは道具に対するような所有欲だけだ。神堂は母親を幼少時に亡くしている。親近感を感じていた御子神もあれでは、神堂は大層心細かっただろう。
「神堂を魔に落とす? ふざけるな。神堂はお前のように、魔への功績なんかに拘泥する愚か者じゃない。お前と神堂が近しい存在なのが不思議なくらいだ」
「フフ。いい機会だ、鋼輔君。叡智の前で鋼輔君と廻君を魔に落として、三人仲良く悪魔への生贄にしてあげよう」
 神堂は自嘲するように弦龍にいった。
「父さんは、本当に僕のことを道具程度にしか思っていなかったんだな」
 弦龍が眉根を寄せて応える。
「そう、おまえにはいい道具になってもらうぞ。だがお前を黒影化しても、本質的なおまえの魂は闇に落ちてはいないらしい。鋼輔君や廻君のような神宮寺の者と関わっているからだよ。私と契約している悪魔が不服を唱えている」
「あんたの世迷いごとのお陰で、あんたを倶利伽羅で斬ることに罪悪感はなくなったよ」
 鋼輔が倶梨伽羅を構えた。ふと気づくと、大広間に透明な蜘蛛の糸のようなものが張り巡らされている。触れてから実体化する特殊な糸で、鋼輔は数本に絡めとられてしまっていた。この世のものではない、幽界により作られた魔術の代物だった。
「おっと、動かないでくれたまえよ」
 弦龍が手に持っていた三十センチほどの呪針を数十本、鋼輔に向かって素早く投擲した。蜘蛛の糸に囚われた鋼輔の身体に呪針が突き刺さる。
「これは――」
 幽体を直接傷つけ、そこから毒を流し込む呪術的な代物だった。魔術師が好んで扱う呪針。流し込まれる幽体を蝕む毒によって、鋼輔の身体の動きが鈍る。
「これで得意の武道も満足にふるえまい。そうだね……最後に、なぜ私がこのようなことをしているのか、私の魔術の成果を見せてから、君たちには消えてもらおうか」
 弦龍が禍々しい呪文を唱えると、大広間の中央に赤い魔方陣が展開される。光の粒子が集まり、人間の形となる。出来上がったのは、美しい妙齢の女性の姿だった。神堂と同じ色素の薄い長い髪に、雪のような白い肌、蟲惑的な美貌の女性だった。その女性は一糸纏わぬ姿で、魔方陣の中心にうずくまって泣いている。
「あなた……もうやめて」
 女性のか細い声が大広間に響いた。
「何を言っているんだね、真奈美。せっかく蘇生できたのに、元気がないじゃないか。生贄の数が足りないのかな?」
「私は人間の魂など、もう喰らいたくないのです……悪魔として私を蘇生させるなんて……」
 真奈美と呼ばれた神堂の母は、美しい顔に涙を浮かべて、夫の弦龍に訴えた。
「母さん――! 母さんはこんなこと望んでないんだ、もうやめてくれよ父さん!!」
 弱弱しくすすり泣く真奈美を見て、神堂が悲痛な声をあげた。
「真奈美だって私と一緒にいることを望んでいるんだよ。淫魔として蘇生した真奈美は性質として男を求めるからね、今に悪魔の子供ができるぞ、お前もお兄ちゃんだな叡智! ハハハハ」
 弦龍は狂っていた。
「おまえのおふくろさんの生命維持に、生きた人間の魂を黒影に食わせて、契約主の悪魔に捧げていたっていうのか――」
 鋼輔は眩暈がした。死者蘇生術には多大な犠牲がつきものだ。これまで犠牲になった人間の無念が偲ばれる。
「叡智。お前には前にもいったろう? 私の行動が気に入らないのは結構だが、お前は私の魔術の集大成である、『母さん』をもう一度死なせて平気なのかね、と」
「――っ」
 神堂は唇を噛んで黙ってしまった。
「そうか神堂。それで俺を……お前の気持ちはわかるよ。俺も母さんを亡くしているから――」
「鋼輔……俺は、俺にはできないんだ。こんなことを、お前に頼むのは、間違ってるって分かってるんだが……」
 鋼輔は静かにうなづいた。
「あなた……もうやめて。叡智も悲しんでるわ……」
『あなた、もっとちょうだい。私に人間の魂を』
「違う! これは私の声じゃない!」
『そう! これが私の本音! おねがいあなた!』
 真奈美が苦しみだす。それを見かねて、神堂が真奈美に駆け寄った。
「母さん、大丈夫か――!? うぁっ!」
 真奈美の周囲の魔方陣の下方部から、赤黒い肉の触手が無数に伸び、神堂を捉えた。床が剥がれて、真奈美の足元から巨大な肉塊が姿を現す。中心にある大きな顔が、ぎょろりと鋼輔を注視する。おぞましい表情だった。
「はははは! 美しいぞ真奈美! 愚かな息子に、お前のすばらしさを思い知らせてやれ!」
『叡智……母さんの贄となって……』
 巨大な肉塊がそういって、血と体液にまみれた大口を空けた。
「させるか――!」
 鋼輔は巨大な肉塊に向けて凄まじい剣戟を放った。ぐじゅり、というにぶい感触。斬ったところから肉が再生されてゆく。斬撃の効果はあまりないようだった。
「鋼輔君、私にやらせて。この生贄の魂を沢山吸った肉塊には浄化の祝詞が必要なんだと思う」
 後方で様子を見守っていた廻が、鋼輔の横に歩を進めた。
「悪しき存在に捧げられし魂よ、その御霊をこの真言をもって浄化せん――」
 廻はそういうと数分かかる祝詞の奏上を始めた。廻に向かって、肉塊が触手を飛ばしてくるが、鋼輔がそれを斬り飛ばす。廻の周囲に白い光が舞い、浄化の祝詞が肉塊を包んでいく。
「ひぃぎゃああああああああ」
 肉塊の断末魔の声。肉塊はドロドロに解けていった。白煙を上げて消滅すると、真奈美の本体が大広間の床に投げ出された。神堂が駆け寄って、しなやかな肢体を抱き起こす。
「叡智……」
「か、母さん……」
 真奈美が、叡智の手のひらに頬を寄せる。
『母さんの贄となって!!』
 真奈美の目がかっと見開き、血走った目が神堂を捉える。神堂の手に、真奈美の爪が食い込んでいる。狼狽する神堂。
「浄化されよ、彷徨える魂よ!」
 廻が祝詞の奏上を終えると、真奈美は苦しみ、その場でどろりとした液体に代わり、その場に流れ落ちる。あとに残ったのは、遺品である、真奈美と弦龍の結婚指輪だけだった。
「母さん……ではなかったんだよな……母さんの姿をした、歪な存在……か」
 神堂は少しだけ涙ぐみ、結婚指輪を拾い上げると、制服のポケットにしまった。
「なっ、叡智、自分がしたことが分かっているのか!? よくも真奈美を……!」
 神堂に掴みかかろうとする弦龍の間に入って、牽制する鋼輔。
「業影となって、お前ら三人を喰らってくれるわ!!」
 目前にいるのは、己の幽体を黒影に食わせ、業影(ごうかげ)と化した弦龍。
 鋼輔は、倶利伽羅の刀身に折伏の蒼炎を宿すと、一歩も退かずに、一気呵成に業影に斬りかかる。紅い閃光を放つ業影の爪撃で、鋼輔の頬が裂け、背後に血が飛び散った。鋼輔は、業影の硬い鱗を倶梨伽羅の蒼炎で溶かし、生身の部分を切り裂いていった。幾閃も剣戟を繰り返し、鱗に包まれた身体の動きを鈍らせていく。
獰猛に襲い掛かってくる業影の爪は頑健で、紅い閃光と衝撃波を放ちながら鋼輔の身体を掠めていく。業影は研究室の天井に届くほどの巨体を持ちながら爪撃の威力と速度、両方を兼ね備え、気を抜くと腹に大穴を空けられかねない相手だった。
 鋼輔は一撃必殺『無拍ノ太刀』を何度も本体である爪に叩き込んだ。
 徐々に業影の両爪に亀裂が走ってゆく。鋼輔は攻撃の手を緩めずに、業影の爪撃をかいくぐって、倶梨伽羅の蒼い斬撃を浴びせ続けた。
「怨敵滅殺 、浄魂追善 、魔切りの御霊 よりて邪悪斬絶 、我が青刃 、倶利伽羅に斬れぬものなし!」
 倶梨伽羅の斬撃は幾筋もの蒼い閃光となって踊り、業影の爪が砕ける。
「無拍の太刀!」
 鋼輔が倶梨伽羅の青刃で真空の刃を放つなり、業影が断末魔の咆哮をあげる。
「グオオオオオオオオオオオ!!」
 響き渡る咆哮と共に、業影が動きを止め、身体が紅い閃光と共に崩壊を始めた。鋼輔は倶梨伽羅の刀身に蒼炎を宿すと、業影の黒い巨体を蒼炎で包んだ。業影との繋がりが深かったために弦龍の身体は跡形もなく燃え尽きる。
「バカな……業影の私がやられるなど――ああ、悪魔よ見捨てないでくれ、もう一度真奈美を――!」
「父、さん――」
 神堂が、ぼやける視界で、父親だったものの亡骸を見送った。


「大丈夫か神堂――」
 鋼輔は廻のそばで息を荒げる神堂に駆け寄った。神堂は全身に汗をかき、出血も止まらない。指先に黒影の鱗が浮いている。黒影の召喚主である神堂の父親を討伐したのに、神堂はなおも苦しみ続けていた。
「だ、だめだ、鋼輔――僕の傍にいては……グオオォオォオオ!」
 神堂は苦悶の中、黒影に姿を変えると、目前の窓ガラスを突き破って高層ビルの壁面を駆け抜けていった。
「神堂!!」
 鋼輔が窓際に走るが、神堂は夜景の中に消えていった。廻が鋼輔を見て不安げに口を開く。
「ね、ねえ鋼輔君、もし神堂君が黒影になって自我を失ったら倒さなくちゃいけないの――?」
「――っ」
 鋼輔はきつく唇を噛み締めた。



「くそっ。神堂――無事でいてくれよ……」
 鋼輔はそう祈ったが、同時に自分はまともなつもりで神堂の無事を願えるような存在なのだろうかと、普段は隠している自己否定の傾向が顔を出した。
 鋼輔の本質は、自己否定が非常に強い。母が自分を産んで死に、父に疎んじられ、虐げられるようになってから、自己という存在を悪と断じ、否定してきた。自己否定が心を蝕み、「世界が自分を否定している」という妄執に取り付かれた。幼い時分の鋼輔は「魔を払う」という焔神宮寺の不動明王像の前で「父を苦しめる俺の魔を払ってください」と哀願し、自刃しようとしたことがある。
 焔神宮寺の宮司である祖父に叱り飛ばされ、「不動明王は理不尽な苦しみから衆生を救う仏なるぞ」「おまえのような存在を救う仏だ」と諭された。育児放棄した父親のかわりに、祖父が鋼輔を育て、鍛えた。不動明王のように、理不尽な苦しみから衆生を救う社の戦士――巫覡として。
 神堂が鋼輔を心の拠り所にしていたのと同じように、鋼輔にとっても一緒に無心で武に打ち込むことのできる神堂の存在は心の支えになっていた。昔、神堂が家からのお達しで焔神宮寺から引き離されたときは、心を許していた神堂との友情に終わりを感じて、鋼輔は人知れず涙を流し、深い関係を他人に求めないと誓った。普段はそういった感情も、自己否定の心も表に出さず、鋼輔は他人と心理的な距離を置くようにしていた。共に育った、幼馴染の廻に対してもだ。
「鋼輔君……」
 鋼輔は不動明王像の前に立ち、だまって両手に握った倶梨伽羅を見つめていた。廻は少し寂しそうに鋼輔に声を掛けた。
「――鋼輔君は、苦しいことを全部心に溜め込んで、心で人を全然寄せ付けないところがあるよね――私にできることがあったら、私も頑張るから、鋼輔君の力になりたいから、神堂君みたいに頼りにならないかもしれないけど――私のことも頼ってね――」
「ありがとう廻。普段から廻には助けてもらって感謝してるんだ。頼れないなんてことはないよ」
 正気を保ちながら黒影になってしまった神堂と、自己否定という魔物に取り付かれてしまった自分。一体どちらがまともで倒されるべき存在なのだろうかと逡巡し、鋼輔は自分自身の自己否定にまみれた心を見つめていた。
「私は鋼輔君の本音で思ってることが聞きたいよ。鋼輔君は自分に浮かんだ感情も否定してなかったことにして、人が望んでることを喋るもの。私、巫女として神堂君が元に戻れる方法を探すから、また三人で一緒に過ごせるように頑張るから、神堂君と同じに私のことも見てほしい――鋼輔君、私がいてもいなくても平気な感じに見えるから――」
 廻が悲しそうな顔で鋼輔を見た。
「そんなことないよ。どうしたんだ廻、今日はなんか、いつもと様子が違うけど――」
「鋼輔君は、ずっと焔神宮寺にいてくれるよね? 私の前から、――いなくなったりしないよね? 私――不安なの、焔神宮寺の不動明王像を見ていると、鋼輔君の巫覡としての使命が、私に想像もつかない大きな力で、鋼輔君をどこか遠くへいかせてしまうような気がして――」
「廻――」

 そのとき、鋼輔の足元に蒼い魔法陣が広がり、異国の祝詞が脳内に響いた。

『聞こえるか古代の守護神よ、我に応えて姿を示せ――!』

 透き通った少女の声だった。鋼輔は頭痛と眩暈がして思わず目を閉じる。蒼い風に包まれ、鋼輔の身体中を突風が突き抜けた。

「なっ――!」

 鋼輔の声が風の中に消える。廻が鋼輔がいたはずの場所を見つめたまま蒼白になる。鋼輔が立っていたはずの場所には、巨大な不動明王像だけが残されていた。

「鋼輔君が……消えちゃった――」



第六話 召喚の儀式

 鋼輔がブレードギア・倶利伽羅を持って現れたのは水の中だった。溺れかけて、水面へ向かう。水から這い上がると、そこは――異国の神殿だった。背後にいくつも滝が流れ、大理石の大きな垣の中に透明な水が溜まっている。鋼輔が水浸しになりながら姿を現したのは、そんな場所だった。
「なんだここは――? 俺は鎮守社にいて、それで――」
 混乱する思考。目の前には見慣れない光景が広がっている。美しい意匠が施された水の神殿。金の太陽像。天蓋のついた高い天井。大理石の床に、金刺繍の紅(あか)絨毯が轢かれている。水の神殿から這い上がった鋼輔が、地に足を着くと、スニーカーが紅絨毯にずしりと沈んだ。目の前に人の気配と視線。鋼輔はブレードギア・倶利伽羅を構えた。
「神獣召喚に、失敗した――のか?」
 目の前で口を開いたのは、息が止まるほど美しい――褐色の肌、長い銀髪、赤い双眸を持った、しなやかな痩身の美少女だった。アーモンド形の綺麗な瞳を見開いて、驚きと、落胆を宿した眼差しを鋼輔に向けている。
 鋼輔は自分のおかれた情況に戸惑っていたが、目前の少女をがっかりさせてしまった事に対し、なぜだか深い申し訳なさを感じていた。
「き、君は――、」
 鋼輔の声は、突然の男の高笑いにかき消された。
「さすが出来損ないの姫巫女だな! 太陽石《ギア・ストーン》を使って何を呼び出すかと思えば――ただの小僧、まったくの民間人ではないか。大人しく俺の贄となるがよい、イシュタム」
 鋼輔は小僧呼ばわりされて憮然としたが、声の持ち主も、鋼輔とそう年の変わらない褐色肌の青年だった。長い銀髪を後ろで結わえ、引き締まった身体をエキゾチックな衣装で包んでいる。青年の背後には、数十人の神官。神話の世界から出てきたような逞しい将軍達が礼儀正しく立ち並んでいる。
「兄者が正しき護龍の王なら、私も喜んで生贄となろう。だが私はまだ兄者の王の証を見ていない。王位継承式はまだ続いている。兄者はまだ王と認められていないのじゃぞ」
 イシュタムと呼ばれた少女は、身に纏った白い羽毛の毛皮をぎゅっと握り締めて、兄らしい青年を睨んでいた。
「フン。王の証なら今に見せてやるぞ愚妹よ。お前は召喚に失敗し、どうしようもないクズ巫女だということが証明されたな。護龍の姫巫女ならばトルテカの守護神を召喚できるはずだ。だが召喚されたのは得体のしれん黒装束を着た小僧である。これを笑わずにいられるか」
 青年の背後にいた神官、将軍達も笑う。イシュタムは顔を紅潮させていた。鋼輔は上下学ランを着ていたので黒装束と称された。肌も露な異国の世界で、鋼輔は黒ずくめの詰襟の格好であるので、確かに得体が知れなく見えただろう。
「テオ様。続いて王位継承の神獣召喚を。我がトルテカ王朝の守護神のいずれかの召喚であなたは護龍帝国の王と認められます。さあ、あなたの太陽石《ギア・ストーン》を使って召喚の儀式を――」
 イシュタムを嘲笑するものたちをいなして、地位の高い神官がテオに呼びかけた。テオは尊大な態度で、先ほど鋼輔が現れた召喚の水場へ足を進める。
『聞こえるか黒き太陽――トルテカ王朝の破壊神よ、我に応えて姿を示せ――』
 テオが詠唱を始める。水場に真紅のまばゆい魔法陣が広がり、風が渦巻いた。
 紅い粒子が飛び交うなか、現れたのは巨大な影ともつかない蜃気楼の巨人だった。紅く輝く大きな槍を手にしている。水から鋼輔と同じように漆黒の巨人は姿を現し、神々しい金や銀の装飾を身につけている。闇と月を司る戦闘神だった。
「テスカトリポカ様と、トラウィスカンパテクトウリの槍だ!!」
 神官が歓声と共に叫ぶ。同時に「おお、テオ・テスカ(我が王!)」と喝采が広がる。イシュタムだけがうつむき、悲しそうにその光景を見ていた。
「さあ、テスカトリポカよ。俺にランスギア・トラウィスカンパテクトウリの槍を!」
 テオが叫ぶ。漆黒の巨人はゆっくりとテオに真紅の槍を手渡す。
「生贄の姫巫女・イシュタムを貫く槍を!!」
 テオと聴衆が叫ぶ。異様な空気だった。イシュタムは諦めたような表情で、祭壇に登った。鋼輔は慌ててイシュタムの細い腕を取る。
「生贄って――まさか――」
「そのまさかじゃ。兄の巫覡、テオを成巫させるための生贄が私。私は己の助けとなるトルテカの守護神の召喚に失敗してしまった。テオが王位継承の召喚を成功させた今、私には死しか残されていない」
「なんだって!? 間違って俺を呼んだのか?」
「おぬしには申し訳ないことをした。おぬしの出所がわからぬゆえ戻してやることもできぬ」
 イシュタムは心底申し訳なさそうに鋼輔に頭を下げた。鋼輔は絶句した。龍宮市にはもう戻れない。廻や神堂の顔が浮かんで消えた。
「最期の会話は済んだかイシュタムよ。我が槍に貫かれ、贄となり、巫力となって俺に貢献しろ。出来損ないが」
 後を見ると、テオがランスギア・トラウィスカンパテクトウリの槍を構えていた。紅い禍々しい瘴気を放っている。
「トルテカ王朝の太陽を打ち落としたとされる怒れる伝説の槍だ。空の王テオ・テスカに屠られることを誇りに思え、贄の姫巫女イシュタムよ!」
 言葉と同時に、神速で槍が放たれ、イシュタムの腹部を掠めた。
「あぐっ――」
 テオは大理石の壁に突き刺さった槍を引き抜きに、ゆっくりと双子の妹であるイシュタムの元へと歩んだ。
「神官ども。この出来損ないに贄として最大の苦痛と恥辱を与えろ。巫女の神聖を汚せ。力加減はしておいた。死ぬまで好きにしてよいぞ。その死体を、祭壇で俺が喰らってやるわ」
 テオは槍をイシュタムから引き抜くと、冷酷に笑って、祭壇の上の王座についた。
神官達がこれから始まる陵辱の宴にげひた笑いを浮かべ、傷ついてはいるが美しいイシュタムに近づき、捕らえようとする。
「やめろ――!!」
 鋼輔は考えるより先に止めに入っていた。
「私を助けると殺されるぞ……ほうっておいてくれ」
 イシュタムが消え入りそうな声で言った。
「助けて欲しくて俺を呼んだんだろ。俺は思ったようなヤツじゃなかったかもしれないけど、こんなの見てほうっておけるか!」
 鋼輔は抜刀して、イシュタムに近づく神官の手首を斬り飛ばしていた。激昂した神官が武器を持って鋼輔に襲い掛かったが、鋼輔は居合いからなる二撃目で確実に標的を捉え、神官の急所に太刀を浴びせていた。
「寄ってたかって一人の娘に――恥を知れ!!」
 鋼輔は怒っていた。置かれた情況もわけがわからない。だがわけがわからないなりに、この異国の風習は狂っていると思った。王位継承者の妹、つまり国の姫にあたるものをむごたらしく死に追いやろうとしているのだ。
「ほう――?」
 テオが神官を残らず切り殺した鋼輔を見て、王座から好奇心の笑みを見せた。 「わが槍の的になりたいらしいな。よろしい。俺のために用意された生贄のイシュタムをかばい立てするなら、貴様もろとも屠ってくれるわ――ムド=アランガ!《一槍必中》!」
 テオが好戦的な紅い双眸をぎらつかせて、紅い瘴気を放つ禍々しい槍を構えた。空気が紅く侵食されてゆく。収縮するエネルギーで時空が歪む。極限まで引き絞った槍を、テオは思い切りイシュタムと鋼輔に向けて投擲した。空が爆ぜ、紅く光る衝撃波を纏った槍撃が、残像を描いて放たれた。
 鋼輔はブレードギア・倶利伽羅でトラウィスカンパテクトウリの槍を受け止めると、そのまま渾身の力で振りぬいた。打撃のインパクトで火花が散る。黒龍クリカラの宿る刀身から蒼い炎が噴出し、赤い衝撃波を相殺する。相殺し切れなかった衝撃波からイシュタムをかばい、鋼輔の全身が切り裂かれ、鮮血が舞った。だが――。
「なにっ――!?」
 槍ははじかれ、大理石の床に落ちた。鋼輔は負傷したままテオのもとへと疾風のごとく駆け、クリカラの蒼炎を宿した白刃をふるう。テオは王座の横に鎮座してある真紅の鎧と真紅の剣が立てかけてある台座から剣を取る。宝剣、ブレードギア・マカナを手にしたテオは、鋼輔に応戦した。
「身の程知らずが! 砕けマカナよ! 断刃の前に――露と散れ!!」
 鋼輔とテオは王座で斬り合いを始めた。神官達が戸惑いの視線を向けている。
「戻れ、ランスギア・トラウィスカンパテクトウリの槍よ!」
 テオが隙を見て、右手に槍を召喚した。
「至近距離で屠ってくれるわ! 次はよけ切れんぞ! ムド=アランガ!《一槍必中》!」
 真紅の衝撃波が槍の周りに収縮される。テオはそのまま力任せに槍を鋼輔に放った。槍は鋼輔の腹部を深々と貫いた。テオが笑う。
「馬鹿が! 俺に楯突いて生きていたものなど、皆無ぞ!」
 テオは紅い瘴気を放つ槍で、鋼輔の身体を滅多刺しにする。鮮血が王座に飛び散った。
「やめてくれ兄者! 私が大人しく生贄になる! それでいいじゃろう!?」
 イシュタムの悲痛な叫びが鋼輔の耳に響いた。身体に血の感覚が戻ってくるかのようだった。身体が熱い。怒りだった。
「ひゃははははははは! お前は黙ってみていろ! 生贄のお前に与えるのは苦痛と絶望。お前の味方など誰一人いない中でお前を喰ってやるぞイシュタム!」
 テオが狂ったように笑う。
「そのカンに触る笑い声をなんとかしろクソ野朗!!」
 鋼輔は槍を無理やり引き抜いて、倶利伽羅から居合いを繰り出した。テオの胸部に鮮血が散る。テオは不愉快そうに鼻梁をゆがめた。
「ランスギア・トラウィスカンパテクトウリの槍よ! アルマ=トゥーラ《乱撃必殺》!」
 テオは再び槍を利き手に召喚すると、槍を何本も複製し始めた。鋼輔を串刺しにするべく、紅い瘴気を放つ禍々しいそれらを、鋼輔に向けて放った。
 鋼輔はとっさに倶利伽羅で手前の槍を払ったが、数本同時に槍を受けてしまった。身体を串刺しにされ、血飛沫が王座を染めた。鋼輔はその場に倒れ、気が遠くなる。気がつくとイシュタムの膝枕の上にいた。イシュタムは双眸に涙を浮かべている。
「私――私は――、まだおぬしの名前すらきいていない」
「――」
 鋼輔は痛みと、口の中に血が溜まって言葉を口にできなかった。
『聞こえるか癒しの白竜、我が呼び声に応えて姿を示せ――』
 イシュタムの神獣召喚だった。水場に現れたのは癒しの白竜・ククルカン。
「成功した――! 我が癒し手、ヒーリングギア・ククルカン――白き風よ、勇者を包め!!」
 イシュタムの詠唱と共に、白い風が鋼輔の身体を柔らかく包み、身体中が熱を帯びる。細胞の一つ一つが活性化され、鋼輔の傷が癒えてゆく。槍で開けられた穴はみるみるうちにふざがっていった。それを見たイシュタムの表情が安堵に満ちる。
 鋼輔は即座に立ち上がり、倶利伽羅の一撃必殺――無拍の太刀の予備動作に入った。
「無拍の太刀――!」
 振りぬかれる渾身の一太刀。クリカラの蒼炎を宿した刃は、確実にテオの心臓を狙って放たれた。
「――!!!」
 テオの鮮血が血風となって飛び散る。テオは声もなくその場に倒れた。意識を失っている。神官達が画面蒼白になって叫んだ。
「なんということを!! 異国の痴れ者め!!」
 鋼輔は背後にいたイシュタムを抱えて走る。大理石で出来た、通気用の穴から飛び降りた。水上国家である護龍は、至る所に水脈があり、鋼輔が飛び降りたのも水の中だった。イシュタムを抱えながら、鋼輔は神殿の外の陸地に乗り出すと、追っ手の神官たちをまいて、地理もわからないまま、走った。
 あたりは夕闇に染まっていた。紫色の夜空に満天の星が輝き、美しい極彩色の花々や緑が茂っている。それがひどく能天気に見えた。鋼輔が走っているのは、水を意匠に組み込んだ豪奢な宮殿で、宮殿の外はどこまでも続く砂漠だった。
「ここはトゥラン王宮。砂漠のほうへいってはだめだ! 昼間とは打って変わって冷える。迷うぞ。ええと、名前――」
 イシュタムが、鋼輔に抱えられながら、もじもじと尋ねた。
「鋼輔、刃鋼輔だ。俺、ここの事全くわからないんだけど、イシュタムは道わかるか?」
「コウスケ。異国の名前だな。この先の道を左にいくと、王都トルテカへ続いている。王都のバザールの近くにある廃寺院に、身を隠そうと思うんだが――」
「わかった廃寺院だな。いってみるよ、道案内頼む」
「了解した、鋼輔――」
 イシュタムは鋼輔の腕の中で顔を紅くしていたが、鋼輔は走るのに必死でそれに気づいていなかった。



「追っ手をまけたみたいだな」
 二人がトルテカの廃寺院につくと、鋼輔がため息をついた。イシュタムがそのため息にびくりと身を震わせた。
「申し訳ない。私が召喚に失敗したばかりに――どうやら、鋼輔のブレードギアに宿っている黒龍に反応して鋼輔が呼ばれたらしい」
 イシュタムは申し訳なさそうに、身につけた白い羽毛の毛皮をいじくりいじくり言った。身体に密着した白い衣装は美しいイシュタムによく似合っている。
「俺は龍宮市に戻れるのか?」
 鋼輔はイシュタムの様子を見て、不安げに尋ねた。
「それが――戻し方がわからない。タツミヤシ、というのはヤマトの国か?」
「そう大和の龍宮市だ」
 イシュタムの顔から一瞬で表情が消えた。
「鋼輔が来たのは、本当にヤマトのタツミヤシなのか?」
「そうだよ。それがどうかしたのか」
 イシュタムは鋼輔の顔を見て、複雑な表情をした後に、言葉を発せられないかのように口をモグモグ動かした。
「なんだよ、言ってくれよ――」
 イシュタムは逡巡した後に応えた。
「ヤマトの国は――何百年も前にトルテカの破壊神による怒りの槍で、地表に太陽を落とされ滅ぼされたのじゃ。今はもう残っていない。私はそんな境遇の者に、自分をを助けてほしいなどと、愚かにも口にするところじゃった。自分を恥じている。鋼輔は、私のことなど気にせずに、自分の好きに行動したらいい」
 イシュタムはうつむいてしゅんとした。両手が震えている。追っ手のことを考えているのだろう。鋼輔は、イシュタムの口から告げられた事実に驚きはしたものの、突拍子がなさすぎてついていけなかった。――龍宮市はもうない?
「じゃあ俺は、どこに帰ればいいんだ――」
「面目ない。全部私のせいだ。本当にすまない鋼輔――」
 イシュタムはますます、いたたまれない表情をしてうつむいてしまったので、鋼輔はあわてて話題を変えた。
「さっきの継承式みたいのってなんなんだ? なんでイシュタムが生贄にならないといけないんだ?」
 イシュタムは自分の境遇を思い出したかのように、顔色を変えた。
「トルテカでは王位継承式に、王位継承者が証として、神獣を召喚する。一族では女は生贄と決まっているのじゃ。兄者は王朝の戦闘神であるテスカトリポカを召喚し、見事王となった。私は、テオを成巫させるための生贄の責務から救われたいと思い、トルテカ王朝の守護神を願い、失敗して鋼輔を呼んでしまったのじゃ。本当にすまない――元の世界に帰る以外の、私に出来ることならなんでもする――私にいってくれ鋼輔」
 イシュタムは美しい顔をずいっと鋼輔に近づけて、鋼輔の双眸を覗き込んだ。鋼輔はどぎまぎする。こんなに美しい少女を今まで見たことがなかったので、イシュタムの顔を直視できなかった。
「本当になんでも――?」
「なんでもじゃ」
 イシュタムが真面目な顔で頷く。生贄として生まれ、存在を否定されて育ったイシュタム。鋼輔は自己否定の強い自分を、イシュタムに重ねてみていた。鋼輔は、自身の自己否定は平気である。しかし他人が同じ立場におかれると、いてもいられなくなって助けなければいけないという使命感が沸いてくるのだった。鋼輔はイシュタムを励まそうと、勤めて明るい声を出した。
「俺の為になんでもできるなら、生贄にならずにイシュタムには生きててほしいな。境遇はひどいけど、この世界のお姫様なんだろ? 俺は巫覡として故郷の龍宮市を守るのが使命だったけど、龍宮市がもうないのなら、イシュタムを護る巫覡になるよ」
 鋼輔が月明かりの元、微笑んで言った。
「私のために戦ってくれるというのか? 私がこの世界に鋼輔を呼んでしまったのに?」
 イシュタムは涙ぐんだ。
「気にするな。それにテオとの戦いで、イシュタムに助けられたしな。ありがとう。あの癒しの白龍、ヒーリングギア・ククルカンだっけ? 凄いじゃないか。召喚に成功してよかったな」
「あのときは鋼輔を助けようと必死になっていたから召喚できたんだと思う。ありがとう鋼輔。護龍の者は、誰も私に関心がなかった……生贄が姫の責務だといって――この世界で味方になってくれるのは鋼輔だけじゃ」
 イシュタムは大粒の涙をこぼした。鋼輔は学ランのすそでイシュタムの涙をぬぐう。クリカラもブレードギア・倶利伽羅から出てきて、慰めるようにイシュタムの周りを巡った。
「なんじゃ、鋼輔の龍か? 黒龍とは珍しい――」
「クリカラっていうんだ。ブレードギア・倶利伽羅に宿っている龍だよ」
 イシュタムは辺りを巡るクリカラを見た。姫巫女だけに、クリカラが見えるらしい。イシュタムはクリカラを華奢な指で撫でる。クリカラは喜んでいた。
「鋼輔やクリカラは優しいな。兄者も、鋼輔やクリカラのようだったらいいのに。鋼輔、この国は少し変わっていてな? 王位継承者を除けば、護龍で最も力のある者が王の資格を得る。だから王都のコロシアムでは、王政に不満を持つ者も含めて、兄者に挑むものがあとを絶たない。番付けというのがあって、二位の戦士と兄者が戦うことになるのじゃが、鋼輔が兄者に勝てば、国のしきたりを変えることができるかもしれぬ」
「俺さっき、テオを気絶させたぞ」
 イシュタムは力なく微笑んだ。
「先ほどの兄者は神獣召喚で消耗していた。普段はもっと強いのじゃ。ジャガーの騎士として呪鎧トナティウを纏い、宝剣のブレードギア・マカナを持った兄者に勝てるものはそういない。それに先ほどは兄者の慢心もあった。真剣勝負なら兄者に勝つのは難しいかも知れぬ。――見たほうが早いな」
 イシュタムは「生贄として育てられた自分を民衆は知らない」と話し、王都トルテカのコロシアムまで顔も隠さずに鋼輔を案内した。誰もイシュタムを咎めない。本当に、イシュタムを王都の姫巫女だと知っているのは鋼輔とトゥラン王宮の人間のみのようだった。
 鋼輔は王都トルテカを歩いた。遺跡を思わせる岩壁から滝が流れ、砂漠から風に乗って黄砂が流れてくる。露店が開かれ、行き交う人々は褐色の肌をしており異国情緒に溢れる、エキゾチックな雰囲気の街だった。
 イシュタムは都市中央にある大きな螺旋階段に鋼輔を案内した。人々はその階段を下りる。鋼輔とイシュタムもそれにならい階段を下りた。長い階段だった。四方には滝が流れ、地上より遙かに涼しい。肌寒いくらいで、海底洞窟のようだった。地下から歓声が聞こえてくる。そこは巨大なコロシアムだった。

 ゴゴォォン…… ゴゴォオン……

 コロシアムの開幕を告げる鐘が鳴り響く。深紅の呪鎧を纏った騎士と、屈強な体躯をした戦士が戦っている。観客は熱狂し、仕合いを観戦している。王都の戦士番付にナンバーされている二位の戦士と一位の空皇帝(テオ・テスカ)による戦闘が行われていた。重装備に身を包んだ屈強な容姿の戦士、全身を真紅の呪鎧で包んだスマートな鎧騎士が剣戟による戦闘を繰り広げている。今のところ力の差は見られない。
「紅い呪鎧騎士のほうがテオか?」
鋼輔が隣にいるイシュタムに訊く。
「そう。紅い呪鎧騎士が兄者だ。鋼輔にやられて、もう目覚めたとは……兄者はタフじゃの」
 場内が沸いた。真紅の呪鎧騎士が迅速な動きで、重装備の戦士の武器を剣戟で跳ね上げた。吹き飛んだ武器は場外の海底へ沈んでいった。海底で、巨大な祭壇と無数の人骨、肉食魚が揺らめいているのが見えた。武器を失った戦士は顔に焦りの色を浮かべている。深紅の呪鎧騎士は躊躇うことなく、流麗な太刀捌きで戦士の首を撥ねる。周囲に血の雨が降り、深紅の呪鎧騎士は盛大に返り血を浴びた。次の一太刀で戦士の身体を祭壇にある海底に沈める。深紅の呪鎧騎士は弔いのつもりか、剣を独特な様式で構えると、敬礼した。
「容赦ないな。この仕合は死人が出るのか?」
 鋼輔が血なまぐさい光景から目をそらさずにイシュタムに聞いた。
「兄者との試合のみじゃ。空皇帝(テオ・テスカ)に負けたものが海底の祭壇に落とされる。仮にも一国の主に剣を向けるのじゃ。負ければ反逆罪として処刑。この仕合で出る死体を、王都トルテカでは、呪われし太陽《イン=ティ》に捧げている」
「呪われし太陽《イン=ティ》?」
「護龍の太陽には生け贄がいる――生け贄がいなければ太陽はけして昇らず、夜明けもこない。呪われし太陽を信仰するトルテカでは、空の王・テオテスカが太陽に生け贄を捧げるのじゃ。一つ目の太陽が不信心により落ち地上を滅ぼしてから、太古のトルテカの王が巫力で第二の太陽を召喚したのじゃが、召喚された太陽は呪われていた。太陽の恩恵と引き替えに、毎日人間一人の命という供物を求める――無数の生け贄の血で呪いが浄化されるまで」
 イシュタムは悲痛な表情で、暗い空を仰ぐ。
「な、なんだそりゃ。俺のいた街の太陽は無償だったぞ。一体どうなってるんだ、この世界は――」
 鋼輔はまだ姿の見えない呪われし太陽《イン=ティ》に対して薄気味悪さを感じながらイシュタムを見返したが、先ほどの仕合を思い返して逡巡した。今の戦いからでは深紅の呪鎧騎士の本当の実力がわからない。相手に合わせて戦っているようにも見えたからだ。獰猛な重装備の戦士をいなしながらの戦い方に見えた。そのときだった。
 中央の螺旋階段から、野生の巨大な業影(ごうかげ)が疾走してきた。その業影は、鋼輔が龍宮市で倒した、業影と化した神堂の父親より大きかった。
「業影じゃ――、珍しくはない」
 鋼輔と話をしていたイシュタムが言った。王都では黒影や業影がそこらじゅうに生息しているので迷い込んだのだろう、と続ける。空皇帝(テオ・テスカ)のいる場内に巨大な業影は足を踏み入れ、空皇帝を威嚇した。
「おもしろくなってきたぞ」
 観客達は口笛を鳴らした。業影は当然先ほどの重装備の戦士より遙かに強い。巨大な体躯をした獰猛な業影だ。空皇帝はブレードギア・マカナを抜くと、業影に構える。隙のない構えだった。
「おおおおおおおおおおおおおッ!」
 腹に響くような咆哮は深紅の呪鎧騎士・空皇帝(テオ・テスカ)によるもので、大振りの一太刀を業影に浴びせていた。大剣の遠心力ですさまじい威力を持った真空の一閃は、赤い斬撃のインパクトと共に業影の装甲にヒビを入れた。一撃目のヒビから力づくで業影の装甲を粉砕。巨大な業影を一撃で一刀両断し、深紅の鎧に雨のように黒い体液を浴びていた。
 ズシン、という音を立て、業影の骸が場内に倒れる。空皇帝は業影の骸を海底の祭壇へ蹴落とし、高らかに謳った。
「我が屠りし、呪われし太陽《イン=ティ》に捧げし贄どもよ、太陽の加護となり王都トルテカを照らせ!!!」
『照らせ! 太陽の加護を!!』
 観客が沸いた。空皇帝(テオ・テスカ)はあの独特な構えで一礼する。屠った 戦士と業影の体液を浴びた恐ろしい姿のまま、マントをなびかせて闘技場の奥へと戻っていった。
 観客は次々、螺旋階段を上っていく。仕合は終わりらしい。仕合の場内は血で汚れている。巨大な業影を一撃で屠る。あれがこの王都を支配する空皇帝(テオ・テスカ)の力なのだ。
「強いじゃろう。ジャガーの騎士に扮した兄者。空の王、空皇帝(テオ・テスカ)は」
「……同じだ」
「なんじゃ?」
「テオは俺の無拍ノ太刀と全く同じ、真空の一閃を放っていた――」
 鋼輔はそういって戦慄した。トゥラン王宮で剣を交えたときは気づかなかったが、コロシアムの真剣勝負の際に、テオは自分と全く同じ剣を振るっていた。イシュタムは、テオの剣を見て狼狽する鋼輔に澄んだ瞳を向ける。
「鋼輔、王都トルテカのコロシアムにはこのような伝承がある。『黒き髪、白き肌の暁の剣士が王に挑みしとき、呪われし太陽はその力をひそめ、空には暁の太陽がのぼり、護龍の繁栄が約束されるであろう』とな。黒き髪、白き肌の剣士とは、まるで鋼輔のようじゃろう? 私は鋼輔が王都トルテカに伝わる暁の剣士であることと、護龍を呪われし太陽から救ってくれると信じているぞ。その証拠に、生贄になるはずだった私を、剣をもって兄者から助けてくれたではないか」
 鋼輔はイシュタムが向けてくる強い感謝と信頼に狼狽したが、その真摯な感情に応えるべく言葉を続けた。
「……俺まだこの世界のこととかよくわかってないけど、やるよ――テオともう一度戦う。イシュタムがこの世界で笑って生きられるように」
「鋼輔――! ありがとう」
 イシュタムは涙ぐんで、鋼輔の手に優しく触れる。鋼輔は護龍の姫巫女イシュタムを生贄の責務から救うために、護龍を統べる空皇帝(テオ・テスカ)に自分の剣で戦いを挑むと固く決意した。

第七話 ジーク編プロローグ

「さあジーク、最後の真血付与だ。ボクに口づけて。これで全てを終わりにしよう」
 エンシェントドラゴン五体の竜玉《ギア・ストーン》が幽世《かくりよ》の陣を形成し、シャルムの身体が淡い燐光を帯び、紅く長い髪が空に踊っている。シャルムはその口づけが意味する内容とは裏腹に、微笑んでいた。
 夜都ダロネアの遺跡は幽世《かくりよ》の陣形成の影響を受け、時空が撓んでいた。
「理解不能――説明を要する。ハンデルス、なぜ今まで黙っていた――こうなることがはじめから分かっていたのか? 分かっていたら俺は――シャルムを旅に連れ回したりしなかった――!」
 ジークは傍らにいたハンデルスの胸ぐらをつかんだ。
「リビングギアである、ルアヌ=エンデの召喚にはドラゴンの幼体が必要不可欠だ。――シャルムの身体を依り代に、古癒竜ルアヌ=エンデという幽世《かくりよ》の陣が形成される。俺はベロニカに伝承を訊いてルアヌ=エンデの召喚方法を知っていたが、おまえには言えなかった。おまえが訊いたら、最後まで耐えられないと思ったからだ――」
 ハンデルスが苦虫を噛みつぶしたような顔で、ジークから視線を逸らしている。横にいるベロニカも悲痛な表情で涙ぐんでいた。
「でもこれは、ボクが望んだことだから」
 シャルムは淡い燐光に包まれながら、きっぱりとした口調で言った。
「ボクがリビングギア・ルアヌ=エンデになって、ドラゴンスレイヤーであるジーク達に倒されて得られる肉は、ルギリ熱で苦しむ大勢の人間の特効薬になる。古癒竜の肉からできる薬で、ルギリ熱は完治するんだ。ジーク達は、皆を救った英雄として慕われることになる、過去に何をしていたとしても――」
 シャルムは目をつぶり、今までの旅を逡巡するように語った。
「俺は――大儀と引き換えにいつも何かを犠牲にしてきた。だから今度は犠牲にされる側の人間の立場に立って守ることで、正しい選択をしたと信じていた。でもまた俺は大儀と引き換えにおまえを犠牲にしようとしている。俺に日の当たる生き方なんて無理だったんだ――」
 ジークが血が滲むほど拳を握りしめた。
「訊いてジーク! ジークはウィツィロトの暗殺者として今までたくさんの人を殺して、呪われし太陽《イン=ティ》に捧げてきたよね。でも自分を変えたいと思って、世界に犠牲にされる立場のルギリ熱に苦しむ人達の為に今まで旅を続けてきた。立派だよ。ボクの夢を教えてあげるよジーク。それはジークが平和になった世界で、沢山の人に囲まれて笑ってるとこ。ジークならできるよ、今までの生き方や自分自身を否定して苦しまなくても、その力でもっと多くの人を救うことが――」
 シャルムは精一杯の笑顔で微笑んで言った。普段の臆病な性格のシャルムからは信じられない事だった。
「全部、横におまえがいなければ意味がないことだ」
「じゃあボクの命と引き替えに――世界が滅びちゃってもいいのかい?」
「俺はもう一度、人殺しになっても構わない」
 シャルムが寂しそうに微笑んだ。
「だから、これで最後だけどボクの力の全てをジークにあげるよ。リビングギア・ルアヌ=エンデという幽世の陣が形成されたらボクの自我は消えてなくなる。これが最後のキスだよ。最後だから――ハンデルスやベロニカ、街のみんなと幸せに生きてねジーク」
 ジークの頬から一筋の涙が流れた。シャルムは淡い燐光に包まれながら、ジークの頬に触れ、自身の唇を牙で咬んで腔内を血で満たす。その血を、ジークの唇に流し込んだ。いつものように、体温が上昇しジークの身体が鋼鉄のように守備力を増し、アサシンギア・ジュマンジの強度が熱量を帯びるかのように上がってゆく。
 シャルムが真血付与を終えて身体を離そうとするとジークがそれを拒んだ。別れを惜しむかのように、はじめて自分からシャルムの身体をきつく抱きしめる。シャルムの身体は思ったよりずっと華奢で小さい。長いキスを終える前にシャルムの身体が半透明になり、光の粒子を纏って消えた。後には空を切るジークの腕だけが残る。
 時空が撓み、幽世の陣――リビングギア・ルアヌ=エンデが形成されてゆく。ジークはアサシンギア・ジュマンジを、瞬時に守備武装を竜燐鎧《ドラゴンメイル》、攻撃武装を竜殺装甲《ドラゴンキラー》に切り替えた。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
 地響きのような咆哮と共に現れたルアヌ=エンデ。終わりの体現者にふさわしく、荘厳な雰囲気を湛えた白銀のドラゴンに向かって、ジークは竜殺装甲《ドラゴンキラー》を構える。
「古癒竜ルアヌ=エンデと確認――標的をすみやかに抹殺」
 ジークがいつもの事務的な口調に戻る。ハンデルスはスチームギア・バムルンクを、ベロニカはショットギア・バレッドを構えてジークに続いた。



第八話 グランドロス討伐

「標的を確認――すみやかに抹殺」
 アサシンギア・ジュマンジが双剣《マインゴーシュ》に変形する。標的――とは、王政に反逆した反乱軍の者や、武装した犯罪者だった。呪われし太陽《イン=ティ》への信仰に嫌気がさして反逆した者も含まれる。
「頼む、命だけは――俺には生まれたばかりの子供が……」
 犯罪者の男は、武器を投げ捨て命乞いをした。犯罪者には義憤をもって向かってくるタイプと、死に際、感傷的になるタイプがいて、この男は後者と言えた。ジークは感情の宿らない目で標的を一瞥する。なにをしたのかはわからないが――反逆罪で捕まった男とはいっても、こうなると民間人と変わりない。ジークは憂鬱だった。
「会話は不要と判断――黙秘」
 ジークは護龍ヴァルバ正規軍ウィツィロトの暗殺者《アサシン》だ。全身を暗殺装束《アサシンスーツ》で身を包み、褐色の肌に逆毛の白髪、左耳にアサシンギア・ジュマンジを呼び出すギアストーンのピアスをしている。彼はトルテカ王政に反逆するものの抹殺を行ってきた。その数はおおよそ千人にも及ぶ。
「頼む――一度でいいから娘に――ッ」
 言葉にならない言葉を残し、反逆者の男はジークの双剣《マインゴーシュ》で頸動脈を鮮やかに切り裂かれて絶命した。返り血がジーク身体を赤く染める。反逆者の遺体は呪われし太陽《イン=ティ》に捧げられる事になるだろう。
「よくやったぞジーク。おまえの戦果を試すときが来た」
 暗殺室のガラス張りの壁から威圧感のある声が響いた。護龍ヴァルバ正規軍ウィツィロト所属のドラゴ将軍。傍らには副官のヘルダー大佐がいた。彼が将軍になるためにジークは軍隊の人間も暗殺したことがある。どちらに正義があるかなど気にしたことはなかった。だだ自身の作られた存在理由――軍隊の命令に従い刃を振るうのみだった。
「暗殺の為に作られたルル(人造人間)。思った以上の出来だな。腑抜けの反逆者どもの相手も飽きたろう。今日のおまえの相手は――ドラゴンだ」
 ジークは表情のない褐色の貌をドラゴに向けた。
「ドラゴン――参照経験なし」
 ジークが事務的に応える。ドラゴは、夜都ダロネアで幾人もの善良な民間人やハンターを屠った黒竜を捕らえてきたと言った。その処刑を行えというのだ。ジークのいる暗殺部屋が変形し、檻に入れられた巨大な黒竜が現れた。
「黒竜ファブニール。おまえのアサシンギアによる暗殺術《エクスリマアーツ》で切り刻んでやれ。黒竜の死体をおまえに組み込み、より強化されたルルを作る実験だ。これの成功と共に、おまえには忌まわしきエンシェントドラゴンどもを狩ってもらう」
 ドラゴはそういうなり檻を開けた。黒竜ファブニールは暴れはじめ、ドラゴンブレスを四方に放った。ジークは人間離れした俊敏な動きで、それを躱す。
「標的を確認――すみやかに抹殺」
ジークがアサシンギア・ジュマンジを変形させ、まるで舞踏するように鮮やかな動きで黒竜ファブニールに攻撃を加える。
「暗殺術《エクスリマアーツ》――発動」
 アサシンギア・ジュマンジが紅炎を発する。熱を帯びてゆく刃は鋼鉄の装甲さえバターのように切り裂く。黒い影が空《くう》に一閃したかと思うと、双剣《マインゴーシュ》による刃の軌跡が暗殺部屋全体に煌めいた。体格差をものともせずジークによる一方的な殺戮の場となり、あっという間に四肢を無残に切り裂かれ、臓器を取り出された黒竜ファブニール。哀れな黒竜は、ジークの身体、アサシンギア・ジュマンジに竜燐鎧《ドラゴンメイル》、竜殺装甲《ドラゴンキラー》として組み込まれ、ドラゴの企てた実験は成功に終わった。



 王都トルテカの上空、一個小隊を乗せた護龍ヴァルバ正規軍ウィツィロトの飛行船が飛んでいた。
「ジーク投下します」
 オペレータが本部に繋げてあるマイクに向かっていい、ハッチを開いた。ジークは上空から対空装備もなしに落とされたが、わずかに表情を変えることもなく、驚くべき身体能力でトルテカ遺跡の石畳に着地した。
 トルテカ遺跡に存在するエンシェントドラゴンは、古鉄竜グランドロス。遺跡には玉虫色に輝く鉄塊がそこらじゅうに転がっている。グランドロスは鉄を生み出すドラゴン。古代魔術《エンシェントルーン》の力を含んだ溶鉄を吐き出し、王都ではグランドロスが生み出す鉄を使った産業で栄えていた。現在、グランドロスが呪われし太陽《イン=ティ》の影響で狂い、ルギリ熱の感染源になってからは、トルテカ遺跡は封鎖され、鉄を採掘するために遺跡を訪れる民間人も立ち入り禁止になっている――はずだった。
「ハンデルス〜!! なんか〜、変な男の人が落ちてきたよ〜!」
 間の抜けた女の声がトルテカ遺跡の入り口に響く。愛嬌のある可愛らしい顔に、腰まであるブロンドを二つに編み、ウクレレを腰に携え、グラマラスな身体に炎都アルゴナの様式であるウエスタンな格好をしている。女は射撃手のようで、巨大なショットギアを構え、同行しているらしい人物に向かって叫んでいた。遺跡の中では轟音が響き、ドラゴンの鳴き声がした。エンシェントドラゴン――グランドロスと戦闘中らしい。
「エンシェントドラゴン、グランドロスと確認――すみやかに抹殺」
 ジークが無機質に言葉を発し、遺跡の中に向かおうとした瞬間、長髪長身に眼帯をした男がグランドロスの攻撃を喰らい、遺跡の入り口から煉瓦の壁を破壊しながら吹きとばされてきた。胸元を大きく開いた赤い服装の剣士は、軽装備にも見えたが、男の持つ巨大な剣《つるぎ》と張り詰めた雰囲気がスマートな風体を重厚に見せていた。
「なんだあのドラゴン野郎、スチームギア・バムルンクの攻撃が通らねえぞ!」
「ハンデルス〜!! 大丈夫〜!? 」
 女が巨大なライフルを構え、ドラゴンに向けて鉄甲弾を放ちながらハンデルスと呼ばれた男に心配そうに声をかけた。
「民間人――任務妨害。すみやかな退去を要求」
 ジークが地面に転がっているハンデルスに向かって、無機質に声を掛けた。
「あん? その服装に飛行船――軍隊の連中か? 軍隊にだって手に負えねえぞアレは。ベロニカ、無駄だ! 鉄甲弾も通っちゃいねえよ!」
 ハンデルスは連れのベロニカと呼ばれた女にそういうと、ジークに向かってグランドロスを顎で刺した。遺跡の中から迫ってきたグランドロスに目立った外傷はない。それどころか全身を覆う頑健な外殻はにぶい光を放ち、歩くたびに玉虫色に輝いている。
「エンシェントドラゴン、こいつを倒せば――その肉を使った薬で、ルギリ熱は治るんだ――僕の父さんだって――!」
 トルテカの貧民街の方角から、一人の少年が鉄刀を持ってやってくるなり、遺跡の中にいるグランドロスに向かっていこうとした。その瞬間ハンデルスが立ち上がり、少年の元へ走った。グランドロスは少年に向かって鋭い尾撃を放ち、遺跡の外に敷き詰められた石畳を粉々に破壊する。
「おい坊主! あぶねえぞ!」
 ハンデルスは間一髪で少年を救い出し、小脇に少年を抱えた。
「ハンデルス! ドラゴンスレイヤーのハンデルスだよね!? 本物だ! ルギリ熱の特効薬を配って歩いてる――ハンデルスが来たって街の人に訊いて、僕も戦いに来たんだ!!」
 少年はハンデルスに抱えられながら、目を輝かせて言った。
「ドラゴン退治に鉄刀一丁の度胸は認めるが、グランドロスは荷が重いぜ坊主、離れて隠れてな」
 ハンデルスはスチームギア・バムルンクのチェーンを思い切り引いた。駆動音と同時に蒸気が発生し刃が発熱しはじめる、チェーンソーのような刃先が回転しだした。
「蒸気機動刃《スチーマー》。ベロニカはショットギアの火炎弾《フレアブレッド》を使え。あの装甲を溶かして闘う」
 ハンデルスは疾風のようにその場から駆け抜け、自身の身長ほどもある巨大なスチームギア・バムルンクを大きく振りかぶり、グランドロスに一刀を喰らわせた。鉄壁の装甲がスチームで溶かされ、攻撃が通る。ハンデルスは大振りの連撃を続けてグランドロスに見舞う。
 ジークはその場から跳躍し、アサシンギアジュマンジを竜殺装甲《ドラゴンキラー》に変形させた。
「暗殺術《エクスリマアーツ》――発動」
 ジークは俊敏な動きで、高温の炎を発し、熱量を持つ双刀の竜殺装甲《ドラゴンキラー》を乱舞のようにグランドロスに見舞った。紅い炎と火の粉が残像を描いて、バターの様にグランドロスの堅い装甲を切り裂いてゆく。
「ギャオオオオオオオオ!!!」
外殻を竜殺装甲《ドラゴンキラー》切り裂かれ、グランドロスが悲鳴を上げる。ハンデルスは、グランドロスの背に乗り、スチームギア・バムルンクの刃をグランドロスの首めがけて渾身の力で打ち込んでいた。切断はされなかったものの、グランドロスの傷は深い。ジークの暗殺術《エクスリマアーツ》により外殻をズタズタに切り裂かれたグランドロスの皮膚からは肉が覗いていた。ハンデルスが尾を切断し、隠れて様子を見ていた少年へ投げる。
「――ひっ!!」
 少年はまだ生暖かいドラゴンの尾肉を思わず受け取ると、ハンデルスに戸惑った視線を向けた。
「それで薬作ってやるから、もっときな」
 ハンデルスが少年に叫んだ。
グランドロスは弱ると、涎を流して巣穴へ向かうのか翼を広げてその場から飛び立った。ハンデルスはなおも巨大な蒸気戦霊機スチームギア・バムルンクでグランドロスを斬りつけていたが逃げられてしまった。
「グランドロス逃走――体力回復と思われる。逃亡先の巣穴ですみやかに抹殺」
 ジークはそういうと俊敏な動きでその場から跳躍し、グランドロスの後を追った。グランドロスは巣穴でなにかを食べていた。ジークが目をこらすと、自身の子供であるドラゴンの幼体を喰っていた。共食い。ジークは眉をひそめた。
「――」
 ジークは竜殺装甲《ドラゴンキラー》をふるうとグランドロスとドラゴンの幼体を引き離した。死にかけで震えるドラゴンの幼体をつかむと服の中に仕舞う。
「理解不能――自身の行動に疑問有り」
 ジークは服の中で小さく抵抗するドラゴンの幼体を無視して、グランドロスへ向かった。ハンデルスがベロニカと共に追いついてきて、ベロニカのショットギアによる火炎弾《フレアブレッド》が外殻の剥がれ落ちたグランドロスに着弾し火花を散らす。ハンデルスはスチームギア・バムルンクによる連撃を再び見舞いはじめた。ジークは、とどめを刺すように、竜殺装甲《ドラゴンキラー》の乱舞を幾閃もグランドロスに浴びせた。頑健な外殻を失ったグランドロスは、一身にジーク、ハンデルス、ベロニカによる集中攻撃を受け――大きな断末魔と共に絶命し、地響きをたてて倒れた。
「やった――!!」
 遠くで見ていた少年が立ち上がってハンデルスのもとへ駆けてきた。ジークの武器ジュマンジはグランドロスの鋼鉄の装甲によりボロボロになっている。それを見咎めた少年が口を開いた。
「お兄ちゃん、ボクはグランドロスの鉄を打つ鍛冶屋の息子なんだ。この鉄刀も、グランドロスの吐き出す鉄で、僕が打ったんだよ。ここには素材の鉄塊も沢山あることだし、お兄ちゃんの武器を直してあげる! グランドロスの鉄は古代魔術に耐性を持っていて、腕のいい鍛冶屋が打てば強力な武器になるんだ」
 少年が目を輝かせて、ボロボロになったジークのアサシンギア、ジュマンジを手に取った。少年は携帯鍛冶道具を持ってくるというと、貧民外の方へ駆けてゆき、鍛冶道具を持って戻ってきた。ジークの目の前で、少年の手により武器が復元されていく。
「ジュマンジ――性能上昇と確認」
 少年が打ったジュマンジを確認し、ジークは言い慣れない単語を少年に口にした。
「ありがとう少年。――助かった」
「いいんだよお兄ちゃん。ドラゴン退治のお礼、へへっ!」
 少年は嬉しそうに鍛冶で汚れた指先で鼻先についた汗を拭った。
「民間人は退去せよ」
 その時だった。飛行船が着陸し、中から護龍ヴァルバ正規軍ウィツィロトの一個小隊が現れ、少年を突き飛ばした。ハンデルスが少年を抱き起こし、足に着いた土埃を払ってやる。ハンデルスは軍人達をにらみつけ、皮肉をいった。
「はっ。自分たちは高見の見物で、グランドロスだけは戴いていこうって腹かよ」
「我々はジークを派遣した。ジークの戦果によりグランドロス討伐は成し遂げられた。民間人は退去せよ」
 ヴァルバ軍の隊長は無機質な口調でハンデルスに言った。
「軍はグランドロスをどうする気だ?」
 ハンデルスは隊長を無視してジークに話しかけた。ジークは逡巡した後、静かに応えた。
「軍の目的――エンシェントドラゴンの持つ竜玉《ギアストーン》による国防力強化。軍の作った薬を得る民衆――富裕層の一部。貧民層――手が出ない代物。」
 ジークが言葉みじかに応えた。その言葉を聞いた少年は、絶望的な表情でハンデルスから受け取ったグランドロスの尾肉を見る。
「これだけじゃ、街の人たちのぶんには足りないよ――」
それを見咎めたヴァルバ軍の隊長に、少年はグランドロスの尾肉を乱暴に奪われた。
「これは軍の接収物だ。民間人は退去せよ。立ち入り禁止区域だぞ」
「あ〜ひど〜い〜! 倒したの私たちなのに〜!」
 ベロニカが間の抜けた抗議の声を上げる。ハンデルスが舌打ちする。
「グランドロスの遺体を寄越せ。エンシェントドラゴンの肉はルギリ熱の特効薬になる。ルギリ熱の患者を、あろうことか呪われし太陽《イン=ティ》への生贄にしている軍や王政はあてにならん。俺たちで特効薬を作ってルギリ熱の患者に配る」
「拒否。グランドロスの遺体――軍の接収物」
 ジークが無機質に応える。
「ジークつったか。おまえはなぜそれだけの力を持っていながら民衆を助けないどころか、呪われし太陽《イン=ティ》への生贄探しに奔走する軍隊に従う。おまえは生贄にされようとする、ルギリ熱に苦しむ患者をみてなんとも思わないのか?」
「自身の素性―暗殺術エクスリマアーツを習得し、呪われし太陽《イン=ティ》に千人の罪人を捧げる。暗殺者の放棄―護龍の統治放棄、犠牲者の無念」
 ジークがわずかに感情を覗かせた。
「千人犠牲にしたなら、これから呪われし太陽《イン=ティ》に生贄にされそうになってるルギリ熱に苦しむ何千人を救えばいい。反逆者ならまだしも、生きる力がないものから生贄に捧げるなんて、今の王政はどうかしてるだろ? 今いる力のない人間を助けるのが、今まで生贄にしてきた人間に対する弔いだと思うがな」
 ハンデルスは心からそう思っているようだった。ジークは長く逡巡し、少年に直してもらったアサシンギア・ジュマンジに触れた。
「――今のジュマンジで――殺しはできない」
 ジークはそういうと、突然ヴァルバ軍ウィツィロト部隊の隊員を拳で気絶させた。
「なっ――ジーク貴様!」
 言い終わらないうちに、ジークは次々隊員達を拳でのしていった。その攻撃は共に闘ったハンデルスからみて明らかに手加減したものだったが、ものの数分で一個小隊はジークに気絶させられ真っ平らになっていた。
「おまえ――いいのかよ、そいつらの仲間じゃないのか?」
「軍には服従している。だが――長く殺しをやっていると――頭がおかしくなるときがある。グランドロスが欲しいなら持って行け。おまえ達の手にある方が、こいつは役立つだろう」
 ジークはそういうと、機械的な動きで飛行船に気絶した隊員達を次々と投げ込みはじめた。
「そうか。ありがとよ」
「ありがと〜!ジーク〜!」
 ハンデルスは口元だけで微笑み、ベロニカは満面の笑みでジークに呼びかける。二人はトルテカの貧民街の人間を呼んで、遺跡からグランドロスの遺体を運び出した。
「お兄ちゃん、僕はシルトっていうんだけど、これで父さんの症状も和らぐよ、本当にありがとう!僕の父さんも腕のいい鍛冶屋なんだ。また武器の調子が悪くなったらトルテカの街にあるお店にきてね! 父さんも喜んで直してくれるよ!」
 ジークは三人に感謝を向けられ、変な顔をしていた。
「感謝――参照経験なし」
「ははは。暗殺者じゃあそうだろうな。それと――特効薬があってもルギリ熱が完治するわけじゃあねえ。解熱効果で動けるようにはなるがな。完治させるにはエンシェントドラゴンを全て倒せば現れるという、ルアヌ=エンデという伝説の古癒竜の肉が必要だ。だから俺はドラゴンスレイヤーをしている。ルアヌ=エンデを倒して薬を作り、民衆のルギリ熱を完治させるためにな。俺は夜都ダロネアにある『竜の爪亭』という酒場を拠点にしている。ドラゴン殺しに興味が沸いたら俺に声をかけるといい」
 ヴァルバ軍の一個小隊を飛行船に投げ込む作業を終えたジークに、ハンデルスが声を掛けた。
「今回みたいにご無体をやらかして、軍隊をクビにでもなったらなったら考えとけよ。それと、これは貴重なドラゴンの竜玉《ギア・ストーン》だ。おまえがいなきゃグランドロスは倒せなかった。竜玉《ギア・ストーン》はおまえにやるよ。じゃあな」
「またね〜ジーク〜!」
 ハンデルスとベロニカはグランドロスの肉から薬を作るために、遺跡から貧民街に戻っていった。



 護龍ヴァルバ正規軍ウィツィロトの飛行船。帰りの旅路で、気づくと同業者のバサラがジークの横にいた。赤毛の長髪を縛り、軽薄な笑みを顔に浮かべた男。実力指標・ランクAのジークを凌ぐ、ランクSの暗殺者《アサシン》・バサラ。その飄々とした態度のどこにそんな力があるのかとランク基準を疑いたくなるほど、実力と風体がかけ離れた得体の知れない人物だとジークは思っていた。全く気配を感じさせずに現れたのだが、はじめから監視のためにこの船に乗っていたのだろうか。
「やっちまいおったのォ、ジーク。軍隊に逆らうなんて、今まで殺してきた反逆者どもと同じ轍を踏んでどうすんねや。ランクAの暗殺者《アサシン》であるおまえが」
「会話は不要と判断――黙秘」
「グランドロス討伐任務の失敗――もうとっくに上につたわっとるでぇ。伝えたのはワイやけども。ドラゴがごっついお怒りで、ワイがおまえの処罰を担当することになったわ。本部に着いたらキツイ拷問がまっとるけど、堪忍してや」
 バサラは独特な訛り言葉でジークにいった。ジークは目をつぶったまま壁にもたれかかり、シルト少年が打ったジュマンジに触れ、今日はじめて向けられた感謝という感情の不可解さについて考えていた。


第九話 ジークの誓い

 グランドロス討伐の任務を失敗したジークは、拷問室の天井から鎖で四肢を吊され、拷問を受けていた。
「――」
 バサラによる拷問は容赦がない。治癒力の高いルル《人造人間》のジークには生半可な拷問は効果がないため、蛇腹剣と呼ばれる鉄線で繋がった剣《つるぎ》で体中を切り裂かれ、傷口に熱湯を浴びせられていた。ジークの足下には血だまりが出来ている。
「まあァ、こんなんもおまえにとっちゃあ意味なんぞないんやろな」
 バサラが蛇腹剣を手に握りながら、声一つあげないジークに呆れたように言った。
「じゃあこんなのはどうや?」
 バサラがジークの眼前に掌をかざす。バサラとジークのいる空間に、ギアストーンが空間を浸食して繋ぐ像――幽世《かくりよ》の陣が形成される。幽世《かくりよ》の陣が扱えるのはギアストーンと親和性の高い熟練の使い手だけだ。バサラがランクSなのはこのためだろう。
「――!!」
 空間が禍々しく歪み、真っ暗な幽世《かくりよ》にジークは投げ込まれた。足下には今まで無慈悲に屠ってきた千人の骸。ジークの人のとしての心を抉るような見るも無惨な姿で血の泉に骸が浸されている。辺りは暗闇で何も見えず道などない。あるのは鼻をつく死臭と、呪詛、怨念。どこに進もうにも、無数に血だまりに沈む骸を踏みつけねば歩けない状態だった。虚無と絶望の空間。
「ひゃっひゃっ――己《おの》が築いた地獄に救済の糸は現れぬ――ひゃっひゃっ」
「ひゃっひゃっ――人道を絶つ背に歩む道ぞなかりけり――ひゃっひゃっ」
「ひゃっひゃっ――千の骸を笑えば己も地獄堕ちるなり――ひゃっひゃっ」
 ジークは目を疑った。目の前にいるのは、巨大な像。菩薩とよばれる存在だった。目尻を下げて、慈悲深い笑みを浮かべている。だがその笑いはどこか不気味で、生理的嫌悪を感じるものだった。慈愛の笑みではなく嘲笑に近いからかも知れない。
「ありがとうお兄ちゃん」
「ありがとな」
「ありがと〜ジーク〜!」
 ジークの脳裏に昼間の三人が浮かぶ。三人の笑顔を思い出し、異空間に響く菩薩の笑い声による不快感が軽減される。
「ひゃっひゃっ――笑えや、笑え、己《おの》は慈愛か嘲笑か――ひゃっひゃっ」
 ジークは急に胸が苦しくなった。あの三人は、己の築いた千人の骸の山――千人地獄で絶望的な虚無感に苛まれている自分を見て、どう思うだろう。人殺しと罵るだろうか。罪人と言っても、彼らは死に際に人間に戻った。統治のため、軍の命令という免罪符で一個人の自由意志を千も奪ってきたという事実が、ジークに重くのしかかる。
 普段心を抑制していてもジークの心は普通の人間とそれほど違っているわけではない。望まない殺人は確実にジークの心を蝕みつつあった。虚無的で無感動になる。生きている意味など見いだせなかった。当然、進む道など見当もつかない。
「力のないものに必要とされたのは初めてだった――感謝されたのも――人の優しさを受けたのも」
 ジークは異空間で、昼間の記憶だけをかみしめるように反復する。この虚無の地獄で、心が動いた自分の記憶はそれだけだといわんばかりに。菩薩の笑い声が、より大きくなる。
「ひゃっひゃっ――我――慈愛の神仏、嘲笑の魔王、弥勒なり――ひゃっひゃっ」
 そのときだった。右手に鋭い痛みが走り、ジークの意識は現実に引き戻される。
「ちっ。邪魔がはいりおったな。まあいい。ジーク、おまえは一度も自分が手に掛けてきた反逆者や罪人をバカにしたりあざ笑ったことはなかったんやな。もしも一度でもその生き様を嘲笑していたのなら、おまえは弥勒にギアストーンごと精神を破壊されとったとこや。ひゃっひゃっ」
 バサラの笑みはあの仏に似ていた。慈愛なのか嘲笑なのか判断がつかない顔に張り付いた微笑み。バサラの能力は異質で、あれは幻の一種なのだろうか。幽世の陣が人の精神に干渉してくるなど通常ないことだった。
「おまえは――」
 ジークの右手に、昼間気まぐれに助けたグランドロスの幼体がかみつき、血が流れていた。ジーク同様、満身創痍の幼体だが、目だけがぎらぎらと殺意を放っていた。
「おまえはカンダタの蜘蛛の糸ならぬ、ちびドラゴンの牙に許しを乞うてるのがお似合いやわ。じゃあな」
 バサラはそういうと、音もなく拷問室から姿を消した。ジークは手足を拘束している鎖を引きちぎると、右手に噛みついたままのドラゴンの幼体を抱えて床に座った。
「俺の血を呑め。俺には黒竜の血が混ざっている。再生能力があるはずだ」
 ジークはドラゴンの幼体に噛みつかれたままそういった。ドラゴンの幼体は飢えを満たすかのようにジークの血を呑んだ。ドラゴンの幼体の身体に刻まれている、グランドロスにつけられた傷が修復されてゆく。
「どうしてボクを助けたんだ――ボクの父さんを倒しにきたくせに」
 知能が高く人語を喋るドラゴンの幼体。
「長く殺しをやっていると――たまに頭がおかしくなるときがある」
 ジークはそれだけいうと黙った。
「ボクの母さんも――父さんに喰われたんだ。父さんは呪われし太陽《イン=ティ》の光を浴びておかしくなって人を襲うようになった。父さんは人間が好きで、王都トルテカをずっと見守ってきた。昔は人間を襲ったりなんかしなかったのに。おそらく各街の守護神とされる他のエンシェントドラゴンたちも――」
 ジークは黙ってドラゴンの幼体の話を訊いていた。ドラゴンの幼体は父親であるグランドロスを殺したことを許したわけではないと応え、再びジークの右腕に噛みついた。
「ジークはなんのために戦っているの。ジークは沢山人を殺している。目を見ればわかるよ。ボクの父さんも殺した。戦う理由がおかしなものだったらボクは許さないぞ!」
 ドラゴンの幼体が激昂しながらいった。
「俺の目的は軍が決めている――だがそんな生き方に嫌気がさしてきた。俺は自分の意志で生きたい」
「ジークは何をしたいの」
 ジークは長く逡巡したのち、応えた。
「今日会った男――ハンデルスがいっていた、ルギリ熱の特効薬のために戦いたい。俺は今日生まれて初めて子供に感謝され、施しまでうけた。殺ししか能のなかった俺が非力なものに必要とされるのなら、そういう生き方をしたい」
「人間の為にドラゴンを殺すんだね。ドラゴンに許されると思うのかい」
「許されようとは思っていない。俺は暗殺者という名の罪人だ。ドラゴン殺しの罪も俺が背負う」
「ではこの痛みに誓えよジーク。父さんのように狂ったドラゴン達を倒して人を助けるって。そうしたらボクも竜の力をおまえに貸してやるよ。父さんはエンシェントドラゴンとして、狂う前は人間に鉄を与え、街を守護していた。その死で人を救えるなら本望だろうよ。ボクはシャルム。エンシェントドラゴン、グランドロスの娘だ」
「誓うよシャルム。それとこれはおまえの親父さんの竜玉《ギア・ストーン》だ。これはおまえがもっていろ。ハンデルスから渡されたんだが、俺が持っていても使い道がない。お前の父さんの形見だろ」
「父さんの――」
 シャルムが一筋の涙を流した。ジーク達は人間のエゴでドラゴンの命を奪ってしまった。感傷的になっていたジークにとって、シャルムの涙は堪えた。
 シャルムが竜玉《ギア・ストーン》に触れると、辺りがまばゆい光に包まれた。その中心から細身で長い赤毛を持った美しい少女が姿を現し、ゆっくりと大きな目を開いた。驚くジーク。
「父さんの力を借りたんだ。竜玉《ギア・ストーン》は、遺跡の竜の間において何年か力を蓄えると、ドラゴンを復活させることが出来る。父さんは完全に死んだわけじゃない――ジークたちが目的を果たしたら、ボクは遺跡に戻って、父さんの復活を待つよ。だからそれまでは――」
 シャルムはそういうと、ジークの頬に触れてその美しい唇をジークの唇に重ねた。
シャルムは自分の唇を牙で噛み、腔内を血で満たすと、それをジークの唇に流し込む。体温が上昇しジークの身体が鋼鉄のように守備力を増し、アサシンギア・ジュマンジの強度が熱量を帯びるかのように上がってゆく。
「真血付与でジークに力を貸すよ。ボクの持つ《鉄の力》でジークのアサシンギア・ジュマンジとジークの身体能力が強化されるんだ。さあこの力で軍隊を脱走するぞ! 暗殺者より、人に必要とされる生き方がしたいんだろう? それと今後ジークに命令できるのは、軍隊じゃなくてボクだからな!」
 シャルムがジークに檄を飛ばした。
「わかった――俺に捕まっていろ。最速でここから出る」
「軍人を殺しちゃだめだからな! そのためにジークの身体の守備力を上げたんだぞ!」
「わかっている――シルト少年に直してもらったジュマンジで、人殺しはできない」
 ジークはアサシンギア・ジュマンジの装甲を駆使して施設内の軍人達を気絶させ、シャルムを連れて護龍ヴァルバ軍基地を抜けた。それによってジークは賞金首となり、以後護龍ヴァルバ軍に追われることとなる。



「あれえ〜ジークだ〜? その娘《こ》は〜?」
 夜都ダロネアの竜の爪亭にはベロニカがいて、ジークを見るなり素っ頓狂な声を上げた。ジークは先日討伐したグランドロスの娘がシャルムだと言い、竜玉《ギア・ストーン》の力を借りて人間の姿になっていると話した。
「へええ〜ずいぶん可愛いんだねえ〜!」
「おっ、ジークじゃねえか。おまえいよいよ軍隊クビになったんだってな。手配書が王都トルテカに貼られてたぜ」
「長く殺しをやっていると――頭がおかしくなるときがある」
 ハンデルスは笑った。
「俺もルギリ熱の患者のために闘いたい。シャルムも同じ意見だ。竜玉《ギア・ストーン》を遺跡の竜の間に鎮座して時を重ねると、ドラゴンは復活することが出来るとシャルムに訊いた。協力するのは、目的を果たした後、エンシェントドラゴンを復活させることが条件だ」
 ジークはハンデルスとベロニカに言った。二人の表情がぱっと明るくなる。
「おうよ、そのつもりだぜ。ただ、今の狂ったエンシェントドラゴンどもは、誰かが倒さなければルギリ熱の感染源になり続ける。ドラゴンスレイヤーは必要だ。おまえなら協力してくれると思ってたぜ。よろしくなジーク!」
「よろしくね〜ふたりとも〜! よ〜し! 今日は二人の歓迎パーティーだ〜!」
 ベロニカは盛況な酒場のテーブルから大皿料理と果実酒を複数注文すると、「今夜は私とハンデルスのおごり〜!」と続けた。
 夕飯を酒場のテーブルで共にする。夜都ダロネアの名産料理に皆で舌包みを打った。素材は夜都ダロネアで採れる食用モンスターの肉や獣肉とメニューには書いてあるが、香草焼きや辛味チキン、ハーブ入りのハンバーグやソテーに調理されており、素材によく合う調味料と香辛料のおかげで箸が進んだ。海産物は魚介類のスープ、イカのマリネや、魚肉のタタキも鮮度が良く、山脈で採れる珍しい野草のサラダも美味で、夜都ダロネアで採れる果実から絞ったジュースに似た味わいの果実酒も種類が豊富だった。
「ベロニカはこう見えて腕のいい薬剤師なんだ。ドラゴンの肉を日干しにして粉末状にしてな、ベロニカが薬草で成分を調合したものがルギリ熱の特効薬になる。だから俺たちは一緒に行動してるんだが」
 ハンデルスが度数の強い酒を飲みながら。ジークとシャルムに言った。
「そうそう〜、前にルギリ熱の薬を作るために炎都アルゴナの野生ドラゴンと闘って死にかけたときに〜ハンデルスに助けて貰ったんだよ〜」
 ベロニカは普段からアルコールが回っているようなしゃべり方をする。
「ボクこの飲み物好き」
 シャルムも果実酒を嬉しそうにちびちび飲んで、イカのマリネを口に運んでいた。
「――!」
 ジークは軍隊の戦闘糧食しか食べたことがなかったので、竜の爪亭の料理の美味さに衝撃を受けながら獣肉の香草焼きを食べていた。
「うまいか。よかったよかった」
 ハンデルスは酒に強いらしく、既に瓶を一つ空にしていた。
「残るエンシェントドラゴンは、炎都アルゴナのアルムジュラ、機都ゼクラムのウインドルム、軍都ヴァルバのバルキリアス、夜都ダロネアのルインカリオの四体だ。よろしく頼むぜ」
 四人はそういって互いにうなずきあい、改めて乾杯をする。夜更けまで雑談は続く。こうして宴の夜は更けていくのであった。
 

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